妊娠10週目に開腹手術を経たあと無事出産し、我が子は17歳になりました。
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記事:むぅのすけ(ライティング・ライブ大阪会場)
私には、おへその下にまっすぐ一本、10㎝ほどの傷がある。
それと、これまでに一度の妊娠で、高校生の息子が一人いる。
出産経験がある女性にこの傷跡があるケース、と言えば、帝王切開かとピンとくる方も多いかもしれない。
でも私は、普通分娩だった。
そして私の傷跡は、帝王切開の傷跡と似ているけど違う。
おへその下にまっすぐ一本、位置も傷そのものも同じなのだが、私の傷跡はなんとも醜く横に伸びて、歪に幅ができているのだ。
婦人科健診などで初対面の医師が私の傷跡を見ると、不思議そうにされることも多い。
どうしてこんなことになったのか、気になるのだろう。
私が簡単に説明すると、医師は納得して当時の私を労ってくれる。
この傷跡は、私に多くのものをもたらしてくれた。
妊娠した当時、私が診てもらったのは、新居から電車で小一時間ほどの地元の産婦人科の医院だった。
実家からはほど近く、小さいけれどそれなりに設備は整っていて、地元では昔から評判のよい50代男性の院長先生で、多くの知り合いもお世話になっていた。
初診で妊娠7週目とわかったが、即、来週も来るように言われた。
それをいろんな人に話すと、どうも珍しいことらしかった。
だが、産婦人科の受診すら初めての私には、特に気にならなかった。
言われたとおりに、翌週また受診した時、衝撃の事実を知らされた。
片側の卵巣が大きく腫れていること。
妊娠の経過とともに小さくなる場合もあるから、一週間だけ様子を見たけど、小さくなる気配はない。
このままでは、子宮の中で赤ちゃんの育つ場所が無くなってしまう。
急がねばならない。
だから手術して切るからね、ということだった。
私は、すぐには理解できなかった。
切る……ってどういうこと?
え? おなかに赤ちゃんいるんでしょ、なのに開腹して手術するの?
え? 赤ちゃんはどうなるの?
え? もしかして、赤ちゃん諦めるってこと?
だからまさか、今回の出産は諦めろってこと?
時間にして、ものの数秒だっただろう。
医師を前にさまざまな思いが駆け巡って、静かにパニックを起こしていた。
そんな私に、医師は一番肝心なことを告げてくれた。
この手術は、赤ちゃんを産むためのものだと。
『必ず赤ちゃんを抱かせてあげるから、大丈夫。だから貴女も無駄に心配しないで、しっかりしなさい。お母さんでしょう?』
頭が追い付かずに、医師を見つめながら黙って涙を流している私に向かって、優しく、そして力強く言ってくれた。
その時の私は、小さな声で、ハイというのが精いっぱいだった。
脳内でパニックを起こしながらも、私が初めて、自分が母なのだ、と強く意識した瞬間だった。
手術までの約二週間、まだ全然実感がない程、小さく宿った命に対して、私は大急ぎで『母の自覚』のようなものを求められていた。
私はお母さんなんだから、この子を守るんだ。
無事に出産できるまで、大事におなかの中で育てるんだ。
そのための、手術なんだ。
頭では理解できても、怖かった。
夫や夫の家族も、心配した。
(私が)まだ若いんだからまたチャンスはあるだろうし……と遠回しに今回の出産を諦めた方がよいのでは、という声も上がっていた。
その意見は、おそらく至極もっともで、私の体や夫婦の将来を心から心配してくれたからのものだっただろう。
でも当時の私は、その意見にとても傷ついていた。
なぜなら私は、産むことしか頭になかったからだった。
私の病名は卵巣膿腫、その中でもチョコレート膿腫という種類で、卵巣から発生した内膜症がひどい月経痛をきたし、ひいては不妊症を引き起こすものだった。
医師は言っていた。
卵巣膿腫に気づかないまま過ごしていれば、知らずに妊娠できない体になっていたかもしれなかったと。
だから赤ちゃんが、貴女の病気を知らせてくれたんだから、赤ちゃんに感謝して手術に臨むようにと。
初めにそう聞いていた私には、今、産まないともう二度と妊娠できないかもしれない、との思いもあった。
そうやって、私が自覚しなかった危機を知らせてくれた赤ちゃんを、私が諦めるなんてできなかった。
初めから私に味方をしてくれた夫と母のおかげで、私の心は折れずに済み、幸いなことに、周囲も最終的には理解してくれた。
そうして、私の妊娠を継続するための、手術の日を迎えた。
まだ10週目だから、おなかは全然目立たない。
そのおなかを開腹して、二つあるうち膿腫のある片側の卵巣を摘出するのだ。
時間にして、約一時間。
院長先生とヘルプで呼んでくださった助手の医師の二人体制で、手術は始まった。
もともと局所麻酔で行われる手術なので、意識はずっとあるままだった。
終始、先生方の会話が全て聞こえている、そしておなかの中を触られている感覚がある中で、私は怖くてたまらなかった。
私は左手にお守りを握り、右手を助産師さんに握ってもらいながら必死に祈っていた。
赤ちゃんを無事に産ませてください。
まだ感じないくらいのこの小さな命を、おなかで育てられるようにしてください。
そのために私に出来る事は、全てやります。
だからどうか、この手術を成功させてください……
時間通りに手術が終わり、私は弱りながらホッとしていたのもつかの間、更なる試練が私を待っていた。
経験したことのない痛みに耐え続ける、長い長い夜が始まったのだ。
おなかにいる赤ちゃんに配慮して、術後の麻酔を最低限しか効かせてもらえなかったのだ。
これが帝王切開の術後なら、配慮すべき命は体内にないので、ゆっくり眠れる量の麻酔を入れてもらえる。
そうやって、術後の弱った身体を回復させるのだ。
でも、私はそうではない。
守るべき命の為に、耐え続けなければならなかった。
あまりの痛みに気を失い、10分ほどで痛みにより目が覚める。
そして長い時間を耐え、またつかの間、気を失う。
繰り返しているうちに、気を失うことを待ちわびる程だった。
助産師さんは何度も様子を見に来てくれるが、楽になれる手立てはなく、ただ根気よく励ましてくれるのみだった。
手術中に私が祈っていた
『この赤ちゃんを産むためなら、私に出来ることは全てする』 という誓いのようなものは、今この時のためだったようだ。
その時私は、自分がもう、母なんだと思わずにはいられなかった。
『大丈夫、私はお母さんだから、きっと耐えられる。大丈夫、大丈夫……』
ひたすら辛い時間を過ごしながらも、それまでにない力が湧いてくるのを感じていた。
その後、無事に退院して予定日を迎え出産し、私は赤ちゃんを抱くことができた。
私の傷跡が醜く歪な理由は、閉じた傷跡が、時間の経過で薄くなる前に、そこからどんどんおなかが大きくなるにつれて広がって、伸びてしまったからだった。
もう昔のことで傷跡は随分薄くなったが、消えることはない。
陳腐な言い方だが、この傷跡は、母となれた私の勲章なのだ。
おかげさまで、今息子は17歳の思春期真っ盛りで、例にもれず家族としては、態度に腹の立つ場面もある。
そうであっても、胎児の息子が私を救ってくれたことや、手術前後に母を自覚できたことも、やはり傷跡と同じく消えない事実だ。
今私は、息子への感謝を、改めて思い出せて嬉しく思っている。
***
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