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父と子と


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:井上遥(ライティング・ゼミ10月コース)
 
 
「尊敬する人は誰ですか?」と聞かれた時、私はいつも迷いなく「父です」と答えている。
 
父を表すのに「仕事一筋」という言葉ほどぴったりなものはない。平日はいつも帰りが遅かったし、休日も書斎で何かしら仕事をしていることが多かった。それでも、家庭に仕事の話を持ち込むようなことはしなかった。家では何かと騒がしい母と姉の聞き役に徹するような、いわゆる普通のお父さんであった。
もちろん、仕事にかまけて私たちのことを放っていたわけではない。休日には家族をドライブに連れて行ってくれたし、夏にはしょっちゅう父と二人でプールへ出掛けた。プールの帰り道に「お母さんとお姉ちゃんには内緒だぞ」とこっそり買ってくれたセブンティーンアイスの味は忘れられない。受験や就職で進路に悩んだ時、「君の好きなようにやりなさい。けど、困った時はいつでもお父さんたちを頼るんだよ」という父の言葉に、どれだけ勇気をもらったことだろう。
 
そしてどんな時も、私や姉、言い換えれば子どもたちの前で、一度も弱音を吐かなかった。
そんな仕事熱心で家族思いの父のことを、私は心から誇りに思っていた。
 
 
だからこそ、去年の夏に届いた「お父さん、目が見えなくなっちゃうかもしれない」という母からの連絡は、私をひどく動揺させた。
 
 
母によると「夜中に突然、目を押さえて『痛い、痛い、痛い』とうめき声を漏らし始めた」という。父は救急車で運ばれ、そのまま検査を受けることになった。
医師の判断は「遺伝的な病気(白内障もしくは緑内障)」というものだった。しかし、治療を施しても一向に回復の兆しは見えず、むしろ症状は悪化していく。1カ月ほど経った頃にはもうほとんど何も見えず、強い光ならなんとか感じられるという状態にまで症状は進んでしまった。
母には「私がついているから、心配しなくて大丈夫よ」と言われていたが、それでも姉と私も何かせずにはいられなかった。姉は母と一緒に信頼できる医師・病院探しに奔走し、私は父の通院の送迎役を担った。
週末になると実家へ帰り、父を病院に送り届ける。診察が終わったら迎えに行く。行き帰りの車内で「ちょっと働き過ぎたんじゃない? ゆっくり休みなよ」と私が言い、「いやいや、さっさと治して早く仕事に戻りたいよ」と父が笑って答える。
 
そんな日々が数週間ほど続いた、ある日のことだった。
 
いつものように、父を乗せて車を走らせる。「仕事の調子はどうだい」「全然ダメ。相変わらずミスしてばっかりだよ」「おいおい、大丈夫かそんな調子で」と、これまたいつもと変わらない調子で会話を続けた。
しかし、父の声にいつもより元気がない。おそらく、先の見えない闘病生活に疲れてしまったのだろう。こんなに力のない父の姿を見るのは初めてで、私はなんと声を掛けたらいいのか分からなくなってしまった。
しばらくの間、車内に沈黙が流れる。せめて父の好きな曲を流そうと、私はCDデッキの再生ボタンに手を掛けた。
 
「すまんなあ、迷惑かけて」
父がぽつりと言った。
 
父の弱音を聞いたのは、その時が生涯で初めてだったかもしれない。「気にしないでよ、そんなの」という言葉は、流れ始めた曲のイントロにかき消されてしまった。
ふとルームミラー越しに父の姿を見ると、昔よりも髪に混じる白髪の量が増えている。
 
その姿を見た瞬間、私の中で何かが変わったのだ。
 
きっとまだどこかで、私は父を「子どもたちを守ってくれる存在」だと思っていたのだ。なんと甘えた考えだろう。今振り返っても、自分自身に苛立ってしまう。
しかし時が経って、いつしか父は「子どもたちが守っていく存在」になっていたのだ。白髪が目立ち始めた父の姿を見て、私は「これからは、自分たちが父のことを支えていくんだ」という思いが小さく芽吹いていくのを感じていた。
「ちょっとスピード出し過ぎじゃないか」という父の言葉にハッとする。どうやら少しばかり体に力が入ってしまっていたらしい。私は慌てて速度を緩め、安全運転を心掛けながら病院へと車を走らせた。
 
その後も父の通院は続いた。
姉のアドバイスのもと、通う病院をいくつか変えてみたが、症状は一向に良くならない。
母も姉も、そして私も「もしかしたら、父の目はもう良くならないかもしれない」と覚悟を決めていた。
 
 
希望の光が差し込んだのは、ダメもとで家のすぐ近所にあった小さな眼科を訪れた時だった。
 
 
「新型コロナウイルスのワクチン接種後、眼に支障をきたすケースが稀に報告されています。お父様もワクチンを接種されていますが、もしかするとそれが一因かもしれません」
思いも寄らない医師の診断に、私たちは衝撃を受けた。ワクチン接種後に体調不良を訴える人がいることは連日のように報道されていたが、まさか父がその一人になるなんて。「そうした症状に有効とされている薬があります。入院してもらうことになりますが、よろしいですか」という医師の言葉に、私たちは望みを託すことしかできなかった。
 
 
そして、父の目は再び見えるようになった。
「ありがとう、神様」と素直に思った。
 
 
結局のところ、父の症状がワクチン接種によるものなのかは分からない。それでも、治療の末に視力を取り戻したことは確かだ。退院してからも父の目は日に日に視力を取り戻していき、今は以前と同程度の視力まで回復している。
 
「もしもあの時、治療がうまくいかずに父が視力を失ってしまったら……」という事態は想像もしたくない。お医者様と神様には感謝してもしきれない。唯一、良かったと言えることがあるとすれば「これからは私たちが父を支える番だ」という自覚が芽生えたことだろうか。
何にせよ、父は再び以前のように仕事に励んでいる。「休んじゃった分、取り戻さないとな」と張り切る姿を見て、本当に父は仕事が好きなんだなあと尊敬を通り越して呆れてしまったほどだ。
 
 
 
それからまた数カ月が経った頃、父の退院祝いが実家近くの焼肉屋で行われた。
 
「あの時は本当に心配だったよ」「ほんと、お医者様に感謝だね」「ていうか、これからはちゃんと毎年健康診断受けてよね」とやいやい言いながら食事を楽しんだ。
そして一通り食事を終えたタイミングで、父が「これをみんなに」と母、姉、そして私に封筒を渡していく。
少し気恥ずかしそうな父を横目に開けてみると、そこには一枚のカードが入っていた。
 
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パワーポイントか何かで手作りしたのだろうか。お世辞にも洗練されたデザインとは言えず、文字には垢抜けないフォントとして有名な「創英角ポップ体」が使われている。
父なりの、不器用な感謝の形であった。
 
「えー、海外はだめなの?」と姉がからかう。
「1回限りかー、何に使うか迷っちゃうわね」と母も便乗する。
「ホテルの領収書、『父さん』宛てで貰えばいいのかな?」と私も言った。
そして父は、「有効期限もあるから、ちゃんと使ってよ」とアルコールと照れ臭さに顔を赤らめながら、ビールをグイッと飲み干したのだった。
 
 
 
その父の手作りチケットは、私の机の引き出しに、今も大切に仕舞われている。
 
 
 
 
***
 
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