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大阪城を作ったのは? 「豊臣秀吉!」ブブーッ


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記事:ケイあんどう(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「残念でしたー。大阪城を作ったのは大工さんでーす」
こんななぞなぞと答えのやりとり、聞いたことないですか。実は真面目に考えると、このなぞなぞの答えはいくつもあるのです。そして豊臣秀吉、大工さん、どちらも正解とは言えません。そもそもいつの大阪城のことを言ってんのと、聞き返さないと答えようがありません。なにしろ、大きく分けて大阪城は3度生まれ変わっていますから。
 
かつて大阪という地名は”こざとへんに反”でなくテニスプレーヤーの大坂なおみさんと同じ”つちへんに反”の漢字を使っていました。(いつ変わったかはのちほど)最初の大坂城は石山本願寺跡に、豊臣姓をまだ賜る前の羽柴秀吉が天正13年(1585年)に完成させたお城です。だから”羽柴秀吉”というのが、まず一つ目の正解です。その翌年天正14年、正親町(おおぎまち)天皇から豊臣の姓を賜ります。だから同一人物ですけど、大坂城が建った時点では豊臣秀吉という名前は世に存在しないのでその答えだとブブーです。
昔から大阪に住み慣れた人たちの中には「太閤はんの城やがな」と答える方も多いでしょう。太閤というのは、摂政または関白を引退した後に使われる呼称なので、実は歴史上何人もいるのです。今ではほとんど秀吉の代名詞になっちゃっていますから、それはまあよしとしても、建った時は関白であってまだ太閤じゃない。だからこれも同じくブブー。
 
さて、その秀吉が亡くなり、嫡男の豊臣秀頼も大坂冬の陣・夏の陣で徳川軍に敗れ自害したことで豊臣家は滅亡。大坂城は廃城、瓦礫となり埋められてしまいます。そして豊臣臭を一掃し新たな徳川の城として寛永6年(1629年)に、ある男のもと大坂城が再び完成します。2代将軍”徳川秀忠”が二つ目の正解です。でも、このなぞなぞの答えで徳川秀忠と言う人はまずいないはず。3度生まれ変わっている途中2代目の大坂城のことをわざわざ答えはしないし、大阪の人にとっては関東者が建てた大坂城が存在していたとは、事実でも認めたくないでしょう。でもでも、安心してください。昭和になると大阪人の大阪人による大阪人(と陸軍)のための大阪城が築城されますので。
それに、2度目の大坂城に天守があったのはせいぜい39年間ほどなのです。将軍秀忠によって徳川の権威を示すため、西国大名に睨みを利かすために建造された2代目大坂城は、たびたび落雷などで天守は壊れては直し壊れては直しを繰り返します。寛文5年(1665年)に消失して以降、天守が建て直されることはありませんでした。4代将軍家綱の時期からです。武断政治から文治政治へ。天下統治の仕組みを構築した徳川家にとって、非常時の見張り台と籠城拠点という役目のためだけと見なせば、天守再建に資材を投入するより他の予算に回したかったのでしょう。残っている櫓が見張り台の機能を果たし、御殿や蔵があれば十分なのです。天守なんて6階建てなのにエレベーターはおろかトイレもないんですよ。江戸城や駿府城も江戸期ほとんどの間、天守はないままだったといいます。
 
さあ、徳川将軍家が大政奉還すると、大坂城は明治新政府に接収されます。(この頃から大坂という表記も、土に返ると書いては縁起が悪いなどの理由で大阪に変わりました)天守のないまま大正を経て、昭和3年(1928年)に大阪市長の関一(せきはじめ)さんが天守のない大阪城をなんとかしたいと立ち上がります。昭和天皇の即位記念事業という格好のタイミングと理由を掲げ市民の寄付を募り、大阪城公園整備事業を進めます。だから第7代大阪市長”関一”も正解だし、ある意味当時募金した大阪市民も正解といえましょう。予算の半分は陸軍のために使われたそうですが……。
肝心なのはここからですよ。ウィキペディアには「基本設計は”波江悌夫(やすお)”が行い」とあります。さらにそのリンクをたどると浪江さんの経歴は「1925年(大正14年)大阪市営繕建築課長就任、1931年(昭和6年)”合資会社清水組”大阪支店長」となっていました。大阪市役所職員時代から携わり、完成の昭和6年には清水組に天下りされたのかな。さあ三つ目の正解、主役がいろいろ出揃ってきました。
ここで登場した清水組、察しがつきますね。現在の大手ゼネコン、清水建設です。「ほらみろ、大工で正解じゃないか」という人もいるかも。たしかに大工集団と言えなくもないけれど、なにせ鉄筋コンクリート製ですから、外見は天守でも造りはビルディングです。ちょっと大工というにはしっくりきません。大阪人らしく笑いをとるなら、「大阪城を作ったのは清水建設」ってのも案外いい答えですけど、建った昭和6年当時は社名が違うので不正解としましょう。加えていうならきっと当時も清水組だけでなくほかの建設会社もJV(ジョイントベンチャー)として関わっていたでしょうし、日雇い労働者もたくさん関わったことでしょうね。
 
ということで、現在私たちが見ている鉄筋コンクリート製の大阪城天守を建てたのは誰でしょうに答えるならば、”関一大阪市長発案のもと、市民の寄付を財源に、市役所職員の波江悌夫さんが中心となって設計し、清水組が受注して、現場監督や工事職人たちによって建てられた”。これが完璧と言えましょう。こんな答えをしたら嫌味でしかありません。
 
なぞなぞの答えはこれでおしまいですが、最後におまけ。
鉄筋コンクリートの天守であろうと、大阪の皆さんは自慢してください。日本初の大規模鉄筋コンクリート建築物だそうですよ。そして羽柴秀吉の大坂城より、徳川秀忠の大坂城よりずっと長く90年以上、そびえ立っているのですから。
 
 
 
 
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2023-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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