あいつとの32年間の空白を埋めるために
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記事:吉居 大輔(ライティング・ゼミ2月コース)
5歳下の弟とは小さい頃によく一緒に遊んだものだが、僕が中学生になる頃には、友人たちと遊ぶ時にいつもついてくるあいつがだんだんとうっとうしくなってきた。ベッド下に隠していた僕のエロ本を、なぜかあいつが読んでいるのを見つけてひどく叱りつけたのはその頃のことだ。
そうやってだんだんと生意気になってくる弟とは、歳をとるうちに少しずつ距離が離れていったような気がする。
長男だった僕は父親の期待を受けて育った。厳格な父は学歴至上主義の価値観で凝り固まった、視野の狭い人だった。
僕はどこかで父の価値観に疑問を感じながらも、彼の敷いた路線を走るしかなかった。その結果、それなりの学校を出てそれなりの会社に就職したことで、父の期待に応えることができたと思う。
一方、弟は僕よりもずっと学業に向いていなかった。中学時代に既にドロップアウトをしていたのに、父に学業を強いられ、結局3浪して受験に失敗。そしてアメリカに逃げて行き、帰ってこなかった。
その後不法滞在のままアメリカに居座り、ミュージシャンを目指したあいつは、しかしなかなか花開くことはなかった。
そんなあいつを、僕は努力の足りない落ちこぼれだと評価し、半ば軽蔑する感情さえ持っていた。しかしそれは、どこかで疑問に思っていた自分の生き方を正当化するためだったと思う。
その後僕は父の期待を裏切り、自分に正直に生きる道を選ぶと、苦労する中で自分の視野がいかに狭かったかに気付かされた。
するとあいつがどうにも可哀想に思えてきた。あの父親のもとで自分らしく生きることを否定され続けたあいつは、異国の地に逃げて未だ彷徨っていたからだ。
また以前の自分のことを思うと、なんか自分のことが嫌になった。あいつと父の間に入って助けるどころか、父と一緒になって批判していたのだから。
あいつが日本を出てから5、6年くらい経った頃、仕事でアメリカに行く機会に久々にシアトルで会えた。あいつはホームレスになっていた。歯を痛めてひどく腫らしていたのに、金がなくて治療もできないほどの状況だった。僕はわずかばかりのお金をやったものだが、このままじゃダメだなと思った。
しかし帰国を勧めても、「自分には帰るところがない」「アメリカの方が自分に合っている」「いつかミュージシャンで成功するんだ」と相変わらず強情で、聞く耳を持たなかった。いつもどこかで現実逃避しているあいつを不憫に思いながらも、その時僕は心の中で静かに応援することしかできなかった。
それからしばらくしてあいつは日本料理屋で仕事を始め、アメリカ人女性と結婚した。後にそれは合法的にアメリカに滞在するために、月数百ドルと引き換えにした形式結婚だったと聞いて驚いたものだ。
その後も大麻取引に巻き込まれて留置場に入る騒動を起こしたり(幸い無罪放免されたが)、次の女性と結婚して一緒にスペインに渡ったりとか、あいつには頭を悩まされることも多かった。両親は相変わらず心配していたが、僕はまあ元気にしているならいいかなと思っていた。
そしてあいつがスペインに移ってから十数年が経った。
あいつが友人と開いた日本食レストランはそれなりに繁盛している様子で、一度は勘当された父親のもとにもたまに訪ねて帰国するようになり、その時は昔の家族4人で水入らずの数日を過ごした。
ある日、帰国したあいつと一緒に酒を飲んだ時「兄貴は昔からいつもうまく知恵を使って俺のせいにしてきた」と僕への恨み節をぶつけてきたので大喧嘩となったが、心の中ではあいつが「そんなふうに思っていたのか」と衝撃を受けた。気まずくなって、またしばらく連絡をしなかった。
すると最近、あいつの体の調子がどうも良くないらしいという話を両親から聞いた。それで久々に連絡をしてみるとあいつの元気のない声がした。
末期癌だった。何もしなければ余命半年から1年だと医者に言われたらしい。
僕は「なんでこうなるのかな」となんとも不愉快な気分になった。
同時に、このまま異国の地で果てさせるわけにはいかないと思い、「帰ってこないか?」と提案した。
老老介護をしている両親のもとに帰すことはできなかったが、妻が「うちに来てもらえば?」と提案してくれたこともあり、結局スペインから引きあげさせて我が家に来ることになった。日本を離れて32年経っていた。
こうして今、僕は妻と一緒に彼の闘病生活を支えている。
僕は弟との残り少ない時間を共有しながら、彼との32年間の空白を埋めているつもりだ。僕の中であいつは今でも昔のままだ。そして考えている。近いようで遠い、遠いようで近い弟の存在。血のつながりとはなんだろう。家族とはなんだろう……と。
***
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