メディアグランプリ

努力は過大評価されている


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:ハタナカ(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「努力は過大評価されている」
 
つい最近ネット上でたまたま見かけた言葉に、私は長らくこの言葉を探していたんだ、と思った。
 
私は「努力」という言葉について考えると、必ずと言っていいほど高校時代の友達を思い出す。
私の入った高校は私立で、クラスは偏差値の高い大学合格を目指すことが前提だった。
なので入学と同時に過酷な勉強漬け生活が始まった。本当に、毎日勉強した。
成績が落ちればクラスも落ちるからクラスメイトは皆必死だった。そんな中でも一際異彩を放っていたのが、その友達だ。
 
その子とよく話すようになったのは2年生からだったが、それでも1年生の時から圧倒的存在感があった。
何故なら、誰の目から見ても勉強量が凄まじいからだ。
毎朝登校すると彼女はいつも黙々と勉強していた。放課後も誰より居残ってやはり黙々と勉強していた。テストや模試が終わって流石に気が抜ける日ですら、やはり延々と復習に取り組んでいた。
3年間一緒のクラスだったが、課題を忘れた姿も、小テストで手を抜く姿も一度も見たことがなかった。勿論成績は常に上位。難関大学だって余裕で狙えるレベルだ。
ストイックが人の姿をしたらこうなるんだろうな、と当時は思っていた。
 
でも何より恐ろしいのは、それだけ勉強をして成績を上げても、彼女はいつも「私はみんなみたいに頭が良くないから、勉強量でカバーするしかない」と辛そうに言うことだった。
いやいや、私から見ればあなただって本当頭良くて凄いよ、と言いたくなった。実際幾度となく言った。それでも彼女はその言葉を少しも受け取ろうとしなかった。
そんな人がクラスに常にいるわけだから、間違っても「自分は頑張っている」なんて言う人は一人もいなかった。感化されて、勉強をさらに頑張る人も増えた。私もその一人だ。
 
彼女は私には届かない雲の上にいて、そこからさらに遠くを見ているような雰囲気で、最初はどう接していいか分からず戸惑いがあった。でも彼女を知るうちに、その切実さに共感出来るようになった。
 
一つは彼女には明確な夢があって、その実現の為に必要な教科が、絶望的に苦手だということ。それは私にも理解できるほど、悲しいくらい明白だった。
たとえば中間テストなどの教科書の範囲内でのテストなら、彼女はその教科できっちりトップクラスの成績を出す。しかし模試といった、応用が必要な問題や捻りのある問題が出るテストになると、途端に並の成績になる。自分が一番結果を残したい教科だったからこそ、本人は酷くコンプレックスを抱いていた。
そしてもう一つは、彼女の勉強量の半分もやっているか分からないような人達が、元々の頭の良さで彼女よりも上の成績を取り続けていたこと。いわゆる、天才だ。それだけが理由ではないにせよ、彼女は異様なまでにそうした天才たちの怠慢を嫌悪していて、越えられない壁に苦しんでいた。
 
劣等感に苛まれて何度も泣いて心をズタボロにしながら、それでも勉強をする手は決して緩めない彼女の姿は異様で、彼女を励ましたり話を聞いたりするうちに、私は彼女の努力が報われることを願うようになっていた。
そうして迎えた大学受験では……彼女は第一志望の大学ではないものの、難関大学の、希望していた学部に入った。
彼女としては多少不服こそあれ、納得はしていた様子だった。
そして私は何より、彼女が夢を叶える為の一歩を踏み出したんだと喜んだ。「あーもう、鬱陶しいねえ」と言いつつ、彼女も希望に満ちている様子だったのを覚えている。
 
高校を卒業して離れ離れになったが、最初の1年は高校メンツが帰省したタイミングで集まった。
しかし2年目になると次第に会わなくなり、SNSで様子を見るくらいになっていた。稀に軽く連絡は取るものの、ずっと彼女のことが気がかりだった。
そうして3年生になる直前の春休み、私は彼女が住んでいる県まで初めて遊びに行った。相変わらず勉強に打ち込んでいるのだろう、何となく、そう思っていた。
 
「もうね、夢を諦めることにした」
 
だからその言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
 
「え……なんで……?」
「大学入ってね、ここは私が必死になっても出来ないことが出来る人ばかりだって分かったの。あ、無理だって。私が同じになることはないって実感したの」
 
ショックで呆然とする私とは裏腹に、彼女は淡々と言葉を続けた。
 
「本当は高校の時から分かってたの。でも、私は頑張ることに逃げてた。本当に叶えたいなら、もっと効率のいい方法を探せばよかったのに。頑張るだけで、見て見ぬふりしてた。随分無駄な時間を過ごしたなって思うよ」
「……そんなことない」
 
気づけば私はボロボロに泣いていた。そんなこと言って欲しくなかった。
私は彼女の夢が叶うことに夢を見てしまっていた。あの異常な努力が、報われるべきだと考えていた。それなのに彼女自身から否定されるのが心底辛かった。
それでも彼女はやはり、淡々とした様子で、こう言った。
 
「もう今後の人生であんなに頑張ることはないと思う。それだけのことをあの3年間でしたと思ってるから。あれ以上に何かを頑張るなんて、絶対無理。……でも、そのおかげで私は、自分の限界を知ることが出来た。だから、私は夢を諦めることが出来たの。だから、また新しく夢を探せるの」
 
ああ、強いな。
泣いている自分が情けなくなった。
私が知っている、いつも劣等感に苦しんでいた彼女はもういなかった。
不貞腐れてる様子も一切ない、清々しいまでの敗北宣言。切なくて、やるせなくて、何より彼女の決めたことに私はこれ以上何も出来ないのだと寂しくなった。
きっと彼女自身の力でまた新しい夢を見つけ出すんだろう。そして、今度はがむしゃらなだけじゃない努力を、やはり彼女はがむしゃらにするのだろう。その時、そう思った。
 
努力って何なんだろうな。
彼女との強烈な経験から、そんなことを考えることが増えた。
「人の努力する姿」は強烈に引きつけられる。「頑張っている自分」も同様だ。
「努力」が良いものという前提にがあって、その姿をつい賛美してしまいたくなる。
高校時代の私がそれだった。その感情自体が間違いだとは思っていない。思いたくない、とも言えるが。
けれど努力は人を感動させる為にあるんじゃないんだと、彼女に思い知らされた。
努力はあくまで個人的なもので、当人が目標を達成する為の過程に過ぎない。同じ道にいる人でもない限り、そこに介入すら出来ない。ましてや褒められる為にするものじゃない。
冷酷なようで、淡泊なようで、きっとそういうものなんだと。
そう考えるようになったが、それでも完璧に客観的に見るのは難しくて、その過程を賞賛したくなる瞬間は沢山ある。だからと言って世間一般に言われているほど、素晴らしいものだと讃える気にもなれない……。
この感覚を何と言えばいいものやら。
明確にあるはずの私の考えは、長いことそんな風にふわふわと彷徨っていた。
 
だから「努力は過大評価されている」という言葉に、私は「そうそうそれ!」と思える一つの表現をようやく得られた気がした。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325



関連記事