メディアグランプリ

「シクラメンのかほり」が彩る日常


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:平沼仁実(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「一緒に歌ってる!」
 
全身の筋肉が動かない患者が、歌に合わせて口を動かしている。
初めて見るその姿に、私は驚いた。
 
私は医師として、通院できない患者の家に出向いて診療する「訪問診療」を行っている。
その訪問診療に音楽療法士が同行し、「音楽療法」を行うことになった。
 
音楽療法。
耳慣れない言葉だった。
 
音楽には、人を元気づけたり癒したりする力がある。
「音楽」と「音楽療法」の違いは何なのか。
 
その患者は、全身の筋肉が動かなくなる神経難病を患っている。
自力で呼吸することもできないため、気管切開といって首に切開をして、カニューレと呼ばれる管を入れ、人工呼吸器をつけている。
コミュニケーションをとることも難しく、わずかに動くまぶたの動きで意思疎通をはかったり、それも難しいときは家族が顔色をみて判断したりしている。
私は定期的に、彼が妻と暮らす家に出向き、カニューレの交換などの診療を行っている。
 
音楽療法士が同行した日。
いつもの診療を終えると、音楽療法士が妻と話し始めた。
 
「音楽が好きなんです」
彼はとても歌が上手だったこと、中でも「シクラメンのかほり」が大好きだったこと。
病気になる前の姿が写っている写真を見せてながら教えてくれた。
そして妻自身も音楽が好きで、歌を習いに行こうと思っていた矢先に夫の介護生活が始まり、その夢は叶わなかったこと。
これまでの診療では聞いたことのなかったご夫婦のお話だ。
 
「一緒に歌いましょう」
音楽療法士が妻に声をかけた。
「声が出なくて」と言いながらも、音楽療法士の歌が始まると、一緒に歌い始めた。
その嬉しそうな顔。本当に歌うことが好きなんだというのが伝わってくる。
彼女が歌うのは、何年ぶりなんだろう。
介護中心の生活の中では、大好きだった歌を歌うこともなかなかなかったのかもしれない。
 
音楽療法士と妻が、ベッドに横になっている彼の元へと向かう。
「お父さん、シクラメンのかほりを歌いますよ」
 
妻が音楽療法士と一緒に、「シクラメンのかほり」を歌い始めた。
音楽療法士の視線は、手元の歌詞カードと、隣で歌う妻と、彼の顔とを行ったり来たりしている。
妻の歌を邪魔しないよう、支えるようにして、歌っている。
妻の歌、彼の呼吸のテンポに合わせるように。
医師、看護師、介護士。その場にいた皆が、にこやかに微笑んでいる。
 
「一緒に歌ってる!」
歌が始まりしばらくすると、彼の口が動き出した。
全身の筋肉が動かず、コミュニケーションもとれない。
何年も訪問診療をしてきた彼が口を動かす姿を、初めて目にした私は驚きを隠せなかった。
 
歌い終わると妻が言った。
「一緒に歌っていたと思います。大好きな曲だから」
そう話す顔はとても穏やかだった。
 
私は訪問診療にたずさわる医師として、病気だけでなく「その人全体」をみたいと思っている。
どんな人生を送ってきたのか、大切にしているものは何か。
けれど「医療」の枠組みの中では、そういったことを知るのがなかなか難しい面がある。
きっかけがつかめなかったり、話題をふっても話が広がらなかったり。
診療の場に音楽療法士が入ることでそれがスイッチになり、自然とその人の好きなことや病気になる前の話などが広がっていく。
音楽療法には、「その人全体」を知るためのヒントを引き出す力がある。
 
そして私は日々の診療の中で、医療だけでは人は幸せになれない、とも感じている。
医療で病気を治したり予防したりして、いわゆる「健康」を目指す。
でもその「健康」と「幸せ」は必ずしもイコールではない。
幸せに生きるためには、「健康」だけではなく、その人にとっての楽しいことや嬉しいこと、日常の中に「彩り」のようなものが必要だ。
 
彼の口の動きが、本当に「歌う」行為だったのかどうかは正直なところ分からない。
ただそれを見ていた妻も、訪問医である私も、「歌っている」と感じたことは確かだ。
 
好きだった歌を、ご夫婦で一緒に歌う。
それはお二人それぞれにとって、病気と介護生活によって奪われてしまった「好きなこと」を、もう一度やることが出来た時間だったのではないだろうか。
「一緒に歌う」ことは二人にとって、普段の「介護する人とされる人」という関係性を越えて、「夫婦」で一緒に一つのことをする、かけがえのない時間でもあった。
歌っている時の嬉しそうな顔、その場の空気が和やかになる様子からは、その時間が二人の日常の中で「彩り」になっているように感じた。
 
いつでもできるけれど、介護中心の生活の中ではできなかった、「歌う」ということ。
それは「医療」でも「生活」だけでもなく、音楽療法だからこそできたことだ。
きっと「シクラメンのかほり」の音源を流しただけでは、あのような時間は流れなかっただろう。
 
「音楽」と「音楽療法」の違いは何なのか。
目の前にいるその人その人に合わせて、音楽の力が最大限に生かされるようにアプローチするのが音楽療法だ。
だからこそ音楽療法は、その人の日常を彩ることができるのだ。
 
 
 
 
***
 
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2023-05-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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