メディアグランプリ

平和を考える。ということについて


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記事:ひーまま(ライティング・ゼミ6月コース)
 
 
先日、わたしが住んでいる広島でG7ヒロシマサミットが開催されました。先進国の首脳陣が世界で初めて原爆が投下された、被爆地ヒロシマに集まり会議を開いたわけです。その期間の広島の緊張と祈りはニュースになってはいないであろうと感じています。一市民のただの個人的な感想ですが、少し私の生い立ちを含めて書き記していきたいと思います。
 
私は、昭和36年6月のころ、2歳半で父の転勤で大阪から広島へ引っ越ししてきました。父26歳、母25歳、妹は生れて半年という幼さでした。当時母は、原爆が落とされた広島には50年草木も生えないと聞いていて、本当に行きたくなかった。必死の覚悟で広島へ来た。と話していました。
 
父は大阪の中之島にあった、「新大阪ホテル」現在の大阪リーガロイヤルホテルのベルボーイからのたたき上げで、そこで働いていたフロントガールの母と結婚し、戦後の復興で広島にもホテルを新しく建設するということで、「新広島ホテル」への転勤が決まったのでした。
 
書き始めて気が付いたのですが、当時、父は26歳。母は25歳。とは、なんて若いんでしょう! 古い写真に写っている私たち親子は緊張感であふれています。
不安と期待が入り混じって笑うに笑えないって表情をしています。そして父の新しい職場はまさにヒロシマの平和公園の中、昭和33年にできたばかりの平和記念資料館の隣にあったのです。
まさに復興の真っただ中の広島でした。わたしの原点はこの広島平和公園にあるのだなとしみじみ思うのです。
 
その頃の広島は、人口が戦前と同じくらいにやっと戻り、町の建設が槌音も高く進められていました。原爆によって半径2キロの市内は跡形もない焼け野原でした。戦後16年目、2歳半の私の目に映った広島は活気に満ちた街でした。
 
今では想像もできませんが、あの原爆ドームもまだ中に入って遊べたほどでしたし、平和記念資料館の前の噴水には妹とじゃぶじゃぶ水の中に入ってよく遊んでいました。
若き父はホテルマンとして広島に世界に通用するホテルを作る! と張り切っていました。父の口癖は「広島を恒久平和のメッカにするんだ」というものでした。
 
新広島ホテルでの父は、当時の浜井信三市長に薫陶を受けホテルマンとしての仕事のかたわら平和活動に熱心に取り組むようになっていきます。
 
そのあたりの話はまた詳しく書きとどめたいと思っていますが、とにかく連日お酒を飲んでは幼稚園に上がったばかりの私を捕まえて、延々と平和談義を聞かせるのです。「宏美、いいか人類は二度と戦争をしてはいけないんだ。原子爆弾を世界で二度と使っちゃいけない。わかったな」のような話です。「うんうん。宏美ぜったいにばくだんつかいません。平和にします」のように返事をしていたような……
 
そのころ幼稚園でも平和学習というのでしょうか、平和記念資料館へ見学に行く機会がありました。資料館は原爆の被害を何とか後世に伝えようと生々しい展示物が多く展示されていました。特に被爆直後の人々を模した蝋人形は本当に怖かった。見学した私はあまりの怖さに当分悪夢にうなされるほどのショックを受けました。平和の対極には戦争があるのだと幼心にしっかりと刻まれた見学会でした。
 
それ以降、平和を実現するにはどうしたらいいのか? ずうっと考えているように思います。私の中身の90パーセントは平和を考えるようになっているような気持がします。そのことでいろいろな面白い体験もしてきました。
 
その中の一つに、2006年に開催された「広島国際平和会議」があります。
「人の未来を考える」のテーマで3人のノーベル平和賞受賞者が出席しての「市民による市民のためのオープンサミット」でした。参加されたのは最初に出席を快諾されたダライラマ14世法王の要請で「南アフリカ共和国のマーチン・ルーサー・キング」とも呼ばれているデズモンド・ツツ大主教。と日本ではあまり知られていませんが一主婦で在りながら、紛争の地で子どもたちの命を救った、ベティ・ウイリアムさんの3人です。
 
私はたまたま目にしたホームページの記事で、この3名の中のどなたにでも質問があればお受けします。の一文に日頃から平和の実現に向けて考えてきたことを、せっかくならダライ・ラマ法王に直接聞いてみたい! と質問を送ったのでした。
 
たくさんの参加者の中から自分が選ばれるなんて思いもしないでそのこと自体を忘れていたころに、開催3日前、事務局から「あなたがダライ・ラマ法王への質問に選ばれましたので、会場で呼ばれますから起立して質問してください」と連絡を受けました。
 
すっかり失念していた私は、何を質問したのかまで忘れてしまい、恥ずかしながらと確認するメールを出したのでした。当日ドキドキの私がダライ・ラマ法王に質問したのは次のような事でした。
「広島に住むものとして平和の実現を目指していますが、どうしても意見の違う人や嫌いな人がいます。そういう人たちと仲良く手をつなぐには一体どうしたらよいでしょうか?」という質問です。
その質問に、ダライ・ラマ法王は膝を打たんばかりに「良い質問だ、それこそ私がつたえたいことなんだよ」と、思わず英語で話されていたのが、チベット語になってしまうほどの熱意でこたえてくださいました。
 
「あなたはたった一人の自分と60億の他人とどちらが大事だとおもいますか?」と聞かれ、私は思わず頭が真っ白になりましたが「自分の命が大事です」と答えました。法王は「そうなんだよ! どんな人も自分の命、愛する家族や愛する人の命が大事なんだよ。そして世界中だれ一人大事ではない人間はいないんだよ」と言われたのでした。私は瞬間、その疑問に対する答えが英語でもなくチベット語でもなく日本語でもない感じで腑に落ちました。誰一人大事ではない人間はいない。誰一人犠牲になっていい人間もいない。世界中のすべての人が幸せになる権利を持っているのだ。と感じたのです。そのあと私に、もうあなたは座ってもいいですよ。と言われ30分近くそのことについてお話しくださいました。
 
この体験も私がずーっと平和のことを考えてきたおかげかもしれません。
そして今年のG7ヒロシマサミット。先進国の首長の皆さんが並んで平和公園の慰霊碑に献花をされました。ニュースを見ていた今年87歳になる母がひとこと。
「パパが見ていたら本当に喜んだやろな」と。私の平和を考える旅路はまだまだ続きそうです。
 
 
 
 
***
 
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2023-06-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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