幻のオムライス屋に学ぶマーケティング
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:くろねこ(ライティング・ゼミ4月コース)
会社の近くに幻のオムライス屋さんがある。
いつ開いているのか、よくわからない。
それなのに超人気店で社内にもファンが多い。
以前は昼営業と夜営業があったかと思うが、いつの間にか昼だけの営業にかわっていた。それも毎日ではなく、不定期営業だ。しかも1時間ちょっとの限定営業。お店が営業しているのかどうかを知るには、お店の前まで行くしかない。営業をしているときには大抵行列ができている。
時間を見つけては度々訪れているものの、なかなかお店に入ることが叶わなかったが、ラストオーダー直前の時間に駆け込んだ際にちょうど1席空きが出たところだった。お店のお姉さんは申し訳無さそうに「狭い席なんですが、良いですか?」と聞いてくる。全く問題ない!
こじんまりとした壁向きのカウンター席に通され、ウキウキしながらオムライスの到着を待つ。
それほど広くはない店内では厨房のマスターの動きがよく見える。チキンライスを炒めているようだ。直後にジュワッと音がする。背中越しに調理を眺めていると、その香ばしい匂いが空気を刺激し、待ちきれない気持ちが高まる。
数分経ってオムライスがゆっくり運ばれてきた。
それはもう、とても丁寧に差し出される。
そうしないとチキンライスの上に乗った半月型のオムレツが崩れてしまうからだろう。
静かに机の上に提供された瞬間に、半月がぷるぷると震えて思わずじっと見入ってしまう。
上のオムレツは表面がつやつやしていて、できたての証である湯気が立ち、バターの香りがふわっとただよう。視覚と嗅覚のダブルで刺激してくるなんて!
あまりにきれいなフォルムに崩すのがもったいないが、心を決めてそっとナイフを持ち、卵の表面にすっと切込みを入れる。柔らかく、僅かな力でナイフが進んでいく。すると、鮮やかな黄色の卵が開き、とろとろとした半熟のたまごがゆっくりと溢れ出し、チキンライスに覆いかぶさる。その美しいシーンに一瞬、息をのむ。
スプーンで半熟卵とチキンライスをすくい上げ、口元へと運ぶ。口の中に入れると、まずはふんわりとした卵の優しい味わいが広がり、すぐ後を追うようにチキンライスの甘酸っぱさが溶け合う。チキンの食感とともに、絶妙なバランスのケチャップの風味が口中を満たし、心地よい後味を残してくる。その余韻が消えないうちにと、ひとくち、もうひとくちと運び、オムライスはあっという間に私の胃袋に収まった。
満足感いっぱいのなかでお会計に向かうと、50円値引きされた額を提示された。「席が狭くてごめんなさい」とのことだった。こちらのほうが恐縮しながらお店を出ようとしたところ、厨房からマスターも出てきて「ありがとうございました」と笑顔で送り出してくれた。
お腹も心もホクホクしながら会社に帰る。
午後も頑張れそうだ。
ここのオムライス屋は中毒性がある。
一度味わうとまたお店に行きたくなってしまう。オムライスもお店の人もあったかいのだ。不定期営業でも、行列でなかなか入れなくても、また食べたいという気持ちが抑えきれない。そして私はまた時間を見つけてはお店の前を通って、今日は開いているかな、入れるかなと探っている。
あれ。これってマーケティングだ。
経営学者のピーター・ドラッカーは言う。
”「マーケティング」の目的は、「セールス」を不要にしてしまうこと。「マーケティング」の狙いは、顧客をよく知って理解し、商品が顧客に「ぴったりと合い」、自然に「売れてしまう」ようにすることである。”
その商品であるオムライスは格別に美味しい。
ただ、それだけではない。
オムライスを丁寧に運んでくれる。狭いことを謝罪し、理想とする空間で提供できなかった気持ちを、ただでさえ安いオムライスを値引きして表し、お店を出る際には人気店にも関わらずマスターとホールのお姉さん(恐らくご夫婦)揃って感謝の言葉を添えてお見送りしてくれる。
これには心をぐっと掴まれてしまう。
ほくほくとした気持ちを持ち帰って、また行きたいなという余韻を残す。その記憶のままに再びお店に訪れようとするが、それが叶わない。だから何度も今日は空いているかな? と考えお店を訪れる。
繰り返されると脳は記憶されやすい。繰り返しているうちに、記憶は美化され、ますますお店に行きたくなる。
会社の周りには沢山の飲食店がある。いわゆるオフィス街だ。お腹を満たすだけならば、あの店じゃなくてもいい。ただ私はあのお店の入った時から出るまでの間に提供された数々の温かい体験にハマってしまった。特に仕事中ということもあり、トゲトゲとした気持ちをリセットしてくれる空間は特別なのだ。そしてそこに不定期営業というスパイスが魅力を引き立てている。
あの穏やかなお二人が、そこまで意図して設計しているわけではないかもしれないが、マーケティングの真の姿を勉強させてもらう体験となった。
そして私は今日もまた、あのオムライス屋に向かう。
***
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