『お茶汲み』を侮ってはなりませぬ! ~町工場における総務部のお仕事徒然記その2~
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:むぅのすけ(ライティング・ゼミ6月コース)
私は究極のお茶汲みマスターを目指している。
……わかるようでわからない言葉だろうけれど、お許しいただきたい。
お茶を上手に淹れられる人、というのとは少し違う。
社内全体で来客に上手にお茶を出し、それを社内で水平展開していける人、という意味で私が勝手に作った言葉である。
町工場にもお客様はわりといらっしゃるものだ。
来客があると、私の出番だ。
事務所内で紅一点の私は、取り掛かっている業務の手を止めて、お茶を淹れるために立ち上がる。
我が社は、給湯室やキッチンなどない小さな町工場だ。
事務所内にあるコンパクトな流し台スペースに、来客と従業員のカップやグラスが仕舞ってある。
冷蔵庫とティファールの湯沸かし器はあるが、ガスコンロや電子レンジは無い。
建物内は火気厳禁なので、調理も温めもできないが、最低限お湯は沸かせる仕組みになっている。
今のように夏の時期なら、冷蔵庫に冷やしているペットボトルの緑茶を冷茶グラスに注ぐだけなので楽チンである。
昔取った杵柄で、喫茶店のバイト経験がある私は、左手のひらだけでグラスの乗ったお盆を乗せることができる。
これができると、右手は完全に空けられるので、いろんな場面で慌てずに済む。
ドアを開けることも、お客様の前にコースターごとグラスを置くことも、落ち着いてこなせるのだ。
運ぶ時に気を付けることは、やはりこぼさないことだろう。
せっかくキレイに淹れたのに、運んでいる最中や、いざお客様の目の前でこぼしてしまっては台無しである。
実は、こぼしてしまうかもしれない場面として、私が一番恐れているのが、社内の人にぶつかってしまうことだ。
お茶を乗せたお盆を運ぶ間、皆の動向に気をつけながら歩く。
広くはない事務所に机が並んでいて、皆が立ったり移動したりを繰り返してそれぞれの自分の業務をこなしている。
だから、お茶を乗せたお盆を運ぶ間、皆の動向に気をつけながら歩く。
でも、それだけでは足りない。
お互いが決して邪魔をしたいはずなどないのだが、周りが見えずに動いてしまうとぶつかる危険性は否めない。
皆忙しく仕事をしている。
私の想像を超える、急な動きをされてしまうかもしれない。
いつしか私は、簡単で安全な方法を編み出していた。
誰かのそばを通る時に、必ず声をかけるのだ。
『後ろ、通りまーす』
『お茶が通りまーす』 などである。
文字にすると、なんだか説明不足に見えてしまうかもしれない。
しかし、狭い社内のことで、お客様がいらしていることや、私がお茶を運んでいることは共通認識されている上でのことだから、その場にいる社内の人にすれば、こんな短い一言で十分なのだ。
続けていると、私を真似してくれる人も出てきた。
お茶汲みは、ただお茶を淹れるだけではなかった。
お茶汲みの歴史は昭和に遡る。
戦後、女性も会社へ出勤して、働くことが当たり前になった頃は、大事な業務として認識されていたようだ。
当時の仕事内容が事務職といえば、コピーとお茶汲みがセットであったように、当時は来客だけでなく社内の人にもお茶を淹れて配ることが業務になっていたという。
令和の現代では、社内の人にまでお茶を淹れて配る会社は稀になっているだろう。
自販機や、オフィス用の機器を導入したりして、それぞれの飲みたいタイミングで淹れて飲むことが主流であるように思う。
我が社でも、昔はコーヒーとオヤツの時間があったらしい。
事務員さんの淹れてくれるコーヒーと、今日のおせんべいやチョコレート等のオヤツを、皆でいただきながら休憩するのだ。
会社に置いてある個人のマグカップに、人によっては、砂糖やミルクの好みにも応えて淹れてくれていたそうだ。
自販機やコンビニなども近くになかった頃のこと、古き良き時代の慣習であったのだろう。
ちなみにその頃は、来客にもオールシーズンでコーヒーを淹れていたらしい。
私の勤める現代に、皆でいただくオヤツの時間はないので、私が目指すお茶汲みマスターの道はもっぱら来客向けである。
先ほど、夏はペットボトルから注ぐだけで楽チンだとしたが、冬はそうはいかない。
温かいお茶をお出しするために、ちょっとした工夫が必要なのである。
コンビニで購入した緑茶ティーバッグでも、工夫次第でとても美味しく淹れられる。
沸騰した熱いお湯を使って、湯飲みと急須を温める。
お湯の量や、ティーバックを振る回数、そのタイミング等、あらゆることに気をまわしていくと、信じられないほど美味しいお茶が出来上がる。
『良い香りです! ……高級な茶葉をお使いですか?』
たまたまパッケージの相談にいらしていた、日本茶の会社の方が、心底驚いて言ってくださったことがあった。
私のお茶汲みの腕が、認められた瞬間であった。
だがしかし、である。
この出来のお茶は、私にしか淹れられないのだ。
たまにある私宛の来客や、わたしの不在時の来客には、他の男性社員たちが代わるがわるお茶を淹れて出してくれる。
その味は
……悲しい程、美味しくない。ことが多い。
浄水器を使ってくれていなかったり、沸騰前のお湯であったり、お湯が多すぎたり、ティーバッグを振れていなかったり、などなどである。
とりあえずの体裁は保たれているが、お客様にガッカリされないか心配な時もある。
だけれども
いくらお客様を大切に考えるからといって、私がお茶の淹れ方を皆に教え込む、というのも町工場の在り様としては合っていない。
こうなったら、誰でもある一定レベルに美味しく淹れられるものを使う、というのが良いのではないかと私は考えた。
そして、お湯にすぐ溶ける、スティックタイプの緑茶の利用を社長に提案した。
幸いその案はすぐに採用され、近年は冬に大活躍している。
日持ちもするし、一人分の量も決まっていて、概ね同じお味でお客様に出すことができるようになった。
私は密かに胸をなでおろしている。
来客の人数が多いこともあるし、小さなペットボトルも常備するようになった。
湯飲みや冷茶グラスだと邪魔になってしまうし、何より新型コロナ対策として取り入れられている。
臨機応変にすぐに渡せて、とにかく便利で助かっている。
わざわざ我が社にいらしてくださるお客さまには、いろんな御用向きの方がいてその種類は多岐に渡る。
どの方にも、出来れば良い印象を持ってお帰り頂きたい。
私はこれからも、時代と共に変化する、会社のイメージ向上のために、お茶汲みマスターの技を磨いて行こうと思う。
私だけができているのでは足りない。
さりげなく、皆のお茶汲みスキルも上げていくのだ。
取るに足らない小さなことだが、必ず役に立つ大切な事だと信じて。
***
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