「父からの宿題は、世界平和の祈りだった。」
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記事:ひーまま(ライティング・ゼミ6月コース)
わたしが2歳半の時に大阪から広島へ父の転勤で引っ越してきた。父は大阪中之島にあるロイヤルホテルに勤めるホテルマンだった。そしてフロントガールだった母と結婚し、昭和36年に「広島グランドホテル」の開業準備のために広島へきた。
広島へ転勤が決まった時、母は「50年は草木も生えないといわれている広島へ引っ越すのは本当に嫌だった。」と後年話してくれた。
世界で初めて原子爆弾が投下された広島は戦後16年が過ぎて、復興の真っただ中だった。
ベルボーイからの叩き上げだった父は、平和公園の中にあった「新広島ホテル」で当時の広島市長から可愛がられ、ホテルマンとしての仕事の合間に、平和活動をするようになっていた。
「平和の灯奉賛会」に参加して、街中で拡声器を片手に募金を募る若き日の父を今でも思い出すことができる。
幼い私は、夜な夜なお酒を飲みながらの父の平和談義を聞かされたものだ。
「いいか、ひろみ。世界は絶対に二度と原爆を使ってはならん。 たった一発の原爆で14万人もの人が犠牲になったんだ」
「世界は恒久平和の実現をしなけりゃならんのだ」
わたしは、「うんうん。ひろみ絶対にげんばくしません」
「世界は平和になります」みたいに受け答えしていたような気がする。
父の平和への思いは熱かった。鹿児島で幼少期を過ごした父の家訓は「敬天愛人」西郷隆盛を心から信奉していた。
お酒が入るとよく「わが胸のもゆる思いにくらぶれば、煙はうすし桜島山」とうなっていた。桜島の火山ような熱さが父にはあった。
その父がホテルマンをしながら夜のお店を開店したのが私が7歳の時だった。そのムリがたたって父は身体をこわし、3度に渡る大手術の末に生死の境をさまよったときである。父はとある宗教に出会って、私たち家族を置いて出家したのだ。
「わしはもう先が長くないとわかってる。いま出会った神様は本物だ。家族4人を救うよりも世界の人々を救いにいきたい」
「家族は今日で解散だ」
「!!!!」私たち家族、母、妹、弟には返す言葉もなかった。
当時、母が夜のお店の切り盛りをしており、私はまだ中学生だったが、家事と妹、弟の世話をしながらなんとか家庭を保っていたのだった。
母はその時小さな声で「やると決めたからにはしっかりやったらええわ」と言ったような気がする。火山をしのぐほどの想いを持った父に対抗できる言葉はなかった。
父は「神様がお前たちを守ってくださる。大丈夫」そんな言葉を残して出家していった。その後の父の活躍は別の意味ですごかった。
当時その教団の信者さんは200人ほどの規模だったけれど、父は出家と同時にホテルを退職し人救いに邁進して、半年もたたずその教団の指導者になっていた。父の話と実行力はずば抜けていた。
病気の人が癒され、経済的にどん底だった人は仕事に恵まれるような奇跡的な出来事が次々に起こっていた。
15歳の私は、父と母の間に入ってその教団に通ったり、家事をこなしつつ、幼い弟の世話に明け暮れていた。内心、家族は救えないのに他人なら救えるんだ。という事実に反感がいっぱい。
神様はいったい人類に何を希望しているのだろうか?
父は信仰を得て、今にも死にかけていた状態をすっかり抜けだした。
手のひらに山のように毎食後飲んでいた薬はすべて捨ててしまっていた。仕事と夜の店の経営で身も心もボロボロになっていた父は悪鬼のような人相だったが、私には信じられないことに父は笑顔で多くの人を救っていった。
私には父の笑顔がまさに神様の存在を感じる出来事だった。
父はかねてからの理想をまさに実現しようとしていた。「世界の恒久平和」である。
昭和50年8月6日。
原爆投下より30年目に当たるその年のこと。仏教でも死後30年は大事な年にあたる。 「今こそ悲劇の広島から、大ロマンの道を歩み始めよう」 と全国から信者さんを3000人集めて平和公園で大きな祈りの時をつくり、あらゆる宗教団体に呼び掛けて、合同の慰霊祭を挙行した。
世界の平和を祈る宗教が一つになった行事だった。
暑い8月6日。イデオロギーや信仰の壁は取り除かれるのではないか?と感じることさえできた一日になった。
父はその行事を足掛かりに、世界の英知を集めた「人類のための宗教者、科学者の国際会議」を世界で初めて開催することとなる。
京都のグランドホテルを貸し切っての大きな会議だった。
国際会議の開催のために父は様々な国に赴き、科学者、宗教者に参加を呼び掛けて回った。
ある時はバチカンのローマ法王に親書を届けに行くこととなり、世界中から集まっている多くの人のなか、最前列に行くことができて、直接ローマ法王に親書を渡すことができた。
今も振り返ると偶然とはいえないような出来事が連続して起きていた。
そうして、世界中からあらゆる宗教者、科学者が「人類の未来を考える、宗教者科学者の国際会議」に参加してくれ会議は無事に開催できたのだった。
そのまま父の進撃が進んでいたとしたら、どんなに素晴らしかったことだろう。ところが人生は山があれば、谷があり、上り坂の次に来るのは下り坂だったり、まさか! だったりする。
父の活躍は多くの嫉妬や妬みも買うこととなり。その後父は身体を再び壊した上に晩年その教団を追われることとなった。
父は再び私たち家族の元へ帰ってきた。
私はそのとき、神様の声が聞こえたような気がした。
「本当によく頑張った。お前たちのところに父親をかえそう。最後のひと時を家族のもとで過ごしたらよい」天の声は静かに私たちを慰めているように思った。
そうして父は天に帰っていった。
ライティングゼミのおかげで、父からの宿題のように思っていた父の人生を振り返ってあげることができ、私にとってこれが人生の奇跡のように感じる。ライティングゼミ。光を当てることができた4カ月だった。広島より心からの感謝をこめて。
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