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飛び六方で女の道を切り開いた母よ、永遠なれ


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記事:前田三佳(ライティング実践教室)
 
 
「こうやって花道を飛びながら帰っていくのよ!」
母は歌舞伎座から帰ると上気した顔で、猿之助(先代)の飛び六方を真似てぴょんぴょんと跳ねてみせた。
歌舞伎を愛し、とくに宙乗りや早変わりで楽しませる猿之助びいき。
そんなお茶目な母が私は大好きだった。
 
先日久しぶりに娘と連れだって歌舞伎を観た。
演目のひとつは「鎌倉三代記」
舞台では源頼家の家臣である三浦之助の母「長門」が病に伏している。
母を心配し戦場から瀕死の傷を受けながら戻ってきた息子「三浦之助」に、長門は障子を閉め切って会おうとはせず、武士でありながら戦場を離れた息子の未練を叱る。
「最早この世で顔合わす子は持たぬぞ。この障子の内は母が城郭、そのうろたえた魂で、薄紙一重のこの城が、破るるものなら破ってみよ」と言い放つのだ。
 
私は34年前に亡くなった母を思い出した。
膵臓がんを患い入院。もう長くは生きられないと悟っていた時でさえ、母は私を早く帰そうとした。
当時私の子どもたちはまだ幼く、義父に預けての見舞いは気ぜわしくはあったけれど
母とはこれで最後になるかもしれない。
「早く帰りなさい! お母さんは大丈夫だから。子どもたち待ってるでしょ!」
グズグズする私をまるで叱るように追い返す母。
本当は私を引き留めたいはずなのに……。
思えば母はいつも自分を二の次にしている、そんな女だった。
 
大正14年、母は静岡市にある芸者置屋の長女として生まれた。
その母、つまり私の祖母は極貧の農家に生まれたがその美貌を武器に売れっ子芸者として成功。後に旦那(パトロン)を持ち料亭と芸者置屋を開き、母を含め5人の子を産んだ。
母は幼い頃から将来跡を継ぐよう、芸事のすべてをたたき込まれたという。
小学校から帰ると毎日日替わりで舞踊、笛、三味線、鼓、長唄のお稽古。
稽古が嫌いではなかったが、ほかの子のように友達と遊んだり勉強したりしたかった母。
成績もよかったので教師は進学を勧めたが母親の「女に学問は要らない」のひと言で
進学もできなかった。
晩年になっても尋常小学校しか出ていないことを母はずっと恥じていた。
 
母が18歳になると母親が縁談を持ってきた。
しかしそれは結婚ではなかった。
恋愛経験もない母に結婚でもなくいきなり見知らぬ男の妾妻になれという、今なら驚くような話だが、当時の花柳界ではそれほど珍しい話ではなかったらしい。
もちろん母は泣いて抵抗したというが、聞く耳を持たない母親に道は決められてしまった。
 
やがて母は2人の子を授かるが、戦争が激しくなり引き継いだ料亭や置屋も廃業に追い込まれた。芸者から女将として華々しく生きた母親も病に倒れ、まだ幼い子を含め5人の子を残し急逝した。
出征した旦那からの援助も無くなり、母は20代の若さで4人の弟妹と2人の子どもの面倒を見なければならなくなった。
 
ため息しか出てこない、まるで宮尾登美子の小説のような母の壮絶な半生。
だが、ここからの母は逞しかった。
2人の弟妹が高校を卒業すると社会人として送り出し、2人の妹には養女の口を探した。
母自身はシングルマザーとして昼夜なく飲食店で働き、さらに家の一部を旅行会社の事務所として貸し出した。
そこで出逢ったのが私の父である。
父は終戦後3年間シベリアに捕虜として抑留されたのち帰国、その事務所で働いていた。
真面目で子ども好きな父に母は惹かれ、やがて交際が始まった。
互いに惹かれているのは明らかなのに、なかなか煮え切らない父に業を煮やし、母はある日安倍川に誘い出した。
 
「ねえ、結婚しようよ」
ギュッと手を握りながら母はプロポーズしたという。
「うん」
 
「お父さんたら、そう言って真っ赤になったのよ」嬉しそうに母は何度も語ってくれた。
母のすべての状況を理解しながら受け入れた父も潔い。
その後父は戦地から復員していた旦那を単身で訪ね、正式に母と結婚したいと頭を下げ承諾させた。
母は結婚が決まると名取りになるほど稽古を積んだ三味線、笛、鼓などをすべて燃やしてしまった。
「花柳界とすっぱり縁を切りたかった。おとうさんと結婚してふつうの奥さんになるのが夢だったからね」と話していた。
母のことを知る友人知人とも別れを告げて、両親は結婚し上京した。
そうして母は新しい人生を切り開いたのだ。
 
母の連れ子は父の養子となり、私の次に妹が生まれ家族は6人となった。その生活は決して豊かではなかったと思う。
私たちの服も、セーターも母は独学で学び手作りしてくれた。
ささやかでも季節ごとに旬のものを食卓に、大晦日には見事なおせち料理を作りながらも
元旦の朝には着物に真っ白な割烹着姿で誰よりも早く台所に立つ母がいた。
母が夢見た「ふつうの生活」がそこにはあった。
夫と呼べる人がいて、子どもたちがいて、笑い声が聞こえる。
それだけで母は幸せだったのだと思う。
 
これまで私は63歳の若さで亡くなってしまった母の人生を、苦労続きの一生と勝手に決めつけていた。
だがこうして振り返ってみると、なんと大胆に母は自分の道を切り開いたのだろう。
母がいつまでも過去にとらわれて生きていたのなら、父と出会うことも私が生まれることも無かった。
そして娘たちにも孫にも私は出逢えなかった。
感謝の気持ちを今伝えられたのなら、どんなにいいだろう。
 
人は死んでも魂は生き続けるというが、それは子どもたちの中にも引き継がれていく。
不思議なことに私の長女は私を遙かにしのぐ歌舞伎オタで、自らの人生を切り開くことのできる子だ。
着物の着付けも習得し、今日も母のお気に入りだった帯を締めてきた。
リアルに3世代で観ることは叶わなかったが、きっと母も観ているに違いない。
舞台に向かって大きく手を広げ拍手する娘の姿が母と重なり、オペラグラスの中で
仁左衛門が滲んでみえた。
 
 
 
 
***
 
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2023-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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