メディアグランプリ

ショータイムは18時12分


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:記事:まほ(2023年・年末集中コース)
 
 
「ではアジェンダは以上ですね。お疲れ様でした~!」
 
明るい声でミーティングを切り上げながら、私の心はすでに駅に向かって走り出していた。
 
木曜日の16時35分。
赤坂見附のオフィスビル14階。眼下に見下ろす赤坂御所の芝生と同じ、グリーンを基調とした開放感のあるスペースに、1脚ウン万円の椅子が並ぶ。有名デザイナーが手掛けたその場所は、最近はCM撮影にも使われるほどのイケてるオフィスだ。
 
「育休から復帰したんですね! 今度飲みに行きましょうよ」
ドリンクカウンターでなじみの後輩K君が、コーヒー片手に声をかけてくれる。
新人だった彼と同じプロジェクトになったのは、もう5年も前だっけ。すっかり貫禄が出てきたな。
 
「いつでも行く行く、また連絡するね!」
そう言って、いつになるかわからない約束をしながら、7分後に出る丸の内線に乗るために、エレベータホールに急ぐ。
 
エレベーターを飛び出し、オフィスから駅までの坂を駆け下りながら、夕飯のメニューを考える。昨日買ったひき肉と豆腐があるから、息子のおかずは鶏ひき豆腐ハンバーグだな。野菜は冷凍のブロッコリーがあるから、あとはトマトを切れば、栄養面ではギリギリ及第点か。あとはお風呂を洗って、昨日から放置している洗濯物をたたんで……。
 
16時42分。
何とか赤い電車に滑り込んだ。
ワーキングマザー1年生となったいま、コンサルティングの仕事と趣味のことでいっぱいだった脳内メモリは、育児と家事のことでパンク寸前だ。
配属されたばかりのK君と2人で地方に出張し、薄暗いホテルのロビーで夜遅くまで打ち合わせをしたのは、つい最近のはずだった。20年近く続けているアマチュアオーケストラで、オタマジャクシがびっしり並んだ40枚の楽譜と格闘しながら、仲間とともにシンフォニーを奏でたのも、つい1年半前のことだ。
 
仕事でも趣味の世界でも、私はグレイテスト・ショーマンでありたかった。
チームメンバーと喧々諤々の議論を重ねて、お客様が驚くような解決策を導き出すこと。大作曲家が遺した楽譜に命を吹き込み、ホール満員のお客様の耳に届けること。ステージは違っても、どちらも自分たちの表現によってお客様を驚かせることに、大きなやりがいを感じていた。そして、仲間やお客様と一体となって味わう達成感こそが、何よりの喜びだった。
 
 
17時48分。
最寄り駅のホームドアが開く。
過去に想いを馳せている場合ではない。保育園の門限まであと12分。改札を抜けて保育園までの道すがら、仕事帰りのオジサマが立ち飲み屋に吸い込まれるのを横目に、早足で息子のもとに向かう。朝から塗りなおしてないファンデーションは、もうボロボロだ。
 
ふと、車内で読んだ子育てハック記事を思い出す。子どもの言語の発達には、童謡などを歌って聞かせるのが良いとあった。読み聞かせが良いというのは知っていたが、歌って聞かせるのも、語彙を増やすのに効果的らしい。
ふむふむ、発達に良いのならやってみようじゃないか。それに私は元来、音楽が好きだ。会社の二次会カラオケで披露するのは躊躇するが、子どもに聞かせるくらいなら良いだろう。
 
17時57分。
そうこうしているうちに、保育園の門をくぐる。
待っていましたとばかりに飛び出してくる息子を受け止め、手早く上着を着せる。
 
「XXくん、さようなら~。また明日ね」
お迎え時の息子は、空港に降り立ったアイドルそのものだ。ロビーでファンに笑顔を振りまくがごとく、担任の先生や、他の子のお父さんお母さんなど、廊下ですれ違うあらゆる人に、小さなその手を振る。そして私は、ファンの声援を振り切る敏腕マネージャのごとく、速やかに出口に誘導する。
 
18時12分。
抱っこして門を出るなり、息子がぐずり始めた。
疲れたのか、お腹が空いたのか。いや、私だって疲れたし腹ペコだ。今夜は夫の帰りは遅いし、泣きたいのはこっちの方だ。
 
泣きたい気持ちを抑えながら、さっきの記事を思い出した。数少ないレパートリーの中から、記憶をたどって歌詞を口ずさんでみる。フラッシュモブのように歌いだした母に驚いたのか、息子はポカンとしている。すれ違う人の耳に歌声が届かないよう注意しながら、無言の息子を抱いて歩き続けた。
 
保育園の前の坂道を降りて、お気に入りの公園を過ぎたころ、息子が手拍子をしていることに気づいた。抱っこ紐から伸びた小さな紅葉のような手が、リズムに合わせて元気に揺れている。その手は子タヌキの太鼓のように、子気味良い音を鳴らし続けた。
 
「そうか、この子は私の表現を受け取ってくれたのか」
とても上手とは言えない歌は、たった1人の小さな観客の心に届いていた。確かに、仕事や趣味のステージからは遠ざかったかもしれない。しかし、私はステージから降りたのではない。新しいステージに上っただけだったのだ。それからというもの、保育園の送り迎えは、私のショータイムになった。
 
たった一人のお客様に喜んでいただくため、稽古の日々が始まった。新人歌手というもの、まずはお客様のリクエストに応えるのが大事だ。それまでクラシック音楽ばかりだった音楽アプリのお気に入りは、NHKの某幼児番組の曲で埋め尽くされた。
なかなか歌詞が覚えられず、オリジナルの歌詞を創作してしまうこともしばしばだった。しかし、そんな新人にもお客様は寛大で、保育園からの道すがら、いつも楽しげに手をたたいてくれた。もう、発達のことなんて気にしていなかった。息子と過ごす夕方のショータイムは、かけがえのない親子の時間になっていた。
 
それから半年が過ぎた。少しずつ仕事にも慣れてきた。
相変わらず、息子は母の歌声に喜んで手をたたき、時には「ヘイ!」と掛け声まで入れてくれるようになった。そう、観客参加型に進化したのだ。
 
再び立派な会議室でプレゼンをしたり、大ホールの満員の観衆の前に立つ日は、もう少し先かもしれない。でも今は、あっという間に大きくなってしまう息子との時間を、歌で埋め尽くしたい。楽しみ尽くしたい。
 
だって私は、グレイテスト・ショーマンなのだから。
 
 
 
 
***
 
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2023-12-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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