ヒーローたちが、クレーンゲームですくい上げてくれたもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:香月佑水(ライティング・ゼミ2月コース)
「ぁー」
昼下がり、ソファーに座って海を眺めていた私は、頭の片隅でその音を拾い上げました。
ついさっきまで子供たちとお昼ご飯を食べていて、今はひとけがないテラス席。
「うあ“―ん」
音が近づいてくる。
波が砂浜に打ち付けられるのを見ながら、ぼんやりと考えていました。
あ、これ子どもの泣き声だ。
急に意識が引き戻され、音の方に首を向けます。
こちらに歩いてくるのは、一緒にお昼ご飯を食べた男子小学生の泣き顔でした。
とっさに視線が、男の子の頭の先から足元まで走ります。
……怪我はしていないみたい。
体に傷がないことに少しだけ安堵しながらも、「どうしたの!?」と慌てるのでした。
この日、私が働いている学習塾の子どもたちを連れて、海の近くにある水族館に来ていました。
塾といえば、勉強の場というのが一般的ですが、私は、学ぶ理由を子どもたちと一緒に考えられる塾にしたいという思いがありました。
そこで毎月、子どもたちの視野や興味の幅を広げるきっかけ作りをしています。
その一環として水族館にやってきたのでした。
みんなで午前のショーを見たあと、お昼を食べた人から自由時間にしていました。
水槽をゆっくり観察したい人、もう一度散策したい人など、それぞれが楽しむために席を立っていき、残っていたのは私ひとりでした。
「クレーンゲーム、僕だけとれなかったぁ」
涙に悔しさと悲しさを滲ませながら、私の後ろを指差し、男の子が打ち明けました。
テラス席の後にある大きなガラス窓を振り返ると、塾生が数人、クレーンゲームの前にいるのが見えました。
とっさに心に浮かんだのは、「どうしよう」という焦りでした。
クレーンゲームと聞いて思い返されたのは、こんなに難しいのか……と思った記憶ばかりだからです。
狙った「獲物」をなぞるアームの優しさに、絶望した記憶しかありません。
ここで物語のヒーローみたいに「じゃぁ、まかせて!」と言えたらどんなに良いでしょうか。
ここは現実だと突きつけるかのように、私の心には代わりの言葉が浮かんできました。
取れないものは……仕方がなくない?
それはそうだけれど、確かにそうなんだけど。
そんな正論が求められてないことなんて、大粒の涙を浮かべる男の子の顔を見れば明らかです。
普段、勉強は教えられるのに、こんな時に何を言えば答えなのかが分かりませんでした。
満点とはいかなくても、部分点がもらえる答えですら思い浮かびません。
おそらく、自分には宥めることしかできないでしょう。
暗くなる気持ちとともに、口を開きかけたときでした。
「どうしたの?」
場の空気をカラリと変える明るい声がしました。
顔を上げると、塾生の中学生の女の子がいました。
彼女は事情を聞くなり、
「え? そうなの? ねぇ、もっかい一緒にやってみようよ。まだみんないるよ」
言いながら、男の子に目線を合わせるように膝を折ったのでした。
そして、笑顔で男の子に手を伸ばします。
「いこう!」
ヒーローのような優しい笑顔の前には、それ以上の言葉は不要でした。
その証拠に、男の子は目元をグシグシこすると、彼女の手に小さな手を重ねたのでした。
「よし!」と彼女は颯爽と立ち上がり、手を繋いで歩きだしました。
私は、潮風にポニーテールを揺らしながら歩く後ろ姿を、あとから追いついてきた衝撃を感じながら、ただ見つめることしかできませんでした。
再び静かになったテラスで、心が騒ぐのを感じていました。
数年、塾に通っている彼女の初めて見る姿だったからです。
だって、二人は同じ塾にいるとはいえ、今まで話すのを見たことはなくて。
しかも彼女には弟や妹がいるどころか、一人っ子で。
私の方が普段、子どもたちとは接し慣れているはずで……。
普段の塾の環境では、知り得ない彼女の姿でした。
とても自然に見せた彼女の優しさと笑顔は、私が知らなかっただけで、彼女が本質的に持っていたものでした。
私は持っていないものだと、まざまざと意識させるとともに、助けてもらったのだと改めて理解しました。
男の子だけでなく私の気持ちもすくい上げてくれた眩しさは、まるでヒーローでした。
ヒーローだなんて大袈裟とも言える感情が、心を占めるのには理由があります。
私は教える立場として、数ある塾の中からこの場所を選んでくれた塾生たちに、私情を挟まず平等に教えることを心がけてきました。
思考のクセなど、知っておいた方がいいことはあるので、教えることと塾生の内面を知ることに関係がゼロとまでは言いませんが、関係ないと思ってきていました。
今日の水族館にしても、塾生に少しでもいろんなことに興味を持って欲しくて、学ぶ理由を見つけるきっかけになればいいなと思っていたのであって、私が塾生のことを知るためではありませんでした。
そもそも、普段顔を合わせていて「知っている」と思っていた塾生たち。
年齢も学校もバラバラな塾生たちと一緒に活動をする場で、知らない面を見ることになるなんて思ってもいませんでした。
塾生たちの優しさや、私には感じられなかった感性に触れる場面と出会うたび、湧き出る思いは尊敬でした。
先生と生徒という上下関係はあくまで勉強の面だけにすぎないことを、私にとって当たり前であり続けたい、自分だけでは気づけなかった未熟さをすくい上げてくれたのは、子ども達でした。
「せんせー!!」
男の子が二人、駆け寄ってきます。
「これ、このお兄さんがくれた」
あれだけ泣いていたのは見間違えだったっけ? と思わず自分の記憶力を疑ってしまったくらい笑顔になった男の子が、私の目の前に手をズイっと出します。
握られていたのは、手乗りサイズのイルカのキーホルダーでした。
すると、隣でお兄さんと呼ばれた男の子も同じく、私にズイっと手を出してきました。
「先生にも、どれか一個あげる」
「え、こんなにとれたの? あのクレーンゲームで?」
俺だけいっぱいとれちゃったし、みんなが喜んでくれたら俺が嬉しいから、と。
今日は私一人じゃどうしようもなかったなと思いながら、目の前のこの子にとって、自分だけじゃなくてみんなも喜んでくれることが、嬉しいことなんだと知りました。
どうしようもなかった私をクレーンゲームですくい上げるように、何度も助けてくれた子ども達はヒーローでした。
「クレーンゲーム、普段もよくやるの?」
「うん、割とやるよ。けっこう得意」
お金の無駄遣いはしていない様子に一安心して、キーホルダーを選びました。
「ありがとう」
早速カバンにつけはじめた私を見て、
「え、そんなに気に入ってくれたの?」
と、満足そうな笑顔を向けてくれたのが私の目には眩しく、心に暖かさが生まれるのを感じながら、風のように走り去る姿を見つめたのでした。
***
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