メディアグランプリ

末期がんのSさんへ「看護師が泣いてもいいですか」


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記事:小宮悦子(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「泣いてしまったらどうしよう」
看護学生のときに実習先で受け持ちの患者さんの最期の時が来ると、いつもこんなことを考えてしまっていた。
もう40年も前の話だけれど鮮明に覚えているのは、はじめてその場面に立ち会うことになった日。末期の癌のSさんは、ある日の実習の終わる時間に意識がなくなった。帰る準備をしていると担当の看護師さんに「明日の実習では会えないかもしれないよ」と声をかけられた。瞬間に私の頭の中に、受け持って1か月の間のSさんのこと、そして「泣いてしまったらどうしよう」という2つのことが飛び込んできた。
受け持ちに決まったときには、末期がんが誤診かと思うほど顔色も良かったSさんは、もともと無口な方で、意思を読み取るのに苦労したことも多かった。痛い、苦しい、気分が悪いなどを表情やしぐさで読み取らねばならず、学生のわたしにはコミュニケーションが難しかった。ぎこちない手つきで血圧を測る私を穏やかな表情で見てくれている日もあれば、睨みつけるように見ている日もある。「今日はどんな風に接してくれるかな」とドキドキしながら病棟へ足を運んだ毎日。
数週間が過ぎたころ、奥様と廊下で立ち話をするときがあった。「お父さんね、もともと無口だから気にしたらだめよ」無口だという情報は得ていたが、改めて言われるとほっとしたというのは嘘ではない。Sさんの病室へ行くことに気が軽くなったせいか、その日以来、言葉をほとんど発してくれないことを承知の上で話かけてみたりもした。もちろん、急に会話が弾むわけではないけれど、笑顔を見せてくれるようになったときには、こっそりガッツポーズをしたこともあった。
ある日、気分も良さそうなので洗髪を提案してみた。すると即、大きく頷いて奥様のほうを向き「おい用意して」とはっきりと言われたのだ。そして、その日からSさんのために何かできると思うと、つらい実習も苦にならなくなった。
奥様は、それからもSさんの代弁者になってくれていたが、「学生さんが受け持ちしてくれるのは嫌ではないみたい」とか「この前、看護師さんが洗髪しようと言ってくれたけど学生さんにしてもらうからいらないと断っていたのよ」など、少しづつ距離が縮まっているのを感じさせてくれた。
病状が悪化しトイレに行くこともできなくなった時期になり、奥様に「お父さんが亡くなったら看護師さんは泣いてくれるのかしら」と聞かれた。この時になんと答えたか覚えていない。覚えていないというより、答えようがなかったのかもしれない。なぜなら私は、看護師は泣いてはいけないと教えられていたからだった。看護師が泣いたら患者さんが不安になる、泣いていたら他の患者さんのことできない、プロなんだから泣いたらだめ……等々理由はいくつかあるのだが、兎に角、ダメだと教わっていた。奥様からの質問の答えは持っていたけれど、その答えに納得のいく説明ができなかった。しかも、質問は学生の私が泣くかではなく看護師が泣くか、ということなのだから二十歳そこそこの私には難題だ。
泣くというのは、悲しい時だけではない。嬉しいときも感動の時も感情の動きによって涙が出るのだ。看護師は患者さんが亡くなっても泣いてはいけないと教わっていた。泣けないのなら、代わりにどんな表情をしていればいいのか、涙をこらえているところは見られてもいいのか。Sさんの「その時」について考えながら過ごしてた。
そして、最期の日は泣かなかった。教えられたことを実行できたのに、不思議と自分に嘘をついたような気まずさがつきまとった。
数日たった頃、奥様から手紙をいただいた。その手紙にはいくつかの思い出話の最後に泣いてくれてありがとう。と書いてあった。
涙をこらえていたつもりがバレていたのは想定外だったが、ありがとうの言葉にあたたかみを感じた。
結局、卒業するまでは泣く勇気がなく、我慢する選択肢を選び、「泣いてしまったらどうしよう」と不安だった。卒業後は、手術室や救急外来などで勤務していたため考えることが多くはなかったのでしばらくは、このテーマは頭から離れていた。
そして在宅介護の仕事へ転職をきっかけに、再びSさんの思い出が鮮明に蘇ってきた。医療従事者も一人の人間として、患者さんである「人」とどう向き合うのかをずっと考えている。今、わたしは訪問看護ステーションを経営している。わが社の訪問看護師には思いっきり泣いてきてほしいとお願いしている。亡くなった悲しみも、精一杯やりきったという思いも込めて泣いてほしい。訪問看護では家庭に入って看護をする。わたしの原点はSさんだ。忙しい看護師と違って受け持ちの学生として病室で長い時間を過ごしていた。無口でも愛想がなくても心が通い合うことも実感できた。私はSさんに育ててもらえたのだと思っている。
 
どちらが正しいかはまだ決められないが、もし、もう一度Sさんに会えるなら聞いてみたい。
「看護師が泣いてもいいですか」
 
 
 
 
***
 
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2024-05-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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