珈琲の、はぜる音
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:西峯 美咲(ライティング・ゼミ日曜コース)
パチパチッ! 珈琲豆が小気味よく、はぜる。
なぜか顔がほころぶ。私の心も、はぜる。
私が珈琲を焙煎し始めたのは、とても不純な動機だった。
当時、付き合っていた彼は、サラリーマンをしながらカメラマンを目指している人だった。
彼は、いわゆる「ものづくり」をしている人たちをとにかくリスペクトしており、私もなんとか彼に認められたい、その一心で珈琲焙煎教室に通い始めた。珈琲焙煎を選んだのは、正直言うと、たまたまだ。
焙煎教室は、閑静な住宅街の中に佇む、古民家をリノベーションしたカフェで行われた。
教室初日。私は既に自分が「ものづくる人」の一員だと言わんばかりに、きどっていた。形から入って、素直に調子に乗るところが、私の悪い癖だ。
「みなさん、今日はよろしくお願いします」
そこに現れたのは、元自衛隊という、キャッチー過ぎる経歴を持ったマスターだった。
頭は丸坊主で、年齢不詳。若者にもおじさんにも見える。マスターは不思議な雰囲気の人だった。
「みなさん、珈琲は生鮮食品です。私の言っている意味が分かりますか?」
マスターは挨拶もままならないうちに続けた。当然、意味は分からない。
どうしよう、とりあえず、目を合さないようにしよう……。
「西峯さん、腐った珈琲を飲んだことはありますか?」
目を逸らした瞬間に当てられた。さすがは元自衛隊。
「いえ……。珈琲が腐っているかどうか、私には分かりません。すみません……」
もう正直に答えるしかなかった。10分前の私よ、きどるのは即刻止めた方がいい。
一瞬、マスターの目が光った気がした。
「いいですか、珈琲は鮮度が命なんです! 正確に言えば、皆さんは腐った珈琲というよりも、酸化した古い珈琲を飲んでいる可能性があります。珈琲を飲むと胸やけがする、とか、珈琲は苦くて飲めないという人は、酸化した古い珈琲を飲んでいる可能性があります!」
マスターの情熱はとどまることはなく、新鮮な珈琲を追い求めるロマンを語っている。熱気がすごい。
「今日は皆さんにも焼きたての珈琲の美味しさを体験していただきます!」
用意されたのは、カセットコンロと小さなフタ付きの片手鍋。そして焙煎する前の珈琲豆。生豆と呼ぶらしい。これだけだ。
「では皆さん。片手鍋の中に生豆を入れて、中火にかけながら鍋を振り続けてください」
言われた通りにカセットコンロの上で、片手鍋を振り続ける。中では生豆がシャラシャラと音を立てる。
5分経過。結構、キツい。これ、本当にこのやり方なの? まさかの自衛隊仕込み!?
珈琲豆は少しずつ色づいているものの、あまりに地味な作業で、想像していた「ものづくる」人には程遠かった。邪念たっぷりの私の脳内は、相変わらず文句ばかりでうるさい。
鍋を振り続けて、9分経った時だった。
パチッ! パチチッ!
鍋の中の珈琲豆が音を立てた。と同時に、マスターが嬉しそうに解説する。
「この音が、1ハゼです。ここから珈琲豆が一気に変化していきますよ! さあ、いきますよ!」
鍋のフタを開閉し換気を行いながら、さらに火にかけて鍋を振り続ける。
鍋の中の珈琲豆が一斉にパチパチッとはぜていく。
珈琲豆のはぜる音が、不思議と私を没頭させていく。しばらくすると、珈琲豆の音が止んだ。私は無心に鍋を振り続ける。次は何が起こるのか。
12分が経った頃だった。
ビチッ! ビチビチッ!
珈琲豆が再び音を立てた。先ほどとは、全く異なる音だ。
「この音が、2ハゼです。さあ、ラストです! あなたが思うタイミングで珈琲豆を仕上げてみましょう!」
珈琲豆がこぼれないように、鍋のフタを開閉しながら、珈琲豆の状態を見る。
ビチビチッと音を立てながら、琥珀色の艶を纏い出す珈琲豆。生きているみたいだ。
私は五感をフルに使って、いつの間にか、鍋の中の珈琲豆と向き合うことに夢中になっていた。
初めて自分で焼いた珈琲豆で淹れた珈琲を飲む。少し焦げっぽい香りはあるが、確実に自分史上、最も新鮮な珈琲だった。とても美味しいし、愛おしい。マスターもとっても嬉しそうに微笑んでいた。
それ以来、私は珈琲焙煎にすっかりとハマってしまった。美味しい珈琲が手に入るからというよりも、焙煎をしている間、無心になって珈琲豆の変化に没頭できるからだ。初めての焙煎から5年経った今も、飽きることなく焙煎を続けている。
珈琲を飲みながらふと、焙煎って線香花火みたいだなと思う。
かすかな音に耳を澄ませ、美しい変化に目を凝らして、ただただ無心に見つめる時間。あの時間によく似ている。余計なことは考えず、目の前にある変化を愛おしいと思える時間。なんて贅沢な時間なんだろうと、今さらながらに気が付いた。
そして焙煎教室に通い出した当初のことを、彼に評価されたくて仕方がなかった頃の自分を思い出す。
あの頃の私は、好きな人にどう見られるかばかり気にして、目の前のことを無心に見つめるなんて発想がなかったよなぁと回想する。きっとあの頃は、線香花火の美しさよりも、線香花火を持っている自分がどう映っているかばかり気にしていたよな、と苦笑いを浮かべる。
残念ながら、彼との関係は線香花火のように、最後は静かに幕を閉じてしまったけれど、彼のおかげで得たものははかり知れない。
私は今、喫茶店マスターの妻をしている。そして今日も珈琲豆のはぜる音に、心をはぜている。
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