メディアグランプリ

大嫌いだった会社に感謝するようになった瞬間


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田村 大輔(ライティング・ゼミ平日コース)
 

「くそっ! くそっ! くそっ! 絶対辞めてやる!」
 

就職で東京から愛知にやって来て1年。壁の薄い独身寮の一室で、僕は声を押し殺しながら叫んでいた。何もかもが上手くいかない。自分の想像とは全く違う社会人生活だった。
 

築40年以上。四畳半押し入れ無し、風呂・トイレ共同、駅まで徒歩30分。壁は薄く、電話をすれば会話の内容はすべて隣人に筒抜け。プライベートを守るために、息をひそめながら生活する毎日。固定され、変化の少ない人間関係。
 

息苦しかった。
 

 

就職氷河期と位置付けられる2004年当時。
 

お勉強が得意なわけでもないのに公務員試験を受験。結果は期待を裏切ることなく一次試験敗退。工学研究科 修士2年の4月末。このタイミングからの就活スタートだ。
 

「この会社とかいいと思うよ」
 

そう言って就職担当の教授が薦めた学校推薦。僕は学内の誰もが見向きしない学校推薦をとりあえず掴んだ。
 

「んー、君、TOEICは400点以下みたいだけど……」
「入社する頃には越えてる予定です!」
 

僕はなんとか就職氷河期を乗り越えた。まさかの1社目、一ヶ月での就活終了。
 

適当につかんだ推薦だったが、蓋を開けてみれば、知る人ぞ知るトヨタ系の部品メーカー。長引く不況で苦しむ会社が多い中、比較的好調だったトヨタ系。会社としても色々な事をやっていますというアピールを沢山目にし、希望に胸を躍らせた。
 
 

だが、現実はそんなに甘くなかった。当時お付き合いしていた彼女には夏を前に一方的に関係を解消される。配属後は職場の女性社員とウマが合わずにイジメられた。
 

ギスギスした人間関係の中でも、せめて仕事が面白ければ救われる。僕は自分の思い描いた製品を形にし、世の中の人に喜んでもらいたかった。しかし、部品メーカーの役割は依頼されたものを具現化することにある。思い描くのは僕ではない。僕のやりたい仕事は完成品メーカーの仕事だった。
 

給料や安定性だけでは満たされないものがあることを、僕はようやく理解した。
 

不況の折、ショボい英語力で転職活動が成功する見込みもなく、かといって会社を辞めて起業する実力もあるとも思えない。現状を嘆き、閉塞感を感じながらもその生活を続けるしかなかった。

 
こんな会社、大っ嫌いだ!! チャンスさえあれば、この環境を脱出してやる!!
 
 

気が付けば10年が経過していた。僕は34歳になっていた。
 

僕はまだ同じ会社にいた。自分でも意外だった。
 

同じように失望を感じた同期の幾人かは、3年目あたりで転職していった。自分も転職したいと思ったが、行きたい会社も、志望動機も、自分のアピールポイントですらも見つけられないでいた。

加えて僕は30歳手前で結婚をしていた。子供も生まれた。家庭を守る家長としての責任。家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。今更、ベンチャーに転職なんて事も出来ない。そもそも30歳過ぎての転職は難しいと言われてる。まぁ、人生、こんなものか。

モヤモヤした思いを胸の奥にしまい込み、僕は色々なものを見て見ぬフリをしながら仕事に打ち込んだ。夜遅くまで残業し、仕事のために土日は勉強し続ける。

家族のために、家族のために、家族のために……

無理だった。

自分が満たされない生活を送りながら、他人を満たし続ける事は不可能なのだ。僕のストレスは妻への不満へと転化されていった。程なく、結婚生活は破綻した。

家族を失い、資産を失い、心を病んだ。心を病むと頭が働かなくなるというのは本当だった。仕事も上手く出来ず、当然、評価も低くなっていった。

気が付けば10年かけて自分なりに積み上げていたものは全て無くなっていた。一体この苦労はなんだったのだろうか……

生きる意味を見失っていた頃、僕は人生の転機を迎える。心理学との出会いだ。きっかけは「嫌われる勇気」という本だ。2014年は世間で「嫌われる勇気」が騒がれ始めていた頃だった。

「嫌われる勇気」はアドラー心理学の考え方をストーリー仕立てにした本だ。ざっくりいうと、「人はどうすれば幸せに生きられるか?」について書いてある。

最初に読んだ時には、難しくて理解できなかった。でも、なんだか大切な事が書いてある気がして、とりつかれたように繰り返し読んだ。

そして、救いの時がやってくる。

自分の状況の「受け取り方」が激変したのだ。

僕は全てを失ったと思っていた。

だが、実際には心の底から望んだものを手に入れていたのだ。

それは自由だ。

離婚して家族を失ったが、同時に家長としての責任からも解放されていたのだ。転職も起業も、自分の意志だけでチャレンジ出来る。お金だって自由に使える。遅くまで飲んで帰っても誰かに気兼ねすることはない。

だったら最初からそういう生活をすればよかったじゃないか? 単に遠回りしたのでは? と思うかもしれない。

だが、そうではない。

僕は人生において結婚と子供を持つという経験を手にしていたのだ。この経験が無かったら、多くの人が経験することを経験出来なかったという、後悔を抱えて生きていただろう。経験が僕を後悔から解放してくれているのだ。

そして更に数年後、人生には思わぬ事が起こる。

興味をもって学び続けた心理学は講師が出来るレベルに到達していた。そして、この会社はその時点では珍しく、副業を認めてもらえる会社だったのだ。今、僕は会社員を続けつつも、個人事業主として企業研修等を請け負う仕事もしている。まさかの起業を成し遂げたのだ。

辛い事も、嫌な事もたくさんあった。でも、僕は今、とても幸せだ。
状況は変わらなくても、人生は「受け取り方」一つで激変する。

僕はこの会社に入社する事が出来て、本当に良かったと思っている。


2018-09-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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