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恋愛至上主義の女がひとり親になって改めて思うこと~離婚の理由~


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記事:P.N.恋したいウサギ(ライティング・ゼミ特講)
 
31歳、独身、個人事業主、娘あり。
世間でいう“バツイチ子持ち”。その上に定職に就かない三十路を越えた女が、改めて離婚をした理由が一体何だったのかを見つめ直した結果を記しておこうと思う。
 
私は24歳で結婚し、26歳で娘が生まれ、30歳で離婚をした。長い年月を重ね、年老いて仲睦まじい夫婦になるのが理想だった。元夫とは、現在も“娘の親”としての交流もあり、仲が悪いわけではない。そして、籍は抜いたが、名前を旧姓に戻す選択はしなかった。じゃあ、なぜ離婚したのか?
 
「好きな人と一緒にいられるだけで幸せ」
まるで夢見る中学生のようだが、三十路を過ぎた今でも本気でそう思っている。
 
そう、何を隠そう私は“恋愛至上主義”なのである。
 
例えば、特に興味がなかったミュージシャン、アニメ、歴史物の漫画など、好きな人が好きなら「知りたい!」と思う。私自身が「誰かを好きだ」ということは、今までの自分では引っかからなかったような好奇心のアンテナが立ち、新しい世界を知ることが出来る。それに、そんなに好きではないことに対しても「楽しい!」と前向きに取り組むことが出来るようになる。全てにおいて良いパワーになるのである。
 
そんな恋愛至上主義な私が離婚を考え出したのは、2年前。元夫は転勤族で、転勤辞令がキッカケだった。いつもなら、どんな状況でも間違いなく「ついていく」という選択しかないはずなのに、当時の夫から連絡をもらった時「ちょっと考えさせて」と言っていた。
 
夫もそんな返答が返ってくるとは想像もしていなかったから、動揺していた。その日から毎晩、送別会で遅い夫の帰りを待ち、日を跨いでの話し合いが始まった。
 
この転勤を伝えられる2ヶ月程前から、ちょっとしたことで喧嘩をしていた。
結婚した時に決めていた2人のルールに「喧嘩を翌日に持ち越さない」というものがあったので、毎度仲直りはしていたが、今思えば全然お互い本音を言えていなかったように思う。
 
思い返せば、1年程前から会話をすることはあったが、話しをすることがなくなっていた。
 
平日の夜、娘が寝静まった後に帰ってくる夫は、準備されたご飯を食べ終わると食器も片付けることなくソファへ寝転がり、テレビを観ながら、携帯ゲームをする。私は夫が食べ終わった食器を洗い、家事の残りを済ませたら、明日の子育てに向けて就寝する。その間に、たわいもない会話はある。会話のトピックスは主に娘関連の話で、あとは家族間の業務連絡。
休日は、私が個人事業主として少し仕事をしていたので、平日に出来ない1人で集中したい作業や息抜きをするため、日中は夫が娘を連れて遊びに行ったりすることも多かった。もちろん家族で丸一日過ごすこともあるし、休日の夜ご飯はほとんど3人で食べていた。その時も会話はあった。話が出来るようになってきた娘を中心に、繰り広げられるものだった。
 
私たちは“目と目を合わせて、お互いのことを話す”ということが、ほとんどなくなっていたということに、気付いた。そんなことは、夫婦として何十年も寄り添っていくのでれば、そんな時期もあるのかも知れない。でも、その“目と目を合わせて、お互いのことを話す”ということは、私にとってはとても重要なことだったのだ。
 
そして、幾度となく「たまには2人とも携帯電話を置いて話す時間を作ろうよ」と夫に訴えていたのだが、あまり重要視されていなかったようで「そうやな」と同意するものの行動に移ることはなかった。
 
きっと、もっと早くに私の訴えを詳細に伝えていれば、夫も向き合ったと思う。言葉足らずのまま時間が経過したことで、気持ちも離れてしまい取り返しのつかないラインまで来てしまっていたということは、自分でも気が付くのが遅かった。
 
気が付いてしまったら、私の中では、もう選択肢は一つしかない。
 
大人にもなれば、恋愛は諦めて家族としての付き合い方を考えることや、日本の法には触れてしまうが、夫とは別に彼氏をつくるというのも選択肢にはなり得る。もう一度、夫との関係性を育み直すというのが、一番理想ではある。けれど、頑固な性格を持ち合わせた私には「離婚する」という選択を曲げることが出来なかった。
 
夫とは約1年間、話し合いを重ね、同意した半年後に籍を抜くことになった。現在は離婚して10ヶ月が経とうとしている。
 
夫は転勤の際に単身赴任をしていたので、娘と2人の生活は変わらず、苗字も変えなかった。個人事業主として仕事は少しずつ増えてきたが、定職に就くよりも不安定だし、続ける以上はこの先も安定はない。もはやギャンブルであるとも言えるだろう。
 
それでも、私は自分のやりたいことをしたいし、娘との時間も楽しみたい。娘にとっては、ちょっと変わった親子関係だと思うし、これから先に私たちの関係を理解した時は戸惑うこともあるかも知れない。今後どうなるかは分からないけれど、自分の選択に後悔しない人生を生きている姿を、娘にも感じてもらえたら、と思う。
 
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2018-10-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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