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メディアグランプリ

「みんなと同じ」という名の魔境を生きることについて


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
元オアシスのノエル・ギャラガーは、日本人のインタビュアーに「日本人の印象はどうですか?」と聞かれ、
「日本人は好きだが、インタビューでそんなことを聞いてくるのは日本人だけだ」と答えたらしい。
「アメリカ人もドイツ人もベルギー人もフランス人もそんなこと気にしないのに、世界中で日本人だけが、自分たちの印象を聞いてくる」
と。
これを読んだのはもう何年も前の話になるが、なんて痛快なエピソードなんだろうと思わず笑ってしまったと同時に、「他人からどう思われるか」を何より気にする日本人の気質は私にも確かに備わっているではないかと自分を省みたことを覚えている。
 

私にとって、他人の目が気になるもの。
ひとつ例を挙げるとするなら、それは「体型」だ。
 

今年引退した安室奈美恵のファッションをコピーする「アムラー」が社会現象になり、多感なローティーンとしてその波に乗っていた私は、ある瞬間に「このファッションは痩せているからサマになるのだ」と、気づいた。
その時から、「痩せているは正義」が私の信念になった。
「太っていると思われないかどうか」を常に意識して生きるようになった。
 

知識も美意識も育っていない私のダイエットは、常にハードモードだった。
ある時は、りんごダイエットで骨身を削り、またある時は、怪しいダイエット食品に手を出して体調を崩した。(その通販会社は数ヶ月後、ダイエット食品に下剤を混ぜて販売したことで莫大な健康被害を出し、警察に検挙されて新聞に名前が載った)
断食を敢行し、普段は苦手で食べられない「ふきのとう」をテレビで見てヨダレが出た時には、人間の生への執着の凄まじさを知った。
そのようにして私は痩せたり太ったりを繰り返したが、結果に満足することはなかった。
48キロでも58キロでも、同じように、また同じ程度の強さで「痩せたい」と、思っていた。
58キロの時は「53キロが私のベスト体重なの」と思ったし、48キロの時は45キロのモデル体型を夢見た。
年頃になって恋人ができても、その誰もが私に「痩せろ」とは言わなかった。むしろ、「今くらいがちょうどいい」と、多くの人は言ってくれていたように思う。
それなのに、私は「痩せたい」をやめなかった。
ダイエットをやめなかったというより、「痩せたいと思うこと」をやめなかったのだ。
失恋すれば、原因は他にあることは明らかなのにも関わらず、「痩せて綺麗になって見返したい」と必ず思い、修験者のようなダイエットに励んだ。
私は一体、何と戦っていたのか。
 

まず一次的に、それはおそらくメディアだ。
日本は、単一民族国家である。
だから、程度の差はあれ、似たような骨格を持ち、同じ「肌色」をしたタレントや女優は皆同じようにスリムで、それがまた同じDNAを持つ国民の美の基準を作っているということ。
本来、何に対して美しさを感じるかは人それぞれなのだけれど、同じ類型のものを見続けると、人は不思議とそれを「美しい」と感じてしまう。そして結果的に多くの承認を集め、似たように痩せたタレントを生む。
本当は日本人にも様々な体型の人がいるけれど、テレビや雑誌に出てくる「代表例」が皆同じように痩せていると、それを正解だと思ってしまうのは自然な流れだ。
そして、似たような「代表例」を正解とするということは、潜在的には「みんなと同じ」を正解とすることに他ならない。
だから私も、ほんとうは「みんなと同じ」になりたがっていたのだと思う。
たったひとりからの愛を得ることより、「みんなに認められること」の方が、恐らく安心だったのだ。
どれだけ「個性的」なファッションやメイクを目指しても、それは類型を大きく外れてしまえば承認を得られない。そのために、ベースとなる部分で、「みんなに受け入れられる、みんなと同じ要素がほしい」そう、強く思っていた。大きな瞳に白い肌、大きな胸、それからスリムな体。自分の色を塗るのはそれからだ。そんな風に思っていた。
「みんなと同じ」は、ある人にとっては、「居場所」だったのかもしれないが、私にとっては、「人より勝るための基礎」だった。
 

そんな中で、タレントの渡辺直美の台頭は衝撃だった。
彼女はたしか、テレビに出始めの頃はただ外国人歌手のコピーをする太った女芸人のひとりだった。
それが、自分の特性を生かしたファッションやヘアメイクをSNSで発信するうちに、「インスタの女王」と呼ばれるようになっていた。
太ったタレントには、昔から同じ枠が与えられていたように思う。食べるか笑わせるか、その両方か。愛されはするが、尊敬を集めはしなかった。許されはするが、カリスマにはなり得なかった。
そんな常識を、彼女は大きく変えた。自分自身のあり方を、「コピー」から「オリジナル」に変えることによって。
今やおしゃれなファッション広告の中心に立ち、その広告自体がクールなものとして成立している。先日も、外資系高級ブランドの広告塔を勤め、モデルなのに太っていることでアカウントを炎上させながら「まだまだこれからよ」と煽っていた。そしてそこには、彼女に賛同するコメントが多数寄せられていた。
SNSの登場でメディアが多様化したことも大きな要因だとは思うけれど、思えば「社会現象」というものが、昔のように起きなくなっている。
これは、ひとつのものを正解とする世界の終わりであり、ひいては「みんな」という概念の解体の予兆なのではないかと思う。そうなれば、私が拘泥していた、勝つだの負けるだのの世界も緩やかに古びてゆくに違いない。
 

それぞれ違った人間として生まれながら、「みんなと同じが正解」という概念を持って生きることは、地獄を生きることだ。
そのことに、たぶん私たちの世代は気づきはじめている。
体型、年齢、学歴、所属先。そういうものに拠り所を見出したり、人を判断する時代はたぶん終わって行く。私を含め、多くの人が時代を超えて苦しんだ呪縛は、たぶん時を経て振り返った時に、とてもあっけなく映る。そんな気がしている。
 

新しい時代まで私が生きているかどうかはわからないけれど、そうなった時にようやく、本当の「クール・ジャパン」が始まるのだと思う。
***

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2018-11-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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