私が、メイド喫茶で会えるパンクキッズだった頃の話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ 木曜コース)
「おかえりなさいませ、ご主人様」
ブランドもののメイド服に身を包んだ私を見て、友人は周囲も憚らず大爆笑した。彼が笑うと、ピンクのタテガミが雄鶏みたいに揺れて、身体のあちこちで金属製品がじゃらじゃら音を立てた。
他のお客さんは、見てはならないものを見たような顔をして彼を遠巻きに観察している。
時は2005年冬、私はとある電気屋街にある某・メイド喫茶で働き始めたばかりだった。テレビドラマとして放送された「電車男」が社会現象になり、おたくカルチャーが脚光を浴びると同時に、街のあちこちにメイド喫茶が乱立したちょうどその年だ。暇で勢いだけはある短大生だった私は、仲間内のネタとして(罰ゲームだったかもしれない)メイド喫茶の面接に行った。
ぼろぼろのダメージデニムにドクターマーチンを履き、
「ノリで来ました。趣味はパンク音楽です。遅刻はしません」と会場で言い放った私を、社長は何を思ったか採用した。今思えば、社長の人事こそ、ノリと勢いだったような気がする。
その翌年に就職し、10年以上の社会人生活を経て振り返れば、あんなものは仕事でもなんでもなかった。
文化祭だ。毎日、文化祭のような気分で「お屋敷」へ出勤し、ご主人様へ「お仕え」していた。おそらく、天真爛漫に振る舞う若い女の子たちの姿を「展示」することと、その女の子たちとコミュニケーションを図れることをコンテンツにするという裏の意図があったのだろう。店のルール自体も非常に緩かった。私たちバイトのメンバーは、飲食店なのに爪を派手に塗り、制服を好きに着崩し、お客さんにも平気で毒舌を吐いていた。(メイドなのに)
経営する会社の母体がゲームセンターだったので、ゲームセンターの上の階にその店はあった。おまけに、もともと倉庫だった場所を取り急ぎ改築してオープンさせたらしく、店には扉がなかった。だから、常に尋常ならざる騒音が店内には響き渡っていた。
さらに気になるのは、もともと倉庫だった場所をお金をかけずに飲食店に改築した場合、キッチンはどうするのか、という問題である。キッチンは無かった。
調理は、通称・アリスちゃんが担当していたのだが、調理器具は、アリスちゃんが自宅から個人的に持ち込んだ電子レンジと電気コンロとフライパン1個のみだった。基本的にはすべてレンジでチン。オムライスの卵だけ、フライパンを使って調理していた。アリスちゃんは、オムライスを卵で包むスキルだけを着実にあげてゆき、「家庭で娘にも作ってあげた」と、満更でもなさそうだった。ちなみに、アリスちゃんとは、いきなり社長からメイド喫茶の店長になるよう命じられた、ゲームセンター社員の38歳の男性(元ヤンキー)である。
そういう裏事情のまずさを隠したい心理もおおいに働いて、お客さんから
「ご飯は君たちが作ってくれてるの?」
と聞かれる度、
「アリスちゃんって子がキッチン担当なんですけど、アリスちゃんは顔出しNG
なんですよ」
と、答えるのが習わしになっていた。
で、そんな運営体制だった店は、オープンから3ヶ月で潰れた。
2005年の暮れにオープンして、2006年のバレンタインデーに閉店した。
会社としても、そんなに長く続ける予定でもなかったのかもしれない。そもそも私自身が、ノリと勢いだけで、冷やかし半分に始めたバイトだった。
だから、何の未練もないはずだった。それなのに私は、店が潰れて寂しかった。
最終日、いつからか「食べ物に入らないように」と、マニキュアを塗らなくなった爪を眺めて、失恋したような喪失感に襲われていた。すこしずつ育ち始めた責任感と、結束を固めつつあった仲間と、何より私が私でいてもいい場所を奪われたような気がした。そしてそれを気まぐれに私たちに与えて、気まぐれに奪った(ように見えた)大人に、軽い憎しみさえ抱いた。
バイト仲間と別れた帰り道、商店街の自販機で煙草を買った。ものすごい底冷えのする、深夜近くのことだ。下品な姿勢でしゃがみこんで取り出し口を弄っていると、後ろに人が並んだので、振り返った。常連のお客さんだった。
メイドさんじゃなくなった私は、いつものダメージデニムの下に真っ赤なタイツを履いていて、おまけにうんこ座りで煙草を買っている。いちばんお客さんに見られたらまずい姿ではないかと思って一瞬ひるんだけれど、「どうせ今日で閉店だし、いいか」と、開き直る気持ちもあった。
「ああ、こんばんは」
平静を装って私は言う。
「ああ、愛ちゃんか。今日までおつかれさま」
お客さんは私の「メイドらしくなさ」には一切触れず、穏やかにそう言って、自販機に小銭を入れた。
「まぁ、べつに、うちが潰れても似たような店はほかにあるしね」
照れ隠しに言った私に、彼は答えた。
「でも俺、あの店好きだったの。みんなが素顔でいる雰囲気がよかった。愛ちゃんは、周りをよく見てる子だなと、思ってた」
そう言われて、私は不覚にも泣きそうになった。
責任感が生まれたのが遅すぎて、私はこのアルバイトでやり残したことだらけだと思っていたらから。だから、そんな風に思ってくれている人が一人でもいたことで、救われたような気がしたのだ。
せり上がってくる涙の気配を押し留めるために、少し大げさなくらいに、私は頭を下げて言った。
「今日までありがとうございました」
いつもこの言葉の代わりは、「行ってらっしゃいませ、ご主人さま」だったな、と思いながら。
毎日が文化祭みたいだった。
何もかもが未熟で、無責任で、ただ楽しいだけで、ふわふわとした高揚感を超える、手応えのようなものがなにひとつとして無かった。
しかし紛れもなく、あれは私にとっての初めての職場体験だった。
サービスを買ってくれた人に感謝の気持ちを持つことは、ものすごく極論すれば、自分を生かしてくれた人に感謝の気持ちを持つことと同じだ。
そんな感覚の尻尾を、私は初めてのアルバイトの最後の最後で、やっと掴んだ。
あれから12年が経ち、また似たような冬が来る。
私は長らく従事した販売業を2年前に辞めて、ライティングという新しいことへ挑戦しようとしている。
でもきっと、初心へ立ち返りたくなった時には、あの冬のことを思い出そうと思う。
お客さんが口にした心からの言葉と、それに対して私が抱いた感謝。何かをお返ししたいと強く思ったあの気持ちを、きっと思い出そうと思う。
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