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メディアグランプリ

粋な計らい


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:井上 知子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 

「親父が危篤になった。直ぐに帰ってきてくれないか?」
福岡に住む兄から一本の連絡があった。地下鉄の中で着信に気づいたとき、なぜか「取らなくては」と思い、途中下車した。パニックと冷静さが混在する感覚。次の仕事へ移動中の出来事だったが職場に連絡し、福岡行きの最終便に乗り込んだ。
 
この3日前、偶然にも私の誕生日に父から電話がかかり、私の今後について一方的に話出した。認知が始まっていた父は認知症状が出ている時とそうでない時が交差するように起こっていたが、この時は今までと変わりのない父の声だった。この日、私と父の大親友の北口さんに電話をしていたらしい。皮肉にも父は私の誕生日の夜から具合が悪くなった。
 
翌朝、家族がそろった段階で担当医から父の状況が報告された。
あまりにも急なことで母は全く理解できていない。家族の誰もが信じがたい話に耳を疑った。
「そんなに簡単に死ぬわけがない!」と言いながら親戚と大親友の北口さんには連絡した。80歳を過ぎた北口さんは心臓、前立腺を患いながら千葉から駆けつけてくれた。
ほとんど意識のない父だったが医師は「話しかけて起こしてください」と言っていた。
意識が戻った父は自分がなぜチューブを通されているのか理解できていなかった。
医師から耳元で状況を説明されるとようやく落ち着いた。北口さんがいることにも驚いている様子だったが、感の良い父は北口さんが見舞いに来るということはどういうことか察したのではないかと今となっては思う。
残暑厳しいお盆の真最中、北口さんの復路の新幹線の指定席は取れず、自由席の通路に立っていたが奇跡的に目の前の人が降り、座ることができたと連絡をもらった。
 
父が危篤になって数日が経過した。外せない用があり日帰りで東京に戻った数時間後、連絡が入った。
「直ぐに戻りなさい」という緊張感のある言葉に「お願い、間に合わせて」と羽田に向かった。カウンターで早い便に変更してもらう理由を話すと早急に対応してくれコードシェア便に乗せてくれた。しかも搭乗券のシート番号とは違う乗降扉に近い前列シートに案内してくれた。ANA・スターフライヤーの方の配慮と父への心配な気持ちが交差し、涙をぬぐいながらのフライトになった。
 
なんとか間に合った。しかし病院に駆けつけると父はICUからすでに個室に移っていた。
担当の医師は「ご家族でゆっくり過ごしてください」と言葉を残したらしい。
それでも家族は「そんなに簡単に死んでたまるか?だよね~」と言いながら
「これから数日は続くだろうから今夜は家に戻ろう」と口を揃えていた。
私はそれになぜか頷くことができなかった。姉が母を連れて帰宅し、私は病室に残ることを選んだ。二人だけになった病室で誕生日の電話のことを振り返っていた。あの夜から具合が悪くなったこと。バツイチで、会社員を辞めフリーランスで働いている末っ子の私のことが気がかりだったようで、父としてそして経営者として私に助言する話だった。
今度は私が返事もない、聞こえているかもわからない父に、一方的に話をした。
意識のない終末期でも耳は聞こえているということを聞いたことがある。私はそのことを信じた。
 
元気だった時の父に話をするのはとても緊張した。鋭い直観力を持つ父、すべてを見透かされているような感じがしていた。父の背中をみて育った。父が咳払いをすると私たち兄弟は喧嘩がピタリと止まるほどだった。
しかし愛情表現下手だけど優しい人でもあった。そんな父のことは怖い存在でもあったが尊敬していた。
この日は心の内を正直に、思い存分、悔いなく話すことができた。私はソファーに横たわって眠りに落ち間もない時だっただろう。
「ピッーピーピッー」とベッドサイドモニターの乱れた音が鳴り響き、看護師さんが急ぎ足で部屋に入ってきた。
「ピーーー」あっという間に父は息を引取った。
 
その後というのは悲しみにふける時間は母にしかなかった。
兄を中心に葬儀の準備を着々としていった。父の葬儀は社葬で執り行うことになり、葬儀会社の江藤さんとも何度も打ち合わせをした。江藤さんはてんてこ舞いになっていたが、「司会者はベテランの方ですのでご安心ください」と残暑厳しい中、汗を拭いながら話してくれた。
司会者の方は私たち家族に葬儀の流れ、ご焼香時の礼の仕方や孫代表の手紙などきめ細やかなアドバイスをくれ、おかげでお通夜は事なき終えた。次の日の告別式でもベテラン司会者は、父と孫たちとのエピソード話で涙を誘った。お陰様で社葬でありながらも温かみのある告別式となった。
沢山の方にご焼香していただき、最後に柩に別れ花を入れる時になった。
ベテラン司会者から「最後まで凛とした姿勢で」とアドバイスをいただいていたが、父の好きだったカサブランカの花を手向けたとき、さすがに涙が溢れ出た。
泣きながら戸惑っている孫たちに
「カズキ君、お爺ちゃんに大好きなお酒を飲ませてあげて」
「ショウゴ君ゴルフの帽子はここにおいてあげたら?」
導いてくれていた。
故人にとって目の中に入れても痛くない孫たちだっただろうと更に周囲の涙を誘っていた。
その時である
「ほらほら、ケンゴちゃん!手紙をここにいれてあげて」
「ケンゴちゃん??」耳を疑った。
「ケンゴ……ここで眠っています。本人です」と柩に眠っている父を指さし、私は口にしてしまった。
そう、ベテラン司会者は最後の最後で孫の名前と父の名前を言い間違ったのである。
「ショウゴ、ケント、カズキ、そしてケンゴ」紛らわしいといえば紛らわしいが父の名前を使って名付けたのだから仕方あるまい。
悲しみのクライマックスの時間がまさかの泣き笑いとなった。
 
「あの時、最後の最後で間違っちゃったね~」と井上家では語り継がれる思い出の笑い話となっている。
 
しかし、私はこう思っている。
「父が私の誕生日に電話してきたことも、親友の北口さんが奇跡的に座れたことも、最期の柩の別れ花の時に泣き笑いのハプニングになったことも、すべてが父の粋な計らいだ」と。
照れながら微笑んでいる父の顔が浮ぶ。

 
 
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2019-03-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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