コーヒーの苦味が、おいしくなるとき
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:江原あんず(ライティング・日曜コース)
「カプチーノ、ください」
カフェでカプチーノをオーダーするとき、私には、記憶から引っ張り出して思い出してしまう景色がある。それは、地球の反対側のオーストラリアに住む、血の繋がらないおばあちゃん、ジュディと、初めてコーヒーを飲みに行った日のことだ。
今では、自分のどこにそんな勇気が眠っていたのだろう? と不思議に思うけれど、10年前、若くて怖いもの知らずだった私は、1年間、高校生の身分でオーストラリアへ単身留学をしていた。
ジュディは、そのときにホームステイをさせてもらった家族のおばあちゃんで、普段は別の場所に住んでいたものの、親戚の集まりで会うたび、可愛がってくれた。
コームで整えられた金髪のほそい髪、手入れされたネイル、アイロンがかかったシャツ……丁寧な暮らしをぎゅっと詰めたみたいな身なりをした人で、ハグすると、陽だまりのような淡い洗剤の香りがして、鼻の奥がキュンとなった。
当時、私の留学生活はかなり不調だった。好奇心だけをカバンに詰め、勢いよく飛び立ったものの、ネイティブの話すスピードについて行くことがまるでできなかった。
「今日はいい天気だね」とか「そのスカートかわいいね」など、表面上の会話をぽつりと交わす知り合いはできても、胸を張って友達と呼べる人は、1人もいなくて、孤独と焦りが心を支配していた。それなのに、その気持ちを英語でどう表現していいかさえもわからなくて、私は笑顔の仮面を貼り付け、なんとか毎日をやり過ごしていたのだった。
ジュディには、すべてお見通しだったのだろうか。
ある日曜日、「コーヒーを飲みに行こう」と誘い出された。
16歳だった、きまじめな私は
「コーヒーは、苦いからあんまり飲んだことがなくて……。好きかわかりません」
と、つたない英語で伝えた。
すると、ジュディはニヤっと笑って「おばかねぇ。正直、私もコーヒーの味は好きじゃないわ。コーヒーを飲みに行こうって、人生をさぼる口実よ」とウインクをして、車の鍵をつかんだ。
2人で入ったのは、ショッピングモールの一角にあるカフェ。そこで、ジュディはカプチーノを2つ、それから「今日は悪いことしちゃおうか」とつぶやいて、シナモンドーナツを1つオーダーした。
コーヒーを待つ間、テーブルで向き合っていると
「知らない国へ1人で来て、きっと大変でしょう」
そう、ジュディが切り出した。
誰に頼まれたわけでもない、自分の意思で来た留学は、いろんな人のボランティア精神に支えられ、続行できているのだから、愚痴は言わないように心がけていた。でも、ジュディの優しい眼差しに、閉じ込めていた本音がとびだした。
「うん。英語は全然上手くならないし、友達と呼べる人だっていない。もっと上に行きたいのに、時間だけが過ぎていく気がして、ふがいないし、不安なの」
するとジュディは
「まあまあ、そんなに思いつめないで。若くして、ここに来たって、それだけでもう十分すごいことよ」
諭すように言って、微笑んだ。
(そうは言っても、留学生活が始まって、もう3か月も過ぎているのに、私は全然成長できていなくて、こんなんじゃダメなんだよなぁ……)
やるせない気持ちを上手く飲みこめずにいると、定員さんがカプチーノとドーナツを運んできて、テーブルが一気に賑やかになった。
「いただきます」
人生でほぼ初めて飲む、お店のコーヒー。
口に含むと、豆の香ばしさと、それを包むミルクのまろやかさが広がった。
「おいしい」
私は背伸びしてそう言ったけど、本当は、16歳の私の舌に、コーヒーはとても苦かった。
「ふふ。コーヒー、苦いでしょう。でも、大人になって、きっとこの苦味が美味しいと思うがくるよ。それと同じで、今は辛くても、このときを懐かしく、愛おしく思える日が、必ずくるわ」
ジュディはそう言って、揚げたての、砂糖とシナモンがたっぷりまぶしてあるドーナッツにサクッとナイフを入れ、大きく切り分けた方を私のお皿に乗せた。
「人生には、辛いことがごろごろ転がっているしょう。こっちから望まなくても、むこうからやってきて、私たちの心をすり減らしていく。それだけでも大変なんだから、自分で自分のことを追い詰めて、苦しめる必要はないわ。自分の味方は自分だけ。コーヒーが苦くて嫌ならお砂糖を入れればいいし、元気がないなら甘いドーナツを食べればいい。そうやって、自分の人生に責任を持つだけ」
(そうか。世界の反対に来ちゃったら、私のことを唯一守れる、最大の味方は、私しかいないんだなぁ……)
そう思ったとき、私の中で、何かが弾けた。
それは、例えるなら、もっと頑張って、充実した留学にしないと! と、私が私自身にかけた、空気のパンパンに入った風船みたいに肥大化したプレッシャーが針でつかれ、パチンと割られたみたいだった。
そして、何もなくなってスースーしたところに「あなたはよく頑張っているよ。高みを目指すことも大事だけど、今頑張っていることも、認めてあげようね」と温かい空気が流れた。
そうすると妙にホッとした気持ちになり、ぽろりと涙がこぼれた。
私は泣きながら、口のまわりにいっぱいシナモンをつけて、無心でドーナツにかじりついた。それは、涙と混ざって、あまじょっぱい味がした。
あれから10年が経ち、私はもうアラサーになる。年はとったけれど、いまだにあの頃と変わらず、理想と現実の狭間で、もがいたり、溺れたりして、時には、もっとできるでしょう! と自分を必要以上に責めてしまうときがある。
そんなとき、私は自分を解放するため、カプチーノを飲み行く。
「自分を追い込みすぎなくても、大丈夫だよ」
そう言い聞かせながら、コーヒーの香ばしい香りを、全身で吸い込むと、それはアロマセラピーみたいに私の心に安らぎをもたらすと共に、外国で果敢に頑張ってきた16の小さな私を呼び覚ます。
そして、その少女は「昔は苦かったコーヒーが、今では大好きな味になっているように、もがいた時間はゆっくりと発酵して、あなたの大切な一部になるよ」と耳元で囁き、今の私を励ましてくれる。
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