「失敗」にニックネームをつけてみる
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記事:しんがき佐世(さよ)(ライティング・ゼミ日曜コース)
まゆげ犬に私たちが出会ったのは、互いに「また」失敗した日の夜だった。
その日、ひさしぶりに会う友人とごはんを食べにいった。
「また失敗しちゃったよ」と電話口で彼女は言った。
聞けば、彼女も落ちこんでいるという。
私は苦手な営業まわり担当となった転職先で、資料を間違えるという初歩的な失敗をやらかし、落ち込んでいた。
仕事というか、転職先を誤ったかもしれない。
コミュニケーションが苦手なのに、営業に配属されると思わなかった。
転職してそうそうに、広告のコピー制作にたずさわれると思いこんでいた私は、苦手な営業つづきで緊張が裏目にでて、失敗をかさねていた。
かたや友人は、過去もうこんな思いはしないと誓った恋愛パターンに再びはまり、いくつめかの恋愛に失敗していた。
失敗したもの同士、お互いの現状を報告しあい、しょんぼりした気持ちを分け合う時間は、悲しくもどこか甘ったるい。
深刻さも絶望も、自分をあわれむことはどこか、居心地のいい感情だ。
どことなく別れがたくて、博多駅ちかくの店を出たあと、バスや地下鉄に乗らず、大通りをあるき始める。
彼女が暮らすマンションの方角に向かう二人の足取りは酔うほど飲んでいないのに、ほてほてとたよりない。
彼女が暮らすマンションが近づいてくる。
「なんで失敗、するんだろう」
車のテールランプの色に、道路側を歩く彼女の顔が照らされる。
レストランでいちど泣いた彼女の、普段は、さばさばとひるがえるワンピースの裾が、ゆっくり波打つ。
「なんでだろうね」
私も自分の、今日やらかしたばかりの失敗を思い出しながら言う。
苦い気持ちがわきあがる。
失敗したくないのに、なんで失敗するんだろう。
「エジソンだっけ。『私は失敗したことがない。1万とおりの、うまくいかない方法を見つけただけだ』って言ったの」
彼女が、きゅうにそんなことを言った。
エジソンのことを考えた。
エジソンのことは伝記でしか知らない。
どんな顔だったか思い出せないまま、適当に想像してみる。
想像のなかのエジソンは、キリッと上がったまゆげに、意志的な強い目が光っていた。
「すごいよね。失敗を失敗あつかいしない。そういう人はたとえ失敗しても、「失敗」ってカテゴリに入れないんだろうな」
「成功」は、何かをしようとして思いどおりになったこと。
「失敗」は、何かをしようとして思いどおりにならなかったこと。
ぼんやりとそんなことを考えながら、思いつくままに、続けて言ってみた。
「『失敗』に、べつの名前をつけてみるのってどう」
歩道のまんなかを歩いていた彼女が、私の思いつきにすこし笑って振り返った。
車道のライトに照らされた彼女のシルエットの向こうに、マンションが見えてくる。
「べつの名前? 失敗は、失敗は、なんだろう? 稚魚とか」
「稚魚?」
「『失敗』がうまいこと育ったら、いつか出世魚みたいに、違う名前になりそうじゃない」
「いいね、それ」
素敵なことを言うなあ、と彼女の言った言葉をはんすうしながら、最近読んだ本の内容を思い出していた。
その本のなかで、ある偉人が「百のうち九十九は失敗」と言っていた。
それとはべつの偉人の名言には、
「失敗とは、転ぶことではなく『そのまましゃがみこんだままでいること』だ」
ともあった。
失敗にまつわる名言が多いのは、多くの偉い人が失敗からおおくを学んできたからだろう。
失敗にべつの名前をつけたり、失敗を「再定義」する偉人が少なくないのは、失敗は味方であることを後世に伝えたいからだろう。
それでも、失敗は痛い。
友人は恋愛に失敗していた。私は仕事で失敗していた。
恋を失うのも、仕事を失うのも、痛い。
どうしたって深刻になってしまう。
失敗するたびに、自分のなにかがもがれる気がする。
彼女のマンションにはとっくに着いていた。
「散らかっているから部屋にはあげないからね」
と、力なく彼女が笑う。
「いいよ」と、私も小さく笑う。
それでいて去りがたく、マンションのエレベーター手前のエントランスで、二人とほうにくれていた。
マンションの玄関先の植え込みにツツジが咲いているのが見える。
彼女のワンピースの色に合うなあとしんみり考えていたら、それはあらわれた。
マンションのアプローチに沿って立てられた街灯から、茶色いものが軽快にやってきた。
飼い主の手からすり抜けたのか、リードを垂らし、てってってってとかけてきたそれは、人なつこそうにしっぽを振った。
堂々とした赤いぴかぴかの首輪をしている。リードも上等だ。
そして「ハ」のかたちに、粘着力のよわそうな黒いシールが貼られていた。
まゆげ。
私たちと目が合った、極太まゆげ犬は、一瞬たちどまる。しっぽは明るく揺れている。
誰が貼ったのか知らないが、貼りつけたまゆげとまゆげの間が、ちょっと離れすぎだ。
やめて。そんな下がったまゆげで見ないで。
しんみりしてたのに落ち込んでいられない。
ツツジの咲く頃に、ハロウィンもないだろう。飼い主はどこ。
ぼうぜんとしている私たちの後ろで、エレベーターの扉が開いた。
燃えるゴミ袋を片手に、ゴミ捨て場に降りてきたらしいマンションの別の住人が、極太まゆげを視界にとらえてビクッと一瞬飛んだのがわかった。
リラックスした部屋着姿に「うぼっ」の驚きが走り、「ばほっ」と噴きだす。
ついさっきの私たちも、きっとあんな表情をしていたにちがいない。
そこで腹筋が崩壊して笑いくずれた。
マンションのエントランスで体をおりまげ、声をころして笑いつづける私たちを残して、極太まゆげはしっぽをひるがえして、元きた道をてってってってと戻っていった。
互いの失敗にひたっていた私たちに、シッポを振って去っていく。
ふるえた声で彼女がつぶやく。
「……あの犬、漢字の ” たに ” みたいな顔してなかった?」
「 谷 ?」
漢字をおもいうかべるなりもうだめだ、笑いがとまらない。
互いのかわいそうな身の上にギュッとちぢこまっていた眉間が広がり、深刻さがふっとんでいた。
笑うと眉間が開く。
失敗にニックネームをつけるなら、こんな時かもしれない。
彼女はもしかしたら、そう思ったのかもしれない。
「失敗は『まゆげ』かも」
「まゆげ?」
「まゆげが顔にないと、サマにならないよね。『失敗』ってまゆげかも」
失敗のない人生は、サマにならない。
「サマにならない、まゆげもあるよね」
街灯から遠ざかり闇に溶けていくまゆげ犬の後ろ姿を見送りながら、笑いすぎて涙目の私が言うと、
「笑えればいいんじゃない」
と返す彼女の目じりも、光っていた。
笑いがおさまり、息ができるようになった私も言ってみた。
「まゆげ犬から、ありがたい訓示をもらった気分だ」
「何て」
『失敗は真剣にとらえても、深刻にとらえるなワン』
「言わんわ」
夜のマンションのエントランスで、声のボリュームを抑えたまま笑うのは苦しかった。
失敗したサイズは変えないままで、気持ちが軽くなった。
お互いの抱えた失敗は、いぜんそこにある。
それでも笑える自分たちも、そこにいる。
失敗で深刻にならないための特効薬は「笑い」だったのか。
誰かが、失敗は「成功の母」だと言った。
失敗は「成功のモト」と、言う人もいた。
失敗は「経験値」だと、教えてくれた人もいた。
失敗は「まゆげ」と、友人は言った。
「失敗」にまつわる名言が多いほどに、ニックネームや別名がつけられるくらいに、多くの人から求められてきたのが「失敗」なのかもしれない。
先人の素晴らしい発明も、失恋をへておとずれる出会いも、転職で得た知恵も、失敗がもたらしてくれた。
失敗したことに深刻になる必要はなくて、真剣になればいいだけだ。
きっとこれからも、数えきれないほどの失敗をするんだろう。
「成功のモト」というくらいだ。
なにかを得ようとするたびに、失敗もおりこみずみで生きていくしかないんだろう。
あの極太まゆげのわんこに、かっこいいセリフを与えてみる。
「真剣に。深刻にはなるな(ワン)」
深刻なシワを眉間にきざみそうになったら、あの開いたまゆげを思い出してみようと思う。
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