fbpx
メディアグランプリ

母の日は「母の日」だから


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:田村洋子(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「母の日は、お花も贈り物もいりません」
成人を迎えたばかりだった妹とわたしを前に、母は宣言した。
 
姉妹で通う学校が変わり、部活やアルバイトでそれぞれの生活リズムも微妙にずれはじめた時期だった。妹たちと相談することが面倒になりつつあったわたしは、少しほっとした。毎年、妹たちと用意してきた母の日の贈り物は、もう必要ないのか。
 
贈り物といっても、物を買って渡したことは、おそらくない。
日曜以外、しごとに出ている母。
母の日くらいは、母をお客さまのようにもてなすこと。何もしなくていいように、家のことは全部姉妹たちでかたづけること。
それを母の日のプレゼントとしてきた。
 
「子どもたちが成人するまでの間は、おかあさんである。でも、子どもたちが成人したらおかあさん業は終えていい。おかあさん業を終えるのだから母の日はもういらない」
それは、母の卒業宣言だった。
 
母の日のプレゼントを、妹たちと用意すること。
それは、「おかあさん」をわたしたち姉妹が確認するための時間でもあった。
母の日はもういらないといわれてから、20年余りの時がたった。いまでも、わたしたち姉妹は母の日に贈り物をしない。花も送らない。
母その人は卒業宣言をしたけれど、母がわたしたちの「おかあさんである」と今のわたしたち姉妹は知っている。
 
妹たちが保育園に行っていたころのこと。母の日にあわせ、保育園で絵をかいた。妹たちのかいた絵には、祖母と姉であるわたしが書かれていた。働いているから家にいない、おとうさんのような母しか、妹たちは知らなかった。
祖母とわたしのかかれた絵を見て母は笑った。わたしには、母が少し泣きそうにみえた。
 
おとうさんであった父は、わたしが4歳のときに亡くなった。夫を亡くした母は外へ働きに出て「おとうさん」のようになり、「おかあさん」は一度、いなくなった。わたしたち姉妹は保育園に通い、祖父母の家でるすばんをした。
 
「母の日は、働きに出てくれているおかあさんに、いつもありがとうと伝える日だよ」
母がいない時、妹たちに教えた。それから10年以上がたち、同じ数だけ母の日があった。父はいないけれど、おかあさんがいる家族の形に慣れていった。
 
プレゼントを贈ることがなくても、「母の日」は特別な日になる。
「母の日」というお題があるから、大きく照れることなく「母」をおもうことができる。感謝を伝えやすくなる。
 
家族一緒に住んでいるときは、朝起きて「おはよう」とあいさつをするくらい、自然に「ありがとう」と言えているだろう。
けれど、離れて住んでいるなら「ありがとう」と伝える機会は減ってくる。日常の中にある小さな感謝のすべてをつたえるだけの時間をもてなくなるから、「ありがとう」をよりわけるようになる。
母と会う限られた時間の中で、どの感謝を伝えたいか選ぶうちに、「ありがとう」が大きくなっていく。
 
「おかあさん、ありがとう。産んでもらって育ててくれて。
見守ってくれていたと今はわかる。ありがとう」
 
けれども、この感謝のことば。
もし母の日ではない時に、突然、電話をかけて母に伝えたら?
……伝えるタイミングによっては大変なことになる。
 
母に電話をかけたとき、ふと感謝の気持ちを伝えてみた。用事の電話も終わっていたし、照れ臭かったこともあり、わたしは電話を切った。すると、母のほうから何度も電話をかけなおしてきた。母に泣きながら怒られた。
「なんでもない日に、ありがとうなんか言わないで。縁起でもない。せめて母の日か誕生日くらいにしといて」
 
感謝を伝えるなら、母の日や誕生日に限るのか。次からはそうしよう。
……それが、その当時のわたしの感想だ。残念なわたしである。
 
今なら、わたしにもわかる。
電話で突然、ありがとうと言われたら「縁起でもない」と言いたくなるのか。なぜ、母が泣きながら怒ったか。
母は、わたしが遺言をのこそうとしているとおもったのだろう。泣かれてもしかたがなかった。ごめんなさい。
 
今年も、母の日に電話をかけた。
自分が生まれた時に周りにいただろう人たちと母への感謝の気持ちが泡のようにわいてきた。この春、友人たちが相次いで出産し「生まれることがうれしい」と何度も強く感じた。
うれしさを感じた分だけ、母への感謝もみずみずしく感じられた。
ぽこぽことはじけるような、勢いの良いきらきらとした感謝の気持ちを、母に伝えた。
母は笑いながら「ありがとう」と言った。
 
「母の日」だから。
それを理由に、意地っぱりな母とわたしもお互いにやさしく向き合うことができる。
「ありがとう」と伝えやすくなる。「ありがとう」をうれしく聞いてもらえる。
 
「母の日」だから。
ふと浮かんだことばに照れても「母」をおもい感謝を伝えることができる。
こころの準備をもって、子どもからの感謝を受け取ることができる。
 
妹も母に電話をかけたそうだ。
「母の日だよ、ありがとう。かあさんに電話をしたら、畑でとれた豆を送ってくれるって」
 
今年の母の日も、無事、終わった。
うちにも、実家の畑でとれた豆が届くらしい。
 
 
 
 
***
 
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
 

【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜《5/15までの早期特典あり!》


 

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2019-05-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事