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ゲンさん、について


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田澤正(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「おはようございまあーす」
 
今日も元気に声が響く。
 
小さな背丈、少し背中が曲がっている。黒く焼けた顔にはしわくちゃのしわ。随分被り倒したキャップ帽。80を超えているだろうか。
 
こちらが照れてしまう位に可愛らしい挨拶をしてくれる。
 
「おはようございます! 」
 
負けないくらい元気に挨拶をする様にした。
 
彼は今住んでいる賃貸マンションの管理人。
通称ゲンさん。
 
本当は名前を知らない。でも奥さんといつしかゲンさんと呼ぶ様になっていた。
 
「オレ今日ゲンさんと挨拶したよ」
「えー! 私も挨拶したかったな」
 
我が家の人気者である。
 
3年前。
 
ある日2人で散歩している時、このマンションを見つけた。
 
決してラグジュアリーな訳でも無いマンション。駅から近くて、少し裏通りに入る場所にあった。表通りの喧騒が嘘の様に静か。
大きな桜が寄り添う様にある小さなマンション。
 
「ここ住みたいね」「引っ越そうよ」
 
なぜここなのか。上手く理由は見つからなかった。
でも、惹かれるものがあった。
 
当時。
少し前まで、本社で大きな仕事を任せられるポジションについていた。自分の指示で人が動く役割も担っており少しいい気になっていたが、結果が出せず外されていた。
 
華やかさから一変。
営業の一担当として、地道に担当店を回る日々。
 
疲弊していく心。家庭の雰囲気もどんよりしていた。
 
何かを変えたかったのかもしれない。
 
ネットで見ると、丁度最上階が空く事が判り
引っ越すことにした。お金は掛かるけど。
 
今の生活を変えてくれる気がした。
 
引っ越してきた時期、真冬。寒い朝。
 
「やばい会議に遅刻する」
 
と部屋を出て一階に行く。凍える寒さ。
 
ゴミステーションの扉が開いており、中のゴミをキレイに並べ直し、白い息を吐きながら掃除をしているおじいさんがいた。
 
「おはようございまあーす」
 
いきなりゴミステーションの暗闇から挨拶されて
焦った。ニコニコしながらこちらに出てきてくれたが、うまく挨拶が出来ず無視してしまった。
 
「あのおじいさん、随分お年だよね」
 
最初は、少し哀れな気がした。あの歳でハードワークだな。身体に堪えるな。
 
毎朝、毎朝、おじいさんはゴミ出しをして冷たい水を使いマンションの1階をキレイにしていた。
 
1階だけでは無い。気づくとおじいさんは、5階建てのマンションの共有部分を毎日掃除している事を知る。
 
2月が過ぎ、桜の時期が過ぎ、真夏。
暑い時期も、おなじみの野球帽を被り、掃除をしていた。流石にこの暑さ。死んでしまうのでは本気で心配にもなった。
 
それだけでは無い。電球が切れていれば
すぐに取り替え、落し物も丁寧に掲示板に貼り付けてくれていた。
 
すごいのは毎日毎日決して手を抜かない事。
そして誰にでもしわくちゃな顔で挨拶をしていた。
 
マンションの住人では無い近所の方から挨拶されている事に気付く。小さな子供から大人まで。皆から笑顔で挨拶されている。人気者らしい。
 
哀れだと思っていた自分を恥じた。
そして段々とカッコよく思えてきた。
 
マンションを管理するだけでは無い。
心地よいマンションを維持し続けるプロフェッショナル。
 
一時期ゲンさんが来ない時期があった。別の若い
男性が管理人になった。
マンションの雰囲気が変わるのに時間はかからなかった。
 
ゴミステーションは少し汚れてきた。
共有部分のゴミも目立つ。
少しずつマンションの凛とした雰囲気が消えて行った。
 
このマンションに惹かれたのは、この凛とした佇まいだった事に気付く。そしてそれは、あのしわくちゃのおじいさんが毎日の努力で作っているものだった。
 
最初は
「あまりキレイな身なりじゃ無い掃除のおじいさん」だった。
 
でも、違う。みんなに喜んで貰うために、全力を尽くす信念の人。そして優しい。
すごい。こんな人になりたい。
 
尊敬に変わっていた。
 
自分の仕事を振り返る。熱を込めているのか。
誰かに感謝されているのか。派手さばかり求めていなかったか。
誰からも見られていなくても、地味でも目的を見失わず続けられるか。
 
そして、笑顔で挨拶しているか。
 
いつしかゲンさんの存在は、仕事が苦しい時も
前に向かせてくれていた。
 
ゲンさんが現れなくなり、1ヶ月。
 
「どうしたんだろう」
 
心配になる。身体を壊してしまったのか。
あの笑顔はもう見られないのか。
 
夏が過ぎ、秋の寒さがしみる頃。遅刻しそうになりながら1階に降りていく。
 
「おはようございまあーす」
 
「ゲンさん! 」
思わずあだ名で呼んでしまう。
 
ニコニコしながらキャップ帽のゲンさんが
ゴミステーションから現れた。
 
不覚にも。涙が出てくる。出勤前なのに
涙が止まらない。大泣きしてしまった。
 
このマンションに引っ越してきて。
快適な生活を手に入れた。凛とした佇まいのマンションで。
 
そして、「仕事」に向かう姿勢も。
 
今日もゲンさんと元気に挨拶をし、仕事に向かう。
 
 
 
 
***
 
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2019-06-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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