川代ノート(READING LIFE)

【東京天狼院リニューアル・オープン】あるいはこのノートこそが、私にとって最大の「人生を変えた本」になるのかもしれない《川代ノート》


記事:川代紗生(天狼院書店本店「東京天狼院」店長)

三浦ノート、と書かれたノートが出てきた。
東京天狼院の改装をしているときのことだった。

私は、東京天狼院のマスター・幸田、スタッフの前田とともに、大量の本を三浦の自宅から運んでいた。
みかん箱くらいの大きなダンボール5箱分だったと思う。ビジネス、文章術、映画論、カメラ、文学など、幅広いジャンルの蔵書があった。

「東京天狼院を、『人生が変わった書店』にしたい」

天狼院書店の一号店である東京天狼院のリニューアルが決まってから、店主の三浦はずっとそう言い続けていた。

何よりも自分自身が、本によって人生を切り開いてきたからこそ、天狼院書店を訪れる人々には、本を通して人生を変えてほしいのだと。
そして、様々な人の「人生を変えた本」に出合える本屋にしたいのだ、と。
本というものには、読み手の魂が宿る。その人がどのようにその本を読んだのか、どこに線をひいたのか、どこに折り目をつけたのか。ページがふやけて曲がっているのは、もしかして、この一文で涙したからかもしれない。

「本」という、小さな紙の集合体には、その人の人生が詰まっている。

そんな思い出深い本を集めて、閲覧できる本屋を作りたいのだ、と三浦は言っていた。

それなので、東京天狼院をリニューアル・オープンさせるにあたり、まずは三浦自身の「人生を変えた本」を店に移動させなければならず、私たち3人は、三浦の家から東京天狼院までの道を、えっちらおっちら、台車を押しながら往復した。

重い荷物を運び、汗ばんだ額をぬぐいながら、思った。
そう言われてみればたしかに、私自身も、数々の本によって人生を切り開いてきた。

たとえば、私が「書店員になりたい」と思ったきっかけは高校生の頃に読んだ村上春樹の「沈黙」という短編だった。
悩んでいたとき、親や先生や友人に相談するよりも、その約70ページの小説によって、私の心は一気に軽くなったのだ。

本には、人を救う力があるんだ。

はっきりと、そう感じた。

それからというもの、「赤毛のアン」にハマり、「痴人の愛」にハマり、乙一のどんでん返しにハマり、東村アキコにハマった。「嫌われる勇気」を読んで、号泣した。

本が私を救ってくれたことが、これまでにどれほどあるだろう。

何百冊という三浦の蔵書をダンボールに詰めながら、私は、私自身の人生を振り返っていた。

三浦の本は、ほとんどの本がまんべんなく、読み潰されていた。というのも、どの本にも線が引いてあり、走り書きのメモがあり、ドッグイヤーがあったのだ。
本を読むことそのものへの「狂った何か」を私は感じた。

この人ほど、「書店員」という職業にふさわしい人はいないんじゃないか、と私は思った。だって、一冊一冊から、なにかしらの怨念のようなものを感じるのだ。「この本から搾り取れるだけの栄養を搾り取ってやるぞ」という気迫のようなものがそこにはあった。

読むことに対する、異常な執着心。
それは、恐怖心にも似たような熱量のように思えた。砂漠の真ん中で喉がカラカラに乾いて死にそうな子供みたいに、ほんの少しでもいいから、たった一滴でもいいから、残らず吸い取ってやりたいという執着心。

なにが三浦を、そこまでさせるのだろうと、させてきたのだろうと想像したけれど、わからなかった。

「うわあ、すごい。なにこれ!」

本の搬入も中盤にさしかかかってきた頃、スタッフの前田が驚きの声をあげた。

見れば、「三浦ノート」と書かれている、一冊のノートである。
なんの変哲もない、コクヨのキャンパスノートだった。

ただし、そのノートは分厚く、膨らんでいた。

2006、と表紙に小さく、書いてある。
13年前、と私は思った。

「ああ、それ、懐かしい! 僕がはじめて店長になったときのノートだ」

三浦はそう言うと、ノートを手にとってページをめくった。
私たちも思わず手をとめて、ノートをのぞく。

息を飲んだ。
ほかの読み潰された本以上の、いや、それとは比べ物にならないくらいの、熱量を感じたからだ。

聞けば、天狼院書店を立ち上げる前、三浦が大型書店の店長をしていた頃、そのノートに店舗の戦略を全部まとめていたのだという。

2006年だとまだiPad Proもなければ、ツイッターもFacebookも流通していない時代である。

情報収集は、基本的にアナログでやっていたのだという。
一つ一つ丁寧に、新聞や雑誌の記事を切り取って貼り付け、隅にはびっしりとメモが書いてあった。

「新刊 入荷〇〇冊→〇〇冊売れ」
「映画公開 話題の書」
「店内オペレーション」
「店舗運営指針」

考え尽くされていた。
とことん、考え尽くされていた。

この店を面白くしてやろうという、はっきりとした熱量がこのノートの中にはあった。

「今から13年前だから、27歳とか28歳の頃か。なんか僕、今と変わってないね」と三浦は笑った。ほんとですね、と他のスタッフも笑っていた。

けれど私は、全然笑えなかった。

背中からドスリと矢を刺されたように、動けなかった。

あまりに、自分が情けなかったからだ。
この人の、この異常とも言えるほどの熱量と比べて、私はなんて、ぬるいんだろうと思った。

私は今福岡天狼院の店長で、リニューアル・オープンしてからは東京天狼院の店長になるけれど、はたして私は、このノートを書いた27歳の青年と同じくらいの気迫で仕事ができているのだろうか。恐怖心や執着心を持って、働けているのだろうか。

いや、できていない、と思った。
私のエネルギーなんて、この青年が持つエネルギーの、1%にも満たない。

彼のノートには、店舗をどう運営するか、スタッフをどう教育するか、店舗のレイアウトから入荷、客注管理、お客様への接客の方法に到るまで、事細かに書かれていた。研究しつくされていた。これでもかというほど考え抜いて、最善解を出しているのだろうと思った。

負けたくない、と思った。そのときはっきりと。
この「三浦ノート」を書いた青年に、私は負けたくない。

自分の上司であり、ライターとしての師匠でもある三浦に、「負けたくない」なんて感情を抱いたことはこれまでに一度もなかった。
三浦は私より15歳も年上であるし、そもそも比較対象ではない。それにおそらく、心のどこかで、「三浦さんは別枠の人」と思っていたのかもしれない。私とは違うから、と。

けれどもそのときはっきりと、私と一つか二つしか変わらない、27歳頃の三浦に、私は強い嫉妬心を覚えた。焦りも覚えた。
彼に追いつきたいと思った。
負けたくない、と。

熱量を持ち、アイデアに溢れ、粘り強くて真面目な「27歳の三浦崇典」を、私はありありと感じた。まるで彼がその場にいるかのように思えた。

結局、面白いから、という理由でそのノートは東京天狼院に「納本」されることになった。店舗経営とかする人の参考になるかもしれないし、と。

本当なら、私はそのノートを独り占めしたかった。私だけの胸のうちにしまっておきたかったし、そのノートに書かれているエッセンスは、すべて私だけの栄養分にしたかった。私の成長のために使いたかった。
けれども、納本することになった。

ならば、他の人がこのノートを使って成功する前に、一番乗りで成果を出すしかない。

今までに感じたことのないような、カーッとした熱が胸の中にあって、私は行動せずにはいられないような気持ちになってきた。

そしてそのとき、はたと気が付いた。

あるいは、三浦が本を読んでいるときの熱量の元となるものは、今私が抱いているような、この「焦り」の感情だったのではないか?
今、私がこのノートを独り占めしたいと思う感情を、すべての本に対して抱いているとしたら?
誰かにとられたら、という焦りこそが、本に対する異常なほどの執着心を生み出していたのでは?

だとしたら、あれほどの熱量を持って、かじりつくように本を読んでいることにも、説明がつく。

今まで私は、本を純粋に楽しむことばかりを考えていた。
なぜ本に線を引くのか、なぜドッグイヤーをするのか、なぜ、走り書きのメモをするのか。
そこまでしなくていいじゃん、と思っていた。ただ純粋に本を読んで、ああ面白かった、じゃダメなの? と思っていた。

けれども「三浦ノート」を読んで、私は生まれてはじめて、この本から全ての栄養を搾り取りたい、と思った。他の誰かが読んでしまう前に。

強い焦りが、私の胸の中にあった。

けれども、悪い気分じゃなかった。
むしろそれは、私に活力を与えるような、ポジティブな光に包まれていた。

そうか。
焦ってもいいんだ、と私は思った。

焦り。執着心。独占欲。恐怖心。
そのノートを見たとき、普通なら抱きたくないと思うような感情を私は覚えた。

けれどもそれ以来、あのノートが私の頭の中にあって、まるでエンジンのように、ブルンブルン、と音を立てて、アクセルを踏ませているのである。

あるいは、このノートこそが、私にとって最大の「人生を変えた本」になるのかもしれない、と私は思った。

きっと「本」というものは、紙とインクと言葉を使って、人の「想い」や「信念」を伝えるための媒体にすぎないのだと思う。

本屋という場所は人間ひとりひとりの想いや価値観が集まっている場所で、人と人の熱量がぶつかり合う交差点で、だからこそ私は、本屋が大好きなのだと思う。

2013年の9月26日にオープンした天狼院書店「東京天狼院」は、2019年2月9日にリニューアル・オープンし、天狼院書店 本店「東京天狼院」と、名前を変えた。はじめて、「本店」と名のつく店舗ができた。

「人生を変えた書店」である。

この店に来られるお客様は、あるいは、見方によってはネガティブな感情を持ち帰っていただくことになるかもしれない。

嫉妬。焦燥感。執着心。独占欲。恐怖心。劣等感。

ここまでやっている人がいるのか、とか、自分なんてまだまだダメだな、と思ってしまう人も、中にはいるかもしれない。

けれども、私はそれでいいと思っている。
むしろ、それが東京天狼院の、正しい使い方だと思っている。

人が行動するとき、焦りや恐怖心を抜きにして、フルスロットルでアクセルを踏むことはできないからだ。

この店はきっと、ここを訪れる人の、エンジンになるだろう。
やる気がないとき、元気がないとき、道に迷ったとき、人は、ここを訪ればいい。

コーヒーでもビールでもなんでもいい。カレーでもいい。
何かを飲みながら、あるいは食べながら、ゆっくりと「自分以外の誰かの人生を変えた本」を手に取り、読んでほしい。

そして、こう思ってほしいのだ。

「負けたくない」と。

自分にだって自分の人生があって、自分は自分らしく生きる権利があって、そのために、何をすればいいのか、私たちは常に迷いながら生きている。

迷っていると、ふと動く元気がなくなることもある。自分なんて、と卑下してしまうこともある。

そんなときに、東京天狼院に来てほしい。
定期的に自分にガソリンを入れ、アクセルを踏むための場所として使ってもらいたい。

この広い東京の街に、そういう本屋が一軒くらいあってもいいと、私は思っている。

焦る必要はないよ、なんて私は言いたくない。

焦ったらいい。
どんどん焦ったらいい。
怖がればいいし、執着すればいい。
きっとそれがいつか、人生の肥やしになる日がくる。

ここに来て、あなたの人生を変える運命の本と出合い、そして、人生を変えたあなたがいつか、「私を救ってくれたのはこれです」と、見事に読み潰された本を持ってまた、東京天狼院にやってきてくれることを、私は願っている。

天狼院書店 本店「東京天狼院」にて、ご来店、心よりお待ち申し上げております。
 
 
店長 川代紗生
 
 
 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店本店「東京天狼院」店長。「福岡天狼院」店長(兼務)。ライター。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。出版業界誌「新文化」にてコラム連載中。


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この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」木曜コース講師、川代が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2019-02-16 | Posted in 川代ノート(READING LIFE)

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