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週刊READING LIFE vol,105

見えているのに裸の王様が隠したいもの《READING LIFE vol,105 おためごかし》


記事:今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「有難うございます!助かりました」
私は、満面の笑みでTさんにお礼を言った。
Tさんの眼鏡の奥の瞳が、ニコちゃんマークのようにカーブを描いた線になる。
「いいのよ。お客様の対応ちょっとずつ慣れていってね」
「はい!」
犬が飼い主に尻尾をブンブンと振るように、私からはTさん大好き光線が溢れていたに違いない。
いつも、私のことを助けてくれる母のような先輩のTさん。
入社したばかりの私を、常にサポートしてくれた。
接客で困ったことがあると、さりげなくフォローしてくれた。
 
大学を卒業した後、私はある商社の販売職として勤めていたことがあった。
実家が商売をしていたこともあり、接客は好きで慣れていたつもりだった。
田舎の家業と違っていたのは、言葉遣いや身だしなみ、立ち居振る舞いを厳しく求められることだった。
研修で、お客様に失礼のないよう応対のロールプレイングをしていた際、私の返答が田舎者丸出しで、講師に失笑されたこともあった。
姿勢と、声が大きいことは褒められた。
他に褒められるところがなかったからだと思う。
 
そんな状態で売り場に立った私は、常に緊張を強いられていた。
新人で、売り上げよりも、お客様や先輩社員の方々とのコミュニケーションに悩む日々。
同期で集まれば、すぐにお悩み相談が始まった。
配属先は違うものの、同期の存在は有り難かった。
お互いを励まし合い、上手く行ったこと、失敗したことを共有し、たまには涙することもあった。
特に同じ売り場に配属された2人とは、すれ違う時もアイコンタクトして励まし合った。
 
私が所属していた売り場は、10人くらいの社員が配属されていた。
全て、女性。
正直、新参者としてはどう立ち回って良いか分からず苦労した。
年齢が近い先輩も多く、女性特有の忖度が必要だった。
 
販売という職種は、売り上げとは切り離せない。
いかに多くの売り上げを上げるかが、至上命題のようなところもあった。
売り上げによって査定が左右され、ボーナスの額も変わってくることを知った。
 
だが、まだ新人だった私には、皆が売り上げについてそこまで執心していることが分かっていなかった。
新人ゆえの業務も多かったからだ。
先輩に指示される仕事や、雑務、はたまた在庫の補充のために、何度も倉庫と売り場を往復してクタクタだった。
毎日、棒のようになった足を引きずりながら帰宅した。
立ちづくめで腰を痛め、休みの日には整体院に通うのがお決まりになっていた。
 
ようやく職場の雰囲気にも馴染み始めた頃、私は初めて何十万とする商品をお客様に買っていただくことができた。
たまたま私が、そのお客様の傍にいたのだ。
もともと、その商品を目当てに来られていたのかもしれない。
購入されたのが、即決だったからだ。
ショーウィンドウからその品物を取り出すとき、心臓がバクバクした。
ここまで高額の品を買ってもらったことがなかったから。
 
お客様をご案内してレジに向かうとき、先輩社員たちの視線が鋭かった。
会計のとき、売り上げた社員の番号を入力してからレジを打つ決まりになっていた。
初めて、3ケタの自分の社員番号が誇らしく思えた。
終業後、レジの精算が終わって発表されたその日の売り上げは、私が一番だった。
だがその日以降、先輩の私に対する当たりが強くなった。
 
ある時、先輩が接客していたときに購入されなかったお客様がその後戻って来られて、はからずも次に応対をした私の売り上げになってしまったことがあった。
誰かがそのことを、先輩に告げたのだろう。
その先輩は余程悔しかったようで、私は倉庫の裏に呼び出された。
「どうして人の売り上げを盗ったの? 私が接客していたお客様だと知らなかったの?」
いつも温厚そうに見えていた先輩が、すごい剣幕で私を責めてきた。
先輩の売り上げを盗るなんて、とんでもない。
先輩が前に接客していたお客様とは知らなかったのに、私はどうすればよかったのだろう?
売り上げは、誰だって欲しい。
けれど、それ故に殺伐とする関係が悲しかった。
冒頭のTさんは、先輩の中でもベテラン社員だった。
社員歴も長く、経験も売り上げもトップ。
先輩社員たちもTさんのことを母のように慕い、売り場の中心的人物だった。
 
私が四苦八苦しているのを見かねたのだろう。
Tさんは、私に良く話しかけてくれた。
歳が近い先輩社員たちには話せないことも、Tさんは笑顔で聞いて励ましてくれた。
「分からないことがあったら、何でも聞いていいからね。女ばかりの職場だから、いろいろあるけれど力になるから」
私は嬉しかった。
いろいろあったとしても、自分のことを分かってくれる人が一人でもいると思えることが有り難かった。
私はすっかりTさんに懐き、馴染みづらかった先輩たちにも、少しずつ歩み寄っていった。
 
ある日、長い時間同じお客様に応対していた私は、そのお客様がようやく商品の購入を決めてくれて、密かに胸の中でガッツポーズをしていた。
「これ、いただくわ」
その一言を聞いたとき、Tさんが私のサポートに入ってくれた。
「ありがとうございます。それではお包みして参りますので、少々お待ちください」
Tさんは品物の代金を受け取ると、品物を持ってレジに向かった。
私に、いつものニコちゃんマークのアイコンタクトを取りながら。
 
さすが、Tさん。テキパキしている。
お客様と次につながるよう、私にお話する時間をくれたんだな。
ちょっとお高めの商品を買ってくださったお客様。
次にご来店いただくために、他の商品のご紹介をしたり、お客様のお好みを聞いてみたり。
そうしている間に、素早いTさんはきれいに品物をラッピングしてきた。
ラッピングが正直あまり得意ではなかった私としては、大いに助かった。
「ありがとうございます!」
2人で深々と頭を下げ、お客様をお見送りした。
 
「Tさん、ありがとうございます。また助かりました。いつもすみません」
「また来ていただかないとね。しっかりお話して、お客様に顔を覚えてもらわないと」
なるほど。
そういうことか。
お得意様を増やしていかないといけないんだな。
新人の私には、Tさんが話すこと一つ一つが勉強になった。
 
その夜、レジの精算当番だった私は首をひねっていた。
レジの売り上げでは、社員番号ごとに誰がいくら売り上げたか分かるようになっている。
私の社員番号の横には、私が思っていた金額が記されていなかった。
あのお客様の購入金額よりも低い金額が、そこにはあった。
おかしいな。
社員番号を打ち間違えてしまったのかな。
その日の自分の売り上げを期待していた私は、ちょっぴり残念に思った。
 
その内、おかしな話が囁かれるようになった。
相変わらずTさんは、私や他の社員たちのフォローをしていたのだが、なぜかフォローに入るのは、お客様が購入を決断した後だというのだ。
同じ売り場の同期がそれに気づき、私に教えてきた。
「この間フォローしてもらったとき、レジ精算だったんだけど、私の売り上げ反映してなかったんだよね。Tさんがフォローしてくれる時って、高額の時が多くない? しかも買うことが決まってから来て、レジは任せてみたいになるよね? 相変わらず売り上げはTさんがトップだし、何かおかしくない? 一度、売り場の主任に話してみようか?」
 
そんな筈はない。
Tさんが自分の売り上げとして、私たちの分を掠めているなんて。
否定したいのに、先日、自分がレジ精算のときに感じた違和感がくっきりとしてきた。
でも、どうして。
いくら売り上げが欲しいからって、後輩の分を横取りする筈がない。
気のせいに違いない。
Tさんのことを信じたかった私は、もう少し様子を見ようと2人に言った。
 
しばらくすると、私たちは主任から個別で面談をすると言われた。
売り上げをもうちょっと伸ばすよう頑張れとか言われるのかな?
面談などと言われると、尻込みしたくなる。
私の番になり、普段使っていない2階の談話スペースに呼ばれた。
 
「正直に話してもらっていい? 誰が言ったとか言わないから」
主任の口から出た言葉は、意外だった。
「みんなに聞いているの。Tさんのこと。売り上げのことでおかしいと思ったことある?」
直球だった。
 
あれから、私はTさんのことを注意深く観察するようになっていた。
同期も先輩社員も同じように、Tさんの動きに注目していた。
誰かのフォローにTさんが入ると、素早く目配せが飛び交った。
意気揚々とレジに進むTさん。
そして、ある先輩がレジ打ちの瞬間を見てしまったらしい。
自分の社員番号で売り上げを打つTさんの姿を。
 
「みんなから苦情が出ているの。私も主任として手を打たないといけないんだけれど。何しろTさんは先輩だしね」
困ったような顔で主任は笑った。
やはり、常習犯のようだった。
「初めは、助けてもらっていると思って感謝していました。でも同じようなことが何回かあって、他の先輩もTさんのこと疑っているみたいで」
「やっぱり、みんなに同じことをしているみたいね。ショックだったでしょう?」
主任はため息をついて、目を伏せた。
「Tさん、売り上げでしか自分をアピールできないと思っているみたい。私が後輩なのに主任になっているし、面白くないと思うの。だから躍起になってトップを維持したいんでしょうね。だからといって、あなたたちの売り上げを取ってもいいということにはならないんだけど」
主任の言葉に、私は切なくなった。
 
「あなたたちのために、少しでもなればと思って」
私がお礼を言うたびに、Tさんは、トレードマークの笑顔でそう口にした。
けれど、立派な建前と本音は違う。
Tさんの私利私欲ではなかったか?
売り上げを我が物にすることなくそうしていれば、本当に私たちのためだったことだろう。
 
自分の利益のためだったのに、さも後輩思いのような振りをして。
後輩のことを育てようとしてくれていたと信じていたのに。
良いところがたくさんある人だったのに。
心から慕っていたのに。
Tさんのことを信じたかった私は、裏切られたような、人の裏側を見せられたような、やるせない想いになった。
 
Tさんは、裸の王様だった。
周りにはTさんの思惑がハッキリと透けて見えているのに、遠慮して言わないだけだ。
見えていることを知らないTさんは、ますます調子づいて勢いを振るう。
今までみんなから母のように慕われていたTさんは、もうそこにはいない。
Tさんの必死すぎるおためごかしの実情を知ってしまった私は、その姿に哀愁を感じた。
 
しばらくして私は転職したので、Tさんのその後を知らない。
願わくば、Tさんが裸の王様であったことに気づいて、考えを改めてくれていたらと思う。
だが、女ばかりの世界は恐ろしい。
一度こじれると厄介なのは目に見えている。
気の毒だが、自分が何をしたか後悔しても、時すでに遅し。
信頼を取り戻すことは叶わなかったのではないかと、侘しく思う。
 
「あなたのため」という言葉は、一見美しい。
あなたのために、自分を犠牲にしているから。
あなたのためを思っているから。
自己犠牲の上に、相手を尊重しているかのように見える。
でも、それはあくまでも見せかけだ。
裏には、相手を情で思いのままにしたいという欲が隠れていることもある。
そして、案外そういう思惑は相手に伝わっているものかもしれない。
 
そう言えは、この間、娘に「あなたのために」を使ってしまった。
「あなたのために、言っているのよ」
心配から出た言葉だったが、その裏で私に都合の良い言動を娘に期待してはいなかったか?
反省点として、私の意見は伝えるとしても、どうするかは委ねることを覚えなければと思う。
多少本人が痛い思いをしたとしても、自分で考えた結果や動いた結末から学ぶことができるように。
それが、おためごかしではなく真に娘の糧になることを信じて。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol,105

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