週刊READING LIFE vol,105

おいしいクロワッサンを手に入れる方法《READING LIFE vol,105 おためごかし》


記事:[名前]記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「え~、なんで譲るのよ……」
 
人間が出来ていない私は、心の中で思わずそう叫んでしまった。
ホント、いつも思うが小さいヤツである。
 
ある日のお昼ごろ、私は自宅からほど近い、駅前のパン屋にパンを買いに行った。
私が住む、京阪神地域は、パンやスイーツ店の激戦区でもある。
だいたい、近隣の街でも駅前を中心にパン屋やスイーツ店が数店舗あるのだ。
激戦区ということで、新しく開店するお店も、クオリティはそれなりのものばかりだ。
この地域でお商売をする限り、それなりの技術と覚悟が必要だと思う。
なので、一度お店をオープンすると、長く営業をしているところが多い。
 
ここに住む人たちは、それぞれがお気に入りのパン屋やスイーツ店を決めているようだ。
さらには、食パンなら、このお店、総菜パンならば、このお店、といった具合に食べたいパンによって、お店を決めている人もいる。
 
この街に生まれ育った私は、子どもの頃から焼きたてのパンを食べる習慣が身についている。
母が朝早くから、駅前のパン屋に行って、焼きたてのパンを買ってきてくれたものだ。
そんな幸せな習慣が当たり前のように身についている。
 
なので、パンやスイーツに関しては、口が肥えている方だと思う。
ちなみに、最後の晩餐はバタートーストと言い続けている私は、食パンには特に目がない。
最近、高級食パンのブームが来ている。
小麦粉や牛乳、卵などに高級材料を使っているらしいが、どうも甘いパンが多いので、高級食パンはあまり好みではないのだ。
 
それよりも、素材のうま味が素朴に出ていて、パリッと表面が焼き上げられたイギリスパンは、その香りだけでも幸せを感じられるものだ。
それと同じように、クロワッサンも大好きだ。
そのクロワッサン一つを焼くにも、丁寧な仕事がされているのがその何層にも織り上げられた生地を見てもわかる。
こだわりの最高の材料を使い、そこに大変な苦労と手間をかけることで、あの芳醇なクロワッサンが完成している。
焼きたてのクロワッサンから漂う、バターの香りはたまらない。
私がパン屋を選ぶ基準は、この食パンとクロワッサンが美味しいかどうかだ。
 
ある日、私はクロワッサンが食べたくなり、お気に入りのパン屋に行った。
そのお店の中ほど、クロワッサンが置かれているトレイには、3個だけが残っているのが入り口から見えた。
どのパンも、美味しいと評判のお店なので、焼いたそばから売れてゆくのだろう。
すると、私の前に一人の女性がいて、さきにそのクロワッサンのトレイの前に立った。
きっと、この人もクロワッサンがお目当てなのだろう、そんなことを思いながら私もさらに棚の方へと近づいて行った。
 
ところが、その後、予想外の展開となった。
その女性は、別の方向からクロワッサンのトレイの方にやってきた若い女性に残っていたクロワッサンをすすめたのだ。
一瞬、同時にトングを動かした二人だったのだが、最初にクロワッサンのトレイの前にいた女性の方が、
 
「お先にどうぞ」
 
と、言ったのだ。
すると、後から来たその若い女性は、
 
「3個欲しいんですが、いいんですか?」
 
そう言ったのだ。
先の譲ろうとした女性は、
 
「大丈夫ですよ、どうぞ」
 
と、言ってしまったではないか!
 
「えっ? なんで……」
 
私は心の中で、思わず叫び声をあげてしまったのだ。
せっかく、クロワッサンを買いに来たのに……。
3人いるんだから、一人一つずつ買えたじゃないか。
何てことを言ってくれるのよ、おばさん!
私は、顔では平静を保ちながら、頭の中はカッカと怒っていた。
 
一瞬、私事の理由満載で、小さなことを思ってしまったが、すぐさま反省した。
しばらくすると、私は、なんだか気持ちがほっこりとしてきた。
この世の中、我先にと争ったり、思い通りに事が進まなければ文句を言ったりする人だって多いものだ。
順番でいうと、3個目のクロワッサンは私が買えたかもしれないが、この譲り合える精神の方が、なんだかとても気持ち良く思えてきたのだ。
なんか、気持ちにゆとりがあるっていいなぁ。
美しくさえも思えてきたのだ。
 
そう思った、その時だった。
残っていた3個のクロワッサンを譲ってもらった若い女性が、会計を済ましてお店を出るやいなや、お店の奥から出て来た店員さんの声が聞こえてきた。
手には、何やらパンが乗せられたトレイを持っている。
 
「お待たせしました、クロワッサンが焼き上がりました!」
 
私は咄嗟に、このお店のパンの仕上がり予定時間の黒板を見た。
すると、13時30分となっていた。
おいしいパン屋には、そこで売られているパンの焼き時間がお店に提示してあるものだ。
今日、クロワッサンが焼きあがる2回目の時間は、13時30分だったのだ。
 
「あっ、さっきのおばさん、ひょっとしたらこの時間を知っていたのかも……」
 
ゆとりの行動で、後からやってきた若い女性に、残っていたクロワッサン3個を譲った、あの女性だ。
その店員さんがクロワッサンのトレイを棚に置いた瞬間、どこにいっていたのかあの例の女性がサッとやってきたのだ。
そして、たった今、焼きあがったばかりのクロワッサンをおもむろに自分のトレイに乗せていったのだ。
 
その光景を目の当たりにして、私は一瞬動きが止まってしまった。
これは、偶然のことなのか?
それとも、あの天使のように、自分も買いたかったクロワッサンを、後から来た若い女性に譲ったおばさんの思惑通りのことなの?
たかが焼きたてのクロワッサンを買えるかどうかの問題だ。
でも、これまでのそのおばさんの行動は、あまりにも出来すぎていたようにも思えてきた。
おためごかしの親切。
いや、違うかもしれないけれど、どうしてもそう思えて仕方ない。
 
お目当てのパンを買いたくて、わざわざこのお店にやってきたのであろう。
なのに、他の人に敢えて譲るなんて、私だったらできないことだ。
でも、さらりとやってのけたこのおばさん。
やっぱり、その後、少しの時間待っていれば、焼きたてのクロワッサンが手に入ることを、ちゃんと知っていたのかもしれないな。
まあ、他人の心は私にはわからないことだ。
詮索する私の心の方が濁っているような、そんな気さえしてきた。
 
少しの時間をかけて、目まぐるしく私の目の前で起こった「クロワッサン劇場」
そのシナリオの真意は私にはわからなかった。
 
けれども、何にせよ、このおばさんのおかげで、私も焼きたてのクロワッサンが手に入れられたのだから、まあ、良しとしようか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2020-11-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol,105

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