週刊READING LIFE vol.143

世界から文章が無くなったら、すごくラクになるかもしれない。《週刊READING LIFE Vol.143 もしも世界から「文章」がなくなったとしたら》


2021/09/13/公開
記事:中川文香(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
もしも世界から「文章」がなくなったとしたら。
何を思うのだろうか?
 
文章が無くなるってどういうことだろう?
 
人に何かを伝えるには、口頭で直接、という方法しかなくなるということだろうか?
口頭で伝える方法だけになったとしたら、例えばジェスチャーを駆使したり、表情を使ったりして伝える方法がもっと高度に進化するのだろうか?
それとも、技術が進歩して、
「じゃあ、今から私の考えてること送っとくね!」
と言って、頭の中身を電波なのか何らかの通信なのかそういった類のもので相手の脳に直接投影できるようになる、ということなのだろうか?
今の技術革新のスピードを考えると、脳への直接転送の方法が開発される、という方がより現実味を帯びているような気がする。
そうなったとしたら、確かに、文章はもはや必要のないもの、ということになってしまうのかもしれない。
 
もしも世界から「文章」がなくなったとしたら、私は少しホッとするかもしれない。
 
本を読んだり、ネットの記事を見たりして、
「うわー! この人なんて面白い文章を書くんだ! すごいな……」
と、比べてもしょうがないのに自分との能力差に打ちひしがれてグツグツと嫉妬の感情を抱くことも無くなるかもしれないし、
メールを打ったり、手紙を書いたりしながら、
「ううむ。これは何と書いたら相手により伝わりやすくなるのだろうか……?」
と頭をひねって、書いては消し書いては消し、と一人思い悩むことも無くなるのかもしれない。
 
そうだ、文章が無くなったら、心の平穏が保てるようになるかもしれない。
 
相手が目の前にいない時に、その相手に対して何かを伝える方法をあれこれ考えなくても良くなるかもしれない。
プレゼンがあるから、会議があるからといって思いを込めた分厚い資料を用意しなくても、メンバーの考えを一瞬で共有することが出来る未来がいつか訪れるのかもしれない。
 
でも、もしも世界から「文章」がなくなったとしても、一度「文章」の存在する世に生を受けて30年以上過ごしてきた私は、きっと、その素晴らしさを忘れることは無いと思う。
 
 
社会人になって確か2、3年くらい経った頃だったと思う。
私はとあるお客さんから、一通の手紙をもらった。
 
当時、私はシステムエンジニアとして仕事をしていた。
大学は文系で、特にパソコンに詳しかったわけでも無いのに、当時の私は何を思ったのかシステムエンジニア職の会社を受けた。
そして、何故か受かってしまい、そこから怒涛の日々が始まった。
新人研修はあったけれどなんだかついて行けていない気がする、先輩が何の話をしているのかさっぱり分からない、調べものをしていたら一日が終わっていた、なんてことはザラで、毎日が文字通り飛ぶように過ぎていった。
毎日遅くまで働いていたけれど、それでも、仕事は楽しかった。
覚えることがたくさんあって、ひとつひとつ成長していけているな、という実感があった。
 
ある時、「もうそろそろ独り立ちしてもいいんじゃない?」ということで、先輩からとある施設の一部門の主担当を任された。
主担当とは言っても、その施設には先輩も一緒に入って別部門の仕事をすることになっていたし、今考えると周囲の方々にかなりフォローしてもらっていた。
でも、当時の私は不安でいっぱいだった。
「どうしよう……ひとりで打合せからクロージングまで出来るのだろうか……」
「今まで先輩の側で見てきているからやり方は分かるけれど、自分でコントロール出来るのだろうか?」
何度も先輩に付き合ってもらって練習をし、打合せ初日はすごくドキドキしながら臨んだのを覚えている。
お客さんとなる方々がずらりとテーブルの向こうに並び、私が一生懸命揃えた資料をめくっている。
その中に、Aさんがいた。
Aさんはとても気さくな方で、黒髪のショートカットで、いつも元気ハツラツとしていた。
私がこの施設で初めて主担当をするということを知って、もしかしたら「この子で大丈夫なのかな?」という不安もあったかもしれないけれど、いつだって優しく対応してくれた。
Aさんだけでなく、その施設で対応して下さった方は良い人ばかりだった。
打合せ中に分からないことが出てきて、私が「確認してまたご連絡します」を連発してしまっても、文句など言わずに連絡するまで待っていてくれた。
仕事をする上でこちらから作業を頼まなければいけない時には、私はいつもその部門に顔を出して、Aさんを探した。
Aさんはたいてい忙しそうに仕事をしていて、でも私を見つけると「ちょっと待ってね」とか、「後から手が空いた時に連絡するね」と言って決して邪険にすることは無かった。
そうして、直接依頼をすると「えー! こんなの大変だよ、出来ないよ~」と言いながら、でも「しょうがない、やるしかないね」と言ってちゃんと引き受けてくれ、お願いした作業をしっかりやってくれた。
「このお菓子、美味しかったからあげるよ」とか、
「あなたの先輩、カウントダウンTVのキャラクターに似てるよね、そう思わん?」とか、
そんな冗談を交えながら、いつも優しく接してくれていた。
そういった、暖かく見守って下さる方たちに囲まれたおかげで、なんとか無事に仕事を終えることが出来た。
 
その施設で仕事をする最終日、Aさんが私たちの常駐していた部屋のドアをノックし、「ちょっと来て!」と私を手招きした。
廊下に出ると、「最後だから」と言って入浴剤の入った包みを私に渡してくれた。
私がびっくりしていると、「お世話になったから。ありがとうね」と言ってAさんは少し涙ぐんでいるように見えた。
「そんなそんな、私の方こそ本当に大変お世話になりました、たくさん助けてもらって、すぐに色々お答えできなかったり、ご迷惑おかけしたりして……」
と、もごもごと言う私に向かって、「いやいや、本当にありがとうね」とにっこりと笑ってくれた。
その包みには、手紙がついていた。
そこには、私が思いもかけなかった言葉が並んでいた。
 
 
最初の打合せの時「真面目そうな子だな」と思ったということ。
話していくうちに何かの拍子で大笑いしたあなたを見て「こんなに笑う子なんだ!」と驚き、でも嬉しかったこと。
普段の仕事の合間で、頼まれた作業がなかなか進まなくてごめんね。
たくさん助けてくれてありがとう。
担当があなたで良かったです。
寒い季節だから、体に気を付けてね。入浴剤をいれたお風呂であたたまってね。
 
 
そういった内容が綴られていた。
小さく折りたたまれた便せんはA4のコピー用紙で、太くて丸みを帯びたフォントの文字がころころと並んでいた。
きっと、仕事の合間に「手紙を書かなきゃ!」と思って書いて、印刷してくれたんだろうな。
何を書こうか、色々考えて書いてくれたのかな?
それとも、頭に浮かんだ思いをズバッと書いてくれたのかな?
いずれにせよ、これを書いているときにはAさんの中に、私の姿がくっきりとイメージされていたのだろう。
そういうことがありありと分かる手紙だった。
「パソコン苦手だけど、頑張って書いたよ!」というAさんの顔が目に浮かぶようだった。
その手紙を読んで、私は滞在先のホテルの部屋で、ひとりで泣いた。
 
Aさん、私のことをこんな風に思っていてくれたんだ。
文字にも、こんなに温かい気持ちを乗せることが出来るんだ。
そう思った。
嬉しくて、何度も何度も読み返して、ふと、私はどうだろうか、と考えた。
 
「お客さんなのだから、ちゃんと接さないと」と何ごとも四角四面にきちんと考えすぎる当時の私は、誰に対しても同じように、丁寧に接することが正義だと思っていた。
例えばメールを書くときにも、
“いつもお世話になっております”
“どうぞよろしくお願いします”
という決まり文句を重ねて、誰に送るにしてもいつも同じようなメールを書いていた。
「まだお世話になってはいない新しい方だけど、それでも “お世話になっております” って書くのかな? 変なの」と疑問に思いながらも、でもこれが “ビジネスマナー” だから、失礼のない方法だから、と決まりきった型にガチガチにはまって、そこから抜け出るのは悪だと思い込んでいた。
当然、いつも他愛無い話をしてくれるAさんに対しても、他の人に送るのと同じような、金太郎飴のようにどこを切っても同じような内容のメールをいつも送っていた。
けれど、Aさんが私だけに宛てた手紙を見て、私がしていたことは何か違うのかもしれない、と感じた。
間違ってはいないのだろうけれど、正解でも無いのかもしれない。
私は、「仕事だから」という考えにとらわれ過ぎて、なんだか大切なことを見落としてしまっていたのではないだろうか?
“お客さん” とのやり取りである、その前に、Aさんとのやりとりは人と人とのコミュニケーションである、という大前提があるはずなのに。
それがすっぽりと頭から抜けてしまって、決まりきった、見た目だけは行儀よく見えるコミュニケーションしかとってこなかったのではないか?
考え出すと、なんだか恥ずかしくなってきた。
私の普段のビジネスメールは冷たい感じがするけれど、Aさんの手紙は血の通った、すごくまごころのこもった手紙だった。
手書きでなくても、パソコンで打った文字でも、だ。
私のメールだって同じくパソコンで打ち込んだ文字のはずなのに、この違いは何だろう?
 
 
それはきっと、相手に伝えたい思いがあるかどうか、そしてそれを届けたいと思うかどうか、そこなのだろう。
今振り返ってみて、そう思う。
私のビジネスメールに無くて、Aさんの手紙にあったもの、それは “あなたに向けて書いていますよ” という気持ちだった。
 
それから、仕事でメールを書くときにも、何か相手だけに向けた言葉を入れることが出来ないか、少し考えるようになった。
もちろん、そういった内容を送るには相手との関係性を考慮して「これは書いて良いかな?」と判断することが必要になるし、相手が話していたことを覚えておくといった工夫も必要になる。
全部のメールでそれが出来ているとは全く言えない状況だし、やっぱり定型文の “いつもお世話になっております” を連発してしまうことも多々ある。
けれど、「この人には、何か添えられる一言が無いだろうか?」と考えるようになったことで、かっちりとしたビジネスメールも少し内容を考える楽しみが出来た。
それに、そういった “何か一言” を添えることで、ハンドルの遊びのようなゆとりが少し生まれ、カチカチに固まったメールの文面を上手い具合に溶かしてくれるような気がした。
そのことに気付く一番最初のきっかけになったのは、間違いなくAさんのあの手紙だった。
 
もしも世界から「文章」がなくなったとしたら。
私はホッとするかもしれない。
「どうやったら伝わるのだろう?」と思い悩むことが無くなり、伝えるために工夫する労力を全く使わなくて良くなるのだろうから。
文章を書かなくても他人に意図を伝えることが出来るのなら、どれだけコスパが良い事だろう。
 
でも、一度でも文章のある世界を生きてしまったのなら。
文字の羅列に込められたたくさんの思いを感じ取ったり、工夫して苦労して、やっとのことで書き上げた文章を褒められて嬉しくなったり、そういった経験をしてしまったら。
やっぱり、文章が世の中からなくなってしまうことに寂しさを覚えてしまう。
それはきっと、文章にもその体温や、その人なりの輪郭や、 “らしさ” を詰め込むことが出来ると知ってしまったからだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE編集部公認ライター)

鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。
 
Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。
 
興味のある分野は まちづくり・心理学。

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2021-09-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.143

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