週刊READING LIFE vol.143

私は、書くことによって自分を救う方法を見つけた《週刊READING LIFE Vol.143 もしも世界から「文章」がなくなったとしたら》


2021/09/13/公開
記事:晴(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は、「自己救済」のために文章を書いている。
書いたものが、例えフィクションであったとしても、私の潜在意識が紡いだものは、おそらく「自己救済」を目的としている。

 

 

 

幼い頃、両親や学校の先生など、私を取り囲んでいた大人たちは感情の起伏が激しく、それをコントロールすることが下手くそだった。私は、多種大量の感情を正面から受けて育ち、自分の中にも多種大量の感情をため込んで生きてきた。その蓄積の様子は、まるで熔解する温度が全く違う複数の金属が、その中でどろどろと溶けて混ざり合いながら、真っ赤に燃えている「るつぼ」のようであった。
この「るつぼ」は、私が、かかわった人の数だけ、体感した記憶の数だけあって、あまりにも多く、あまりにも大きく、あまりにも熱いので、手を触れることはおろか、そこから特定の金属をより分けて取り出すことなどは不可能に思われた。私は、過去に何度か試みては、こっぴどい火傷を負ったため、これを整理することをとうに諦め、「るつぼ」のことはすっかり忘れて暮らしていた。
 
そんな折、天狼院書店のライティングゼミに出会い、私は、「書くこと」を始めた。週に1度、課題の提出を目標として、何かしらの文章を書き続けて約7か月が経つ。課題の提出と言っても、日々、平々凡々と生きてきた私が書けることと言ったら、家族との思い出、主に両親に対する感情の記憶ぐらいしかなかった。家族との思い出や両親に対する感情の記憶を書いているうちに、私は、自分が真っ赤な「るつぼ」に手を突っ込んでいることに気が付いた。
私にとって、書いて課題を提出するということは、「るつぼ」の中から、錫なら錫、銅なら銅を取り出し、もう一度適正な温度で熔かし直し、型に流し込み、成型し、その金属に一番合った製品として世の中に出す作業であった。
例えば、「父がお酒を飲んで時々暴れる」という思い出の「るつぼ」があった。この「るつぼ」には、暴れる父が恐ろしいという記憶や憎いという記憶のほかに、父に暴言を吐かれ手を上げられている母をかわいそうに思い、労わる気持ちや、父がひっくり返した鍋に入っていたお味噌汁の具を手で拾い集める祖母を哀れに思う気持ち、二階から一緒に様子をうかがっていた姉に対しての連帯感など様々な感情が入っていた。さらに驚いたことに、単に怖いと思っていた父に対する愛情や感謝までが混じり合っていたことに気が付いた。
それは、母が常々「お父ちゃんは、お酒ぐらい飲まな、やってられへんのや。こんなに、人の何倍も働いてはるのやから」と、自分を慰めるためになのか、私たち子どもに言い聞かせるためになのか、口癖のように言っていたのを思い出したからだ。実際、父は人の3倍ほど働き稼いでいた。
このように、一見単純な思い出の中から、たくさんの人に対する、ネガティブからポジティブまで種類も濃淡も様々で、幾重にも折りたたまれた感情を、書くために見つめなおし、書くために切り離し、書くために取り出し組み立てするうちに、憎しみは憎しみという一つの金属に、感謝は感謝という一つの金属になり、水差しやお猪口といった形を作って私の手を離れていった。
「書くと整理が進む」とは、よく言われることだが、私は、今まで何度も試みては失敗してきた「るつぼ」の整理の方法の手がかりをつかむことができたと思う。
 
これが、私の文章が「自己救済」だと思う所以である。
書くことによって、私は身軽くなった。

 

 

 

とは言え、「るつぼ」の整理は、そうそう簡単なことではない。
とりわけ、母に関する感情の記憶は、父に関するものより整理がうまく進んでいない。それは、ひとえに、父が死者で母が生者だということに尽きる。
 
「死者を美化することは、いともたやすい」
 
人には倫理観というものがある。世の中に、「死者にムチ打つ」ことはいけないことだという概念が広く浸透しており、私も、既にこの世におらず、私の書いたことに見解を示すことも反論することもできない父のことをあまりにも悪く書くことには大きな抵抗がある。よって、父に対してのネガティブな表現は、かなり手加減せざるを得ない。
記憶に紐づいた感情を外に向かって出す時に、母に対してのものは、父に対してのものより厳しい表現になっていると思うが、対象となる人物が生きているか死んでいるかの違いによって、私の愛情や感謝、批判の表現の度合いが変わっているのだと思う。
もう一つの要因としては、経過した年数とともに、父に関する「るつぼ」の温度が、知らず知らずのうちに下がっていたことにある。父が亡くなって、既に5年以上の月日が経ち、父との記憶に対する感情が更新されることはなくなった。父に対しては、もはや怒りが上塗りされることも、感謝が増幅されることもない。すべての感情が、定量になったのだ。それをそのまま感じ、取り出し、表現することは、比較的容易なことであった。
それに対して、母は生身の人間で、今でも母と会話をしているだけで昔の記憶が呼び起こされてイラつくこともあるし、感情的な言葉をぶつけてしまい、お互いに気まずい思いをすることもある。つまり、ポジティブな感情もネガティブな感情も、いまだに現役で、増幅したり減少したりしているため、その時々で大きな振れ幅があり、母に対しての表現が極端になっているのだと思う。
それでも、母は、私の文章を読むことを楽しみにしてくれている。例え自分に批判的な内容であったとしても、私が文章を書くことを待ち望み、私の文章が掲載されることを喜んでいる。

 

 

 

私は、いまだに母に対する感情をうまく切り分け、取り出し、成型することができていない。だが、実は、何度かトライしたことがある。
特に、「愛したい? 愛されたい?」というテーマで課題が出された時、母への気持ち、思いの丈をひたすら書き連ねた。だが、課題を書き上げて、いざ提出しようと思いながら読み返した時、自分の感情が、あまりにも生々しくて提出することをためらってしまった。
それは、どこからどう読んでも、母に対する熱烈なラブレターだった。
母の愛情を、一身に浴びたい。私だけを見てほしい。私だけを認めてほしい、褒めてほしい。そんなことを延々と書き連ねていた。それは、そうしてもらえなかったことに対する、恨みつらみの裏返しであったのかもしれない。
この7か月の間に、書けなくて、課題を提出できなかったことは何度かあるが、書いたにも関わらず、提出できなかったのは、この一回限りだ。自分の中で昇華できていない感情をおいそれとは外には出せないということを思い知った出来事でもあった。

 

 

 

亡くなった父に対する気持ちは、もはや揺れることがなく、整理することも書くことも比較的容易だった。だが、今、私が何を書いても、父がそれを読むことはない。私が書いたどんな文章も父には届かない。それが父にとって耳の痛い内容でも、私は父に読んでもらいたかったし、きっと父も読みたかっただろうと思う。父は、私が何を渇望し、何に苦悩し、何をつかみ、何がつかめなかったのかを知る機会を、永遠に失ってしまった。時は戻せない。
 
これに対して、母には等身大の私を伝えたいという想いがある。
それには、母に対する感情の「るつぼ」に手を突っ込んで、それぞれの金属を取り出し成型しなおさなければならない。
そして、それは急いで行う必要がある。「るつぼ」の熱が下がるのを待っていられないかもしれない。なぜなら、母は高齢でいつまで私の文章を読んでくれるかわからないからだ。もちろん、人の寿命は測れない。私が母より長く生きるとは決まっていない。でも、それならなおのこと、急がなければいけないと思う。書いて、私の言葉を母に届けておきたい。

 

 

 

もしも世界から「文章」がなくなったとしたら。
そう思うだけで、心臓がめくれ上がるような痛みが走る。
 
私には、まだ、私の言葉を届けていない人がたくさんいる。
子ども達にも、孫にも、夫にも、友人にも、仲間にも。
私の中に、手を突っ込んでいない「るつぼ」がまだまだたくさんあるのだ。
私の場合、文章を書くことによって達成する以外に、「るつぼ」を開く作業を完遂する方法を見出していない。
もし、この世界から文章がなくなる時がくるのであれば、私の寿命が尽きるのと同時であってほしい。そのギリギリの時まで、私は「るつぼ」に手を突っ込み、文章を紡ぎ、言葉を届け、自分を救済し続けたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
晴(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年2月より、天狼院書店にてライティングを学び始める。
滋賀県出身 算命占星術「たなか屋」亭主
趣味は、山登りと不動産鑑賞
人を応援する文章が書きたいと思っている。

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2021-09-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.143

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