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週刊READING LIFE vol.147

私のサスティナブルな旅《週刊READING LIFE Vol.147 人生で一番スカッとしたこと》


2021/11/15/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
自転車に乗り風をきって走る。
見知らぬ街の景色が流れる。
季節の匂いや風を全身で感じて走ると、心がふわっと自由になる。
 
自転車で見知らぬ街を走るのが好きである。
郊外に抜け自然が多くなるとペダルを踏んでスピードをあげる。
空を仰いでいると笑い声がもれる。
 
ココ・シャネルが初めて手がけた帽子店の跡地をスタートし、カラフルなパラソルが特徴のノルマンディ、ドーヴィルの海岸線を自転車で走りぬける。
外壁に梁が映画のセットのような別荘地を抜け、隣の街にかかる橋をわたると銀色に輝く海から潮の香りが強くなる。
ノスタルジーをまとったカジノの跡地に自転車を止め、地元の子供にまじってアイスクリームを食べながら海を見る。
美しいまま歴史に取り残されたカジノの階段に座っていると、自分がツーリストではなくトラベラーである気分にひたれる。
 
世界の見知らぬ街を自転車で走ると自分だけの映画ができあがる。
それは一生、心にのこる自分だけの物語だ。
 
なぜサイクリングがあれほど楽しいのだろうか。
海外で借りる自転車はレース用でもなんでもなく、そのほとんどがママチャリだ。
それなのに走るだけで勝手に笑みがこぼれてくる。
 
目の前に見知らぬランドマークや建物が見えてくる。わくわくする。
それが何か想像する。通り過ぎるまでそれが何なのかわからなくても関係ない。
また次があるから……。
自転車は大通りや目抜き通り、大聖堂の前、小さな路地裏、旧市街の袋小路まで、望めばどこにでも連れて行ってくれる。
 
点在するものが近づいてきて、景色と一緒に流れて、そして遠ざかるのをただ楽しもう。
自転車をこぐのは私の意志だ。気が向けば停車して観たいものを眺めればよい。
カメラマンも監督も演者も自分自身だからだ。
 
風をうけて走っていると、自分が健康で、幸せであることに気づかせてくれる。
そして子供のころのみずみずしい弾力のある感性を取り戻すことができた。
 
小学生の頃、妹とよく自転車で川沿いを走った。
川下から川上まで延々と走った。
川沿いの風は気持ち良かった。
頬が紅潮した。
時折、頭の上を銀色の飛行機が雲をつくりながら飛んでいた。
 
飛行機に乗ってみたい。
いつか飛行機に乗ってみたい。
自転車を止めて妹と二人で飛行機が見えなくなるまで空を見上げた。
 
私は遠くにいく。
自転車ではいけないところにあの飛行機に乗っていく。
そう心に誓った。それが夢の原点になった。自転車を止めて空をあおいだ。
 
季節が流れ、大人になるにつれ自転車に乗らなくなった。
 
だから飛行機に乗り見知らぬ土地で、自転車に乗ることは私にとって最高の贅沢だ。
 
ドイツのベルリン郊外にサンスーシという美しいロココ建築の宮殿がある。
王がベルサイユ宮殿にあこがれてそっくりに作ったと言われる宮殿だ。
豪華すぎて落ち着かない壮麗なベルサイユ宮殿よりも、控えめなサン・スーンシ宮殿を
私は好み美しいと思った。
宮殿には広い庭園がある。
宮殿を自転車で走り抜けるのは実に楽しかった。
手入れされた庭園や花園を走りぬけると、麗しい宮殿の姿があらわれる。
王のはかない夢の跡。
 
プチ・トリアノンをまねた庭園を自転車で何度も行き来した。
花のアーチをくぐりぬけ、庭に点在する彫刻を目印に、宮殿の遠近感を楽しむと王になった気分になる。
ただ走るだけでスカッとする。
誰も自転車には追いつけない。
宮殿の名である「サンスーシ」はフランス語で「憂いなし」。
そこで過ごした1日はその名の通り、純粋に子供に還った喜びで満たされた最高の日になった。
 
こんなこともあった。フランス最後の1日をパリ郊外のジヴェルニーに向かった。
最寄りの駅前のCaféで自転車をかりて目的地へ向かう。
冬の寒さと春の陽気が交互に顔をだす不安定な季節だった。
私と家族は厚いセーターとコートを着込んで出発した。カフェで書いてもらった雑な地図を手にさぁ、出発だ!
温かい日だった。田畑に挟まれた国道を1時間半も走ってジヴェルニーへたどり着いた。
ところが楽園のように花が咲き乱れる小さな村には、世界中からモネのファンが押し寄せていた。
モネの家の博物館へ入るのに1時間並び、「睡蓮」を描いた太鼓橋のある池の周辺は、静寂とは程遠い、有名神社の初詣なみに人で混みあっていた。
おまけに時間がなくなりレストランも閉店して、昼食を取りそびれる不運にも見舞われた。
ジヴェルニーを後にする頃には、空腹と疲れで、心がささくれだっていた。
 
帰り道、タテに並んで車道を自転車で走りながら、私は愚痴をこぼした。
なぜあれほどの観光客が集まる場所にレストランが数件しかないのだ!
そのうえ営業時間も短い! 疲れて機種変更したばかりのスマホを砂利道に落とし、液晶画面を割ってしまい最悪だ。
あげくに借りた自転車のサドルが曲がっていて、まっすぐにこげない。
あぁ疲れたし、信じられないくらい暑い。
愚痴をこぼせばキリがなかった。
愚痴をいいだすと疲れが増して、当然、自転車をこぐスピードが落ちた。
私は半時間、後ろから夫に愚痴を言い続けた。
ずっと前を向いて私の愚痴を聞き流していた夫が後ろを振り返ったとき、相好をくずした。そして笑顔で私に言った。
「後ろをみてごらん」
 
けげんそうに振り返ると、脇道でのろのろと走る夫と私を気遣って、後方から来た車が追い越せずに大渋滞となっていた。
しかし誰もクラクションなど鳴らしたりしない。
初夏の日差しのなか東洋人の中年カップルが、季節外れの冬のコートを着て、年季のはいった壊れそうな自転車に乗った姿を憐れに思ったのかもしれない。
 
皆、優しいね。
さっきまでささくれていた胸に温かいものが流れた。
私たちは自転車を降りて、渋滞していた車を先に行かせ、手をふり見送った。
ジヴェルニーの思い出は、花の咲き乱れる美しいモネの家ではなく、国道につづく並木道と埃っぽいサイクリングだった。
自転車に乗っていると、思いがけない曲がり角の連続と予想外の経験がまっていた。
 
走り抜ける見知らぬ街のぬくもりや生活感がある柔らかさを伴って心をとらえる。
風にそそぐ木々。陽がかげをつくる石造りの家。突然あらわれる広場。
美しい彫像の噴水。手入れの行き届いた家の軒先の花々。
Caféのテラスで楽しげに、時に真剣に話し込む人たち。
その前を自転車で通りすぎるだけで、街と同化し身構えていた心が自由になっていく。

 

 

 

ある時、ちょっとわくわくする経験をした。
あれはロンドンでの出来事だった。ワンディツアーで遠出した帰り、観光バスはロンドン市内で渋滞に巻き込まれた。
その夜はロイヤル・オペラ・ハウスで、オペラ「仮面舞踏会」を観る予定だった。
停滞するバスから外を眺めていたちょうどその時、サイクリング用のヘルメットをかぶった女性が、真っ赤なドレスを着て、渋滞する車の横を自転車でさっそうと追い越していった。
スカーレット・レッドのドレスは金魚の尾ひれのようにふんわりとひるがえり、彼女は消えた。
バスはその後も進んでは止まった。
するとまたどこからか赤いドレスの彼女が現れて、今度はバスの前の横断歩道を走りぬけていった。どうやら仕事帰りのようだ。背中にビジネス用のリュックを背負っていた。
服装からして同じオペラに向かうに違いない。その日はオペラの初演だった。
彼女の赤いドレスのすそが風をはらんで、今度はふわっと風船のようにふくらんだ。
観る者の既成概念をうちやぶり走るその姿は美しく、常識をとびこえた爽やかな光景だった。
 
渋滞がながれだした。
有名な五つ星のホテルの前を通りかかったときだ。中年のカップルが正装で入口から現れた。男性はタキシード、女性は本気のイヴニングドレスだった。どうやらハイヤーを待っているようで男性がしきりと時計の時間を気にしていた。
彼らも劇場へ向かうと見てとれた。
 
そのカップルのすぐそばで、透明人間のように気配を消した中欧の移民の女性が敷地を清掃していた。
時々ヨーロッパの街でみかける格差の景色だった。
裕福なカップルと掃除をしている女性の年齢は近く、三人の距離は5メートルも離れていない。
そこへまた現れたのだ。赤いドレスの女性がスピードをともなって3人のかたわらをさっそうと横ぎっていく。
また彼女のドレスが旗のように鮮やかに赤くひるがえる。
それは階級に縛られない自由の象徴のように初夏の街に美しく映えていた。
 
私は決心した。バスのガイドと運転手に相談して、バスを降ろしてもらうことにした。
そして劇場に向かうために最寄りの地下鉄に向かって走り出した。
オペラの開幕が近づいていた。私たちも急がねば。
自転車か、ハイヤーか、地下鉄か……。 誰が先に劇場に着くか、ちょっとしたゲームだった。
 
市民が芝生の上で寝そべってくつろぐハイドパークの公園を横ぎり、一心に走る。
やっとみつけた地下鉄の入り口の階段を駆け下りた。
こんな時に限って地下鉄はやってこない。
赤いドレスの女性は今頃どこを走っているのだろう。
劇場の最寄り駅につくと今度は出口で迷い、地上に上がって劇場の場所を聞く。
 
開園まで10分をきっていた。
オードリー・ヘップバーンが演じた「マイ・フェア・レディ」で有名なコヴェントガーデンの広場に入る。可愛い雑貨の露店が並ぶ広場に後ろ髪をひかれながら走り急ぐ。
 
後5分。劇場の入口を間違えて、あっちと言われたほうへ回る。息が切れる。
 
劇場の入口に赤いドレスの裾が建物に入っていくのが見えた。
彼女だ! あと少し!
トランシーバーを持った劇場係員の女性が、私たちにこっちと手招きする。
走りながらチケットを取りだして彼女に渡すと、係員も一緒に走り出した。
髪を夜会巻にした美しい係員は脚が長い。彼女についていくのがやっとで階段を駆け上がった。
「もう開演よ。いったん幕があがったら次のシーン転換まで入れないから」
 
私たちが2階席の席についたと同時に明かりが落ちた。
間一髪だった。指揮者が現れお辞儀をする。音楽がながれ、幕があがるが、私たちはまだ息を切らしていた。
 
赤いドレスの彼女がいないかか周りを見渡した。
一人それらしいプラチナブロンドのショートカットの女性が、オペラグラスをバックから取り出しているところだった。どうやら一人のようだ。
視線を感じたのか一瞬、彼女が私の方を見て目が合った。
私はうっすら笑いかける。すると彼女もうっすら微笑んですぐに舞台に視線を落とした。
 
 
初夏の新緑がまぶしいロンドンの街で、赤いドレスの旗をはためかせながら自転車で街を縦横無尽に走るその女性は私にとって自由の象徴だった。
彼女の走る姿は、疲れた夕方の街に、爽やかなさざ波をおこしていた。
 
自転車は私たちが望むところへ連れて行ってくれる。
そしてあらゆる選択の自由をさずけてくれる。
 
これからの個人旅行は、より目的志向が重要視されるだろう。
電機自転車を利用する排ガス規制のサスティナブルツーリズムへの取組みも最近、始まったと聞く。
 
環境汚染や自然破壊をもたらさない自転車の旅は、きっと持続可能な幸福感をもたらすこれからの選択肢になると私は信じて疑わない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、現在、大阪本社の派遣会社にて新規事業の事業戦略に携わる。
2021年 2月ライティング・ゼミに参加。6月からライターズ倶楽部にて書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。

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2021-11-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.147

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