週刊READING LIFE vol.155

クリエイティブへの一歩はささやかに《週刊READING LIFE Vol.155 人生の分岐点》


2022/1/31/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
8階に向かうエスカレーターを昇りながら、胸が高鳴るのを感じていた。
 
(もしもあったら、どうしよう……)
 
もうとっくに心に決めたはずなのに、でも、そこにあったらたぶん私は困惑するのだろう。でももしなかったら、かなり落ち込むはずなのだ。
 
(まあ、なるようにしかならないから)
 
エスカレーターのステップを降りてフロアに立ち、すぐ右を向くと、目当ての店がある。
以前から目をつけていたショーウィンドウにまっすぐに向かう。
 
……あった。
あった。
まだそれは、残っていた。

 

 

 

「自分には美的センスは少ない」という先入観があった。
母は器用な人で、編み物、洋裁など、何かを作ることが得意で、油絵は展覧会にもよく出品して入賞する腕前だったが、娘の私はそのどれもしなかった。
創作系で唯一できたのは、美術のデッサンやクロッキーだけだ。無心に構図を考えて鉛筆を動かすことだけはなんとかできたから好きだった。
それで美術の先生に褒められたこともあったけど、だからといって進んで何かを製作するほど好きでもなかった。自分のクリエイティブ要素なんて、そんな程度だった。
 
物心ついて以来ずっとそう思っていたけど、その思い込みが大きく外れることが起きた。
それは、子どもの幼稚園の運動会の写真を撮らなくてはいけなくなった時のことだ。
 
小さい子の行事写真を撮ったことがある方ならお分かりかと思うが、特に子どもの運動会は、ちょこまか動く子どもの勇姿を撮影するのは至難の技である。ダンスでは家族が座っている観覧席から遠く離れた場所に移動したり、かけっこでもすぐどこかに行ったりしてしまう子どもの姿をしっかりとキャッチしたくて、私は恐ろしく長い望遠レンズつきのフィルムカメラを購入した。
 
家庭用のハンディカメラが普及し始めていたけど、私はビデオを撮ることにはあまり興味はなかった。子どもの姿はあくまで写真に残したかったのだ。ビデオを回したら記録は面白いのかもしれないけど、小さい画面の中で子どもが完結してしまう気がした。カメラだったら、シャッターを切ったらあとは子どもを直接目で見ることができる。最高の一瞬らしきものを切り取る方が自分としては好きだったから、敢えて望遠レンズつきのフィルムカメラを選んだ。
 
子どもの行事のたびに私はそのカメラを持参して撮影した。望遠レンズのシャッターを切る音は、普通のコンパクトカメラのシャッター音よりも複雑だった。
「すごい音がするね!」
「レンズが大きい!」
望遠レンズの長いシャッター音がすると、周りにいたママたちがびっくりしていた。パパがそういうカメラを操るならともかく、ママがやるんだ! と、たかがカメラの扱いですら、妙なジェンダー意識があった時代だった。
別にいいじゃん、好きでやってるんだし。好奇の目で見られても私は一向に気にしなかった。実際そうやって撮った写真がとてもいいのだ。決して高額なカメラではなかったけど、しっかりと遠くまで見据えたレンズがとらえた子どもたちは、大きく写り生き生きとしていた。うん、なかなか、いいじゃない。写真撮るの、好きかも。それだけで私は満足していた。
 
そんな私のカメラ歴は、2005年にSONYのコンパクトデジタルカメラ、いわゆるコンデジを購入したことで大きく変わった。
撮影済みのフィルムを現像に出す手間は当たり前だと思っていたけど、コンデジの出現でそんなことをしなくてもよくなった。自分でパソコンにデータを落として、プリントアウトまでできる。なんなら紙にする必要があるものだけプリントアウトすればよいので、しまいにはアルバムすら作らなくなった。
 
コンデジをしばらく使い、慣れてきたところでまた望遠で撮りたくなり、2008年に初心者でも扱いやすいSONYのデジタル一眼レフのカメラを購入した。一眼レフといっても最小限の設定しかなく、初心者でも簡単に撮影できるものだった。
 
デジタルのカメラを2台持った私だけど、そこにもう1つの写真革命が訪れた。
iPhoneを初めて使って、内蔵のカメラに私はいたく感動した。携帯電話なのにきちんと綺麗に写るiPhoneを持って以来写真はそれで撮るようになり、コンデジも一眼レフも家に置きっぱなしになった。
 
SNSに載せる写真もほぼiPhoneで撮っていた。Instagramなどというものができる何年も前のことである。携帯のカメラでなんとなく写メってSNSにUPしている自分はイケてる、これでいいんだと思っていた。自分がデジカメを2台も持っていることなんてとっくに忘れるくらい、カメラそのものの存在が自分の中から追放されていた。

 

 

 

そんな適当な自信を見事に打ち砕く出来事が起こった。
天狼院書店を知って、最初は文章のゼミを受けていたが、初心者にも写真の撮り方を教えてくれる講座があると聞き、そういえばうちにも一眼レフがあったよねと、講座を受けてみることにした。
 
最後に一眼レフを使ったのは10年以上前だ。
動くかな? と思いながら物置から引っ張り出した。充電して電源を入れると一応は動く。
よし、これを使えばいいや。古いデジカメで私は講座に臨んだ。
 
講座の方針は「初心者でもマニュアルモードで撮影しましょう」というものだった。
古い一眼レフではオートモードしか使わなかったので、F値・シャッタースピード・ISO感度なんて自分で設定などしたことはなかった。
講師の言う通りにマニュアルモードにして撮影をしてみると、なんときちんとした写真が撮れないのだ。シャッターが降りなかったり画像が暗すぎたり、すごく綺麗な写真というものが作れない。
 
(先生のいう通りにやってるんだけど、なぜ撮れない?)
 
天狼院のフォト部で写真を勉強している皆さんは、とても写真が上手い。なんというか、その場の雰囲気を絶妙にとらえていて、それでいてそれぞれの写真に個性があるのだ。
私はといえば、iPhoneではあんなに綺麗に撮れたのに、一眼レフでは自分で考えた写真が綺麗にならない。適当に美しさがある写真が撮れたらそれでいいと思っていたのに、それすらできない現実がもどかしかった。
 
(何が違うんだろう?)
 
そのことを突き詰めたくて、私はフォト講座や撮影会に参加してみた。
撮影会では最初に参加者が自己紹介をする。その時に、その日に使うカメラは何かを言う。
参加者の皆さんがお持ちの機材は最新のものや、こだわりのもので、私が持っているような、いかにもいい加減に買いました的な一眼レフなんて誰も持っていない。自分のカメラは時代遅れもいいとこで、型番を言うのが恥ずかしいくらいだった。
 
最初から猛烈に恥ずかしいまま、撮影会は始まった。
とりあえず街角の気になったものを撮影していく。撮れた写真を講師に見せると、一応はほめてはくれるけど、手放しではなさそうだ。そういえば、SNSでよく見かける素敵な写真にある「背景がボケている」のが私の写真にはないような気がした。
「そうですね……、もしかしたらこれ、レンズを変えた方がいいのかもしれませんね」
「レンズですか。でも何を買ったらいいんですか?」
「単焦点レンズですね。中古で十分ですよ」
いい写真を撮りたかったら、ある程度機材を揃えないとダメということか。お金をかけずに手持ちの一眼レフで乗り切ろうと思っていたけど、そうも行かなかったようだ。
 
私はSONYの中古の単焦点レンズを買うべく店を探した。幸い、近くの駅ビルにカメラ専門店が入っていた。
「あの、SONYの単焦点レンズの50mmってありますか?」
「1つだけ在庫がありますよ」
応対に出た、関西弁のおっちゃんは親切だった。
「よかったらカメラにつけて試してみてください……。どうでしょう?」
テストでシャッターを切ってみると、なかなかいい感じで背景がボケている。
「いいんじゃないかと思うけど、よくわからないんですよね」
「見せてください……。いいじゃないですか? このレンズの内部も綺麗ですよ」
そんなものかなと思い、私はそれを購入した。
「また何かありましたらいつでもどうぞ」
おっちゃんには、自分みたいに何にもわからない人が質問したら、なんでも答えてくれそうな頼もしさがあった。購入した単焦点レンズを、早速私は次の撮影会に使った。
「あ、買ったんですね!」
講師は嬉しそうだった。
「そうなんです。これ、撮ってみたんだけどどうですか?」
「おお、すごく、すごくいい! めっちゃ写真変わったじゃないですか!」
ちゃんと背景のボケが発生してるじゃないですかと、講師は褒めてくれた。
「レンズで写真ってすごく変わりますからね。よかったよかった」
確かに、以前と比べると写真に立体感が増している。よし、当分は古い一眼レフ+これも中古の単焦点レンズのコンビで行けそうかな、と思っていた。
 
ところが、である。
せっかく良いレンズと巡り会えたのに、それから程なくして古い一眼レフが言うことを聞かなくなった。マニュアルモードなのに1つ1つの操作が「できません」などとディスプレイに出てくる。
買ってから13年も経っているから仕方ないのかもしれない。長年使ってなかったから内部がおかしくなっている可能性もあるけど、古すぎて部品がなく修理できないと言われてしまった。
 
さあ、どうしよう。
自分はこれから、写真に対して、どうしたいのか。それによって大きく変わってくる。
このまま古いカメラ&古いレンズを騙し騙し使い倒すのか。
それとも思い切って、新しいカメラを買った方がいいのか。
 
自分の気持ちとしては、写真を撮ることを再開して、それがとても面白くなってきていた。
最初は撮れない撮れないと思っていたけど、撮る前に頭でよく考えることでその場に合わせて設定をするようになった。そして徐々に、いい感じかなと思える写真がいくつかできるようになった。こうなってくると俄然面白くなってくる。
 
ここでカメラをやめることは、ありえないかな。
それが私の出した結論だった。
 
文章を書いていて、写真もあった方がいいとお願いされることも増えてきた。どうせだったら文章が書けて写真が撮れるようになったらいいんじゃないか? とぼんやり考えていた時だった。そのタイミングで、写真を再開したのだ。文章と写真の両軸が欲しかったのではないのか。
 
カメラは決してお安い買い物ではない。買うには元手が必要だった。面白いことに、ライティングで得た収入がそっくりそのまま私が欲しいと思っていた新しい一眼レフのお値段だった。単なる偶然ではなく、必然なのかもしれない。もう答えは出たも同然だった。

 

 

 

新しいカメラを買おう、そう決心して間もなく、世界的にデジタルカメラが品薄であるという報道が出た。半導体の原材料が手に入らないということで、各社で生産終了するカメラが続出していた。急がないといけないのかもしれなかった。私は、以前単焦点レンズを買ったカメラ専門店に向かった。
まだあるだろうか。恐る恐るショーウィンドウをのぞくと、狙っているカメラは残っているようだ。
 
清水の舞台から飛び降りるとはよく言ったもので、大きな買い物をするときは緊張する。私にとってカメラは十分に大きすぎる買い物だ。緊張している私の背中を押してくれる何かが欲しかった。
 
「……はい、ご希望のものがあったら、ご覧くださいねー。ウィンドウ開けますよ!」
 
聞き覚えのある声がした。
あの声だ。
あの時の、親切なおっちゃんだ。
もしかしたら、あのおっちゃんだったら、ちゃんと背中を押してくれるような気がする。私はおっちゃんに向かって右手を上げ、このカメラを買いたいと申し出た。
「よかったですね。うちに在庫が4台あったけど、もうこれが最後の1台ですよ。これでなくなっちゃいました。お客さん運がいいですよ」
カメラを準備しながら、おっちゃんは話してくれた。報道が出た途端に問い合わせが殺到していたのだそうだ。
 
これはささやかだけど、何かの分かれ目になるのかもしれない。私の覚悟は、少しだけ固まった。
さあ、始まるよ。
このカメラが連れていってくれる景色は、どんなものだろうか。最後まで、しっかりと見ていくのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2022-01-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.155

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