週刊READING LIFE vol.156

自分なりの解釈をみつけたことで、時代の流れに翻弄されなくなった話《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》

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2022/02/08/公開
記事:吉田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ありのままの自分、運命もなにもかもを受け入れ、生きていく。
自分が持っているもの、与えられているものに不満なんて持たず、人のものをうらやましがることもなく、感謝をして生きていく。
たとえ環境が変わっても、以前よりも寂しかったり不便だったりしても、ただ前を向いて今を生きていく。
そして、家族を愛し、家族に愛されて生きていく……。
 
こんな生き方ができたら理想だ。
なかなか難しいと思うのだが、でも、こうやって生きている存在と出会えた。
それは、愛犬と愛猫。
動物と一緒に暮らしている人であれば誰でも感じることだろう。
彼らは、もちろんペットとして飼われるという限定的な条件のもとで、選択の自由はないのだが、でも、「今」を大切に、家族をまっすぐ愛して、家族に愛されるために努力して、他の犬や飼い主や家をうらやましがることもなく、自分の気持ちに素直に、忠実に生きている。
そんな彼らは、ある意味、自己肯定感の塊だと思う。
 
私も彼らのように生きていきたい。
自己肯定感を上げたい。自分で自分を認められて、自分を信じて生きていきたい。
 
今は多様性、ジェンダーレスの時代。
個性を大切に、自由に生きて行かれる。
ありのままの自分を受け入れて、自分が好き。そういう自己肯定感が高い人が評価されたり、憧れの存在となることも多い。
本屋さんへ行けば、自己肯定感に関する本が山ほどあり、テレビでもYouTubeでも「まずは今の自分を好きになって」というような言葉を聞くことが多い。
 
が、しかし。
そもそも、自己肯定感とは? ありのままの自分とは?
自分で自分を認められること? 褒められること? 好きなこと? 自信があること? 受け入れられること?
 
いつから、こんなに「自己肯定感が高い人」が求められる世の中になったのだろう?
それがいいとか悪いとかではなくて、私の学生時代(1990年代)は、自己肯定感であるとか、ありのままの自分を受け入れる、なんていう言葉はあまり聞かなかったように思う。たんに私の情報感度が低かっただけかもしれないが。
私が子どもの頃は、まだまだ「男の子は男の子らしく」「女の子は女の子らしく」という教育が当たり前だった。男の子は黒いランドセル、女の子は赤いランドセル。小学生だったら男の子は半ズボン、女の子は膝丈のスカートが制服のように定番で、全員がほぼその格好をしていた。
個性が求められるというよりは、協調性を重んじ、輪を乱さないこと、足並みを揃えることが求められたし、ありのままと言うよりは、みんなと同じことが同じようにできるようになること、その努力をすることを強要されたように思う。もちろん子どもなのだから努力の必要性を教えられたということもあるが。
両親や先生や周りの大人たちからの言葉には「女の子なんだから」という枕言葉がついてまわり、でもそれに疑問を持つこともなく、「女の子らしくしなくては」と思って育った。
子どもの頃に、「そのままの自分でいいんだよ」とか「自分で自分を好きでいることが大切なんだよ」などと言われた記憶も、自己肯定感を上げるような教育も受けた覚えがない。両親からも、もちろん褒められることもあったが、どちらかと言えば、「よく頑張ったね」より、「もっと頑張りなさい。もっとできるでしょう」と言われることの方が断然多かった。
そんな中で、「自分が大好き!」と、たとえば自慢話をしたり、友達から褒められたときに謙遜しない子は、異質の存在として周囲から浮いてしまうし、陰口の対象となった。「自分大好き」は、誰もが認める美男美女、成績優秀な人、スポーツ万能な人、ピアノや絵がうまいなどの才能がある人、クラスのムードメーカーの面白い人、家がお金持ちの人、など何かしら「持っている」人にしか許されていなかった。
だから、内心どう思っていたかは別として、自分に自信があったり自分のことが好きでもそれを周りへアピールする人は少なかったし、同調圧力の中で平凡に学校生活を送る人が多かった。
もちろん私は特別頭が良かったわけでも、スポーツができたわけでも、美人だったわけでもなかったので、そうやって過ごしてきた。
ところが大学三年生となり、就職活動となると、いきなり今までとはうって変わって、自分の長所や特技を、他の人よりも優れていることをアピールしなくてはならない。
いやいやいや、今までそんな個性とか人との違いとかは求められてこなかったのに……と戸惑った。就職活動のための自己分析講座に出てみたり、母や友人に自分の長所を聞いたりしながら、なんとか「就職活動用の自分」を創り上げた。でも就職氷河期だったため、いつの間にかとにかく内定をもらうための「採用されるための自分」を創り上げて精一杯に演じた。そうやってなんとか内定をもらったが、中途半端な自己分析しかできないまま、自分の長所や強みが何なのかもよくわからないまま、学生生活を終えてしまった。
 
2000年代に社会に出て働き始めたのだが、就職活動で自分の長所や自己アピールについて考え続けていたせいか、急に「自己肯定感」に関する本をよく目にしたり、テレビでもそういう言葉を聞くようになったと思う。時代の流れもあっただろうし、私の脳がそういう言葉に反応するようになっていた。「自分探し」という言葉もよく聞くようになり、自分とは探さないと見つからない存在なんだな、就職活動では結局は中途半端な自己分析しかできず、私も自分を探しきれなかったもんな……と思った。
そして、20代の私は、望む就職先には就職できなかった上に、仕事でも失敗をたくさん繰り返し、恋愛もうまくいかないことが多く、とにかく自己肯定感が低かったため、自己肯定感に関する本をいろいろと読んだ。しかし具体的なメソッドが書いてあっても中途半端にしか実践せず、そしてそれも続かず、どれも消化不良のまま、「もっと頑張らなくては。今の私は頑張っていない」と自分を追い詰めてしまうことが多く、自己肯定感を上げるどころではなかった。
 
そうやってもがいて、自己肯定感を上げたいと思う一方で、「ありのままの自分を好きになる」ということ自体が、なんだか自分が本当に求めていることなのか、しっくりきていないという思いもあった。
自分を好きになるメリットは? 自分に満足できていないから頑張れるのであって、自分が好きとなったら、その状態にあぐらをかいてしまって努力しなくなるのでは? ありのままの自分を受け入れることで次のステージへ一歩踏み出せる、というようなことがよく本に書いてあるが、ありのままの自分をどうにかしたいからもがいているのに、その自分をまず好きになるというのは、どうやって? 順番が違うのでは? 何も認められることも褒められることもないのに! などと自分の中に落とし込めず、頭と心の整理もできずにいた。
 
そんなときに、たまたま見ていたテレビ番組での美輪明宏さんの言葉が心に刺さった。
細かい言葉までは覚えていないのだが、「ありのままの自分を受け入れて、というのは図々しい。それは、泥のついた大根を泥も落とさず、料理もせず、そのまま食べてと言っているのと同じこと」というような内容のことを話されていた。
その言葉がものすごくしっくりきた。
なんでも、ありのまま受け入れればいいわけではないのだ。自分で自分を認める、さらに人にも認めてもらう、受け入れてもらうためにはやはり努力が必要だ。もちろんその過程の努力や少しでも成長した自分、もしくは失敗してしまった自分も含めて行動できたことは認めてあげるべきだけれど、何も努力しないうちから「ありのままの自分を好きになろう! 受け入れてちょうだい」には無理があるのだ。
それと同時に、「ありのまま」とは一般的にはいい意味で使われていて、私もそう解釈していると思い込んでいたが、私の中では「ありのまま」という言葉は、美輪さんが言うように「何もしていない」という風に、実は否定的に解釈していたことにも気がついた。だから「ありのままの自分を好きになること」が自分の中に落とし込みにくく、ひいては「自分を好きになること」自体も腑に落ちないのだと気づいた。
「ありのままの」はとりあえず忘れよう、そして「自己肯定感=自分を好きになること」と思い込んでいたが、それもいったん脇に置いて、「自己肯定感」と「自分を好きになること」は分けて考えよう、別問題として捉えた方が私には合っているのだと気づくことができた。
 
それからは、自己肯定感に関する本を読んでも腹落ちできる部分が増えた。書かれている内容や自己肯定感アップのための方法も自分に合うもの、合わないものを取捨選択ができるようになって、やみくもに「自己肯定感を上げよう! 自分を好きになろう!」という時代の流れに流されそうになることも減った。物事や言葉を自分なりの解釈をして、自分としてはどう捉えて、それをどう扱うのか、ということが学べて身についたと思う。

 

 

 

自己肯定感が高く、自分が大好き! で生きていかれれば、それはすごく素敵なことだと思う。
自己否定ばかりしていたら、もちろん精神的にも疲れるし、どんどん自分が嫌になるだろうし、人にも優しくできないと思う。
年齢的にも、様々な経験をしたし、小さなものでも成功体験をそれなりに積み重ねてきた。20代の私よりははるかに自己肯定感は上がっていると思うし、自分で自分を認められる部分も増えたと思う。
でも、自己肯定感が上がっても、「自分大好き! うふふ」とはやはりならないのである。それは、自分の固定観念や言葉の解釈が関わっていたことと、自分の子どもの頃に形成された核となる部分に、その種がないから、いくら水をあげても芽は出ないのだ。だから今でも、20代の頃と変わらず「自己肯定感」と「自分を好きになること」は別問題として捉えている。
それは自己否定することにはつながらないし、自分を好きになれないということではないのだが、どうにも「自分のことが好き」がしっくりこない。
もちろん、自分大好きの種が自分の核の中にあるのであれば、それはおおいに育てて行かれればいいと思うし、そういう人を羨ましく思う。
 
これからもできる努力を積み重ねて自己肯定感を上げていって、いつか私も、お手本の愛犬と愛猫のように、自己肯定感の塊となることができたらいいと思う。そうなったら、もしかしたら「自己肯定感」と「自分のことが好き」がいつの間にか別問題ではなくなって、どこからか飛んできたか、人からいただいたか、もしくは自分で仕入れたかした種を、大切に大切に育てて、大きな花が咲いているかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田みのり(READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)

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2022-02-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.156

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