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週刊READING LIFE vol.164

3行しか本を読めなくなった私が、犬のおかげで1冊読めるようになった話《週刊READING LIFE Vol.164 「面白い」と「つまらない」の差はどこにある?》


2022/04/04/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
その日はいきなりやって来た。
「この本、つまらない……」
ある単行本を読もうとして、3行目まで読み終わらないうちにパタンと閉じてしまった。
読めないのだ、本が。
理解できないのだ、文章の内容が。
決して難しいビジネス書を読んでいたわけではない。
著名な作家のエッセイだったのだが、あまりにも読めなさ過ぎて、まるで幼稚園児に逆戻りしたかのような感覚だった。
これって日本語、だよね? なんて書いてあるんだろう……。
 
状況を理解できないまま、私は単行本を自宅の机に置いた。
私の思考はその時点で完全に停止していた。
なんだか体がフラフラする。ふと見上げると壁が、天井が、ぐるぐる回る。
もう起きているのが限界で、その日は布団に沈むように倒れ込んでしまった。
翌日、目が覚めてからも激しい頭痛と今までにないような倦怠感に襲われて、トイレに這って行くのがやっとのことだった。
水分は摂ることができるが、食欲がまったくわかない。
気分転換に試しにテレビをつけてみたが、ワイドショーで司会者が話す声も、CMで流れる音楽も、ただの雑音にしか聞こえなくて、
「ああ! うるさいっ!!」
とすぐにリモコンのOFFスイッチを押した。またもや布団に突っ伏した。
 
何かがおかしい。今までこんなことなかったのに。
そこで、親しい友人にLINEしてみた。
「昨日から、なんか急に本が読めなくなっちゃった。不思議」
すると、しばらくして返ってきたのは意外な答えだった。
「チカコ、最近残業と人間関係ですごく疲れているって言ってたじゃない? 前に行ったことがあるカウンセリングとかで話を聞いてもらったらどうかな?」
友人は私と同様に採用関係の仕事をしていたので、スタッフの不調に気づくのが本当に敏感で経験豊富でもあり、私にとっても頼れる存在だったのだ。
きっと、私と同じようなスタッフを見たことがあったのだろう。
友人の言葉は、私の心にすっと入ってきた。
そこで、体調が小康状態になった頃を見計らって、以前お世話になったことがある臨床心理士のもとへカウンセリングに行くことにした。
 
予約した日に臨床心理士の先生の顔を見た瞬間、ふわりと力が抜けた。
「久しぶりですね。お待ちしてましたよ」
瞬時に見透かされたような気持ちになったのと同時に、ああ、この人ならたぶんわかってくれるとわかった。
先生は私の話を丁寧に聞いてくれた。
ある日、急に本が読めなくなってしまったこと。
テレビから流れるすべての音がうるさいとしか感じないこと。
4月の人事異動で新しい部署(希望していた部署)に異動したものの、慣れない仕事ばかりでなかなか覚えられずに焦っていること。
毎日、電話での問い合わせが多く、また即答できない質問ばかりで私の処理能力が追い付かないまま、時間だけが過ぎていくこと。
さらに平日も深夜残業になるだけでなく、土日も出勤しないと仕事が終わらないという「恐怖」に駆られて、1ヶ月以上、土日も出勤していることを話した。
 
臨床心理士の先生は、
「それは、体も心も疲れちゃうに決まっているじゃないですか。一体、ご自身をいつ休ませるんですか」
と悲しそうに私を見た。
そんな目で見ないでください。
私だってどうしたらいいかわからないから、ここに来ているのだから。
もう、すでにそこで私の涙腺は崩壊寸前になっていた。
「チカコさん、予想外に起こる出来事とか、人を頼ったり、人に任せることって本当に苦手ですもんね」
うっっ。
先生の核心を突く一言にもう何も言えなかった。
気づいたらぽろぽろと涙が出てきた。
手にしたタオルハンカチをくしゃくしゃにしながら、私は子どものように嗚咽していた。

 

 

 

どれくらい泣いただろうか。
タオルハンカチが手元でしっとりと濡れているのを感じた頃、その先生は静かに話しだした。
「今まで、いろんな方のカウンセリングをしていますが、メンタル疾患の方は、チカコさんと同じような症状の方は多いんですよ」
 
え? 私だけじゃないんですか? と驚いて顔を上げた。
 
「本が読めないのは、仕方がないことなんです。だって病気なんですから」
聞くところによると、メンタル不調の場合、脳の働きが低下してしまうことはわりと知られている。
複雑なネットワークを使って脳内で情報伝達を仲介している神経伝達物質のセロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンの量が極端に減少したり、その情報伝達を受け止める受容体が何らかの異常で受け取れずに阻害されてくると、私のような症状が現れるのだという。
その異常な状態を正常に近づけるために、主治医からは薬が処方されるのである。
「病気である」という理由を聞いて、少しだけ心が軽くなった気がした。
 
後日、臨床心理士と主治医の薦めもあり、復職プログラム(クリニックによってリワーク・リスタートなどと呼ぶ場合もある)を数ケ月受けることになった。
本当に辛かったのはここからだ。
まずは、毎日「生活記録表」なるものを記入することが必須なのである。
朝起きてから、夜寝るまでの行動を毎日手書きで書いて、後日、客観的に見てもらう。
規則正しい生活を目指し、睡眠時間がきちんと取れるようになることが社会復帰への第一歩だからである。
だから仮にウソの生活記録表を書いてしまうと、先生方は見破るのが得意なので、
「あなた、これ実はやっていないでしょ? 寝ていたでしょう?」
とすぐにバレてしまう。
もちろん初めから規則正しい生活は送れない。緩やかに日常の生活に戻していくことがリハビリなのである。
 
「生活記録表」が書けるようになると、次は「昼間は図書館などで夕方まで過ごす」ことが課題となる。
そこでは、「生活記録表」を書いてもいいし、本が読める人は読んでもいい。
とにかく「横にならずに起きている」ことが大事なのだ。復職する前に、就業時間にきちんと起きていられるかの練習である。
初めの1ケ月は図書館に1時間いるだけでも、うとうと眠くなってしまったり、帰りたくなってしまったり、とにかく落ちつかない。
椅子に座っていても終始そわそわしている姿は、傍から見ても「落ち着きのない人」そのものだったであろう。
しかし、慣れというものは不思議なもので、2ケ月目になると徐々にではあるが、ちゃんと座っていられるようになる。
驚いたのは、図書館という数多あるジャンルの中で、何か「面白そう」と思える本や雑誌や写真集が一冊は見つかるということだった。
惰性で選ぶのではない。
リハビリ中とはいえ、ただ寝ているだけでなく、この数カ月の中で何かを掴み取って職場復帰したいという思いが湧いてくるようになったのだ。
激しい頭痛と倦怠感に苦しめられている時は、「私の人生は生き地獄のようだ」と大袈裟にも思っていたが、次第に「地獄まで来たのなら、何かひとつ土産くらい持ち帰ってやる」という心境の変化があった。
 
そんな中で私はある一冊の本に出会った。
「盲導犬クイールの一生」という本である。
ある家庭で生まれた子犬たちのうちの一匹が一人前の盲導犬になるまでの過程を描いたもので、犬嫌いの視覚障害者のパートナーとの絆を少しずつ深めていく物語である。
実は盲導犬には、生ませの親、育ての親(パピーウォーカー)、しつけの親(盲導犬訓練士)という3人の親がいる。しかし、そうして手塩にかけて育て、やっと仕えることになった視覚障害者との絆ができてきた矢先、その障害者が重い病気を患い、亡くなってしまったことでクイールはパートナーとしての役割を解任されてしまう。
やがて余生をデモンストレーション犬として盲導犬の理解を深める活動に従事したあと、本来はレアケースである育ての親(パピーウォーカー)の元で晩年を過ごすというものだった。
それまで、2~3ページくらいは読めるほど回復はしていたものの、まだまだ本を一冊読み切るということに抵抗があったはずなのに、この本は一週間ほどかけて無理なく読了することができたのである。
クイールのユーモラスな行動にくすりと笑えたり、しつけの親との訓練の様子に身が引き締まったり、パートナーとの大切な絆と悲しい別れ。その日によっていろんな感情が引き出されるのが自分でもわかった。
 
あの日、軽いエッセイすら読めなかった私にとって、これほど感情を揺さぶられることはなかった。人目もはばからず、図書館で泣きながら読んだことは今でも忘れることはできない。
あの本をきっかけに、私の中で直線の状態だった「感情」というものが少しずつ蘇生した。
一匹の盲導犬がこんなにもいろんなことを乗り越えているのだから、私も今のこの状況を乗り越えてみたいと思えるようになったのである。
 
その2か月後、私は無事に職場復帰した。その後は休職することもなく、なんとか一社会人としての日々を送ることができている。
 
私が思う「面白い」と「つまらない」の差は、その人の心身状態に大きく左右されると思っている。
健康である時には何を見ても、何を聞いても「面白い」と「つまらない」の判断ができる力が自然と働く。
健康でない時には何を見ても、何を聞いても「つまらない」ことが圧倒的に多い。
だからこそ、今後生きていく中で一つでも何か「面白い」と思えるためには、まず何よりも体調管理が大事だと思っている。
会社員であればごく当たり前のように組み込まれている、年1回の定期健康診断や人間ドックも、実はちゃんと意味があるのだ。
「仕事が忙しいし、予約とか待ち時間とかいろいろ面倒くさいから行ってない」
という方がいらっしゃれば、今後できるだけ受診することをお薦めしたい。
 
今はあの時の「本が……読めない」というのが嘘のように、ハードカバーの長編小説も読めるし、週2~3回は書店に通えるほどに回復している。
何か「面白い」本がないかなと探す時間を楽しんでいる。
ちなみに私は大きすぎる書店があまり好きでない。大きな図書館も実は得意ではない。
本を探すのに時間がかかるし、買う予定でないものもつい衝動買いしてしまうからである。
適度な広さの中で、コンパクトに選ぶ楽しみがあるという点では、天狼院書店の福岡店はちょうどいいと思っている。
隠れ家的な場所にあり、幅広いジャンルの中から厳選したものを置いているので、購入しようがしまいが、
「ふーん、こういう本もあるのねぇ。タイトルの付け方が面白い。気になる」
と思うことが多く、訪れるだけでもちょっとしたライティングの勉強になるのだ。
 
もし今、日々がちょっと「つまらない」と感じている方がいれば、まず自分の心身が健康な状態であるかをチェックしていただきたい。そして、特に問題ない状態であれば天狼院書店(お近くになければ他の書店)で「面白い」一冊を探してみてはいかがだろうか。
新たな人生の楽しみ方の一つとして上記のご提案をしてこの記事を終わりたいと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

長崎県生まれ。福岡県在住。
西南学院大学文学部卒。
2021年よりREADING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で自身の経験を通して、読んだ方が一人でも共感できる文章を発信したいと思っている。現在、WEB READING LIFEにて「百年床・宇佐美商店」を連載中。

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2022-03-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.164

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