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週刊READING LIFE vol.164

モノクロームだからつまらないって決めないでくれる?《週刊READING LIFE Vol.164 「面白い」と「つまらない」の差はどこにある?》


2022/04/04/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
毎年春が来ると決まって落ち着かなくなる。
桜が咲くからだ。
 
桜が咲くこと自体は別になんでもないが、桜の写真を撮ることを自分の恒例行事にしている。今年は何日に、どこに撮りに行こうか。満開予想日はいつか、雨が降ることはないだろうか。ちょうど繁忙期に入る仕事との兼ね合いはどうだろうか、早退できるんならそうしたいんだけどなあ。日々刻々と変わる諸条件を考えながら、桜フォト撮影のスケジューリングで頭がいっぱいになるから落ち着かないのだ。
 
貴重な休日の予定をやりくりして、天気がいいうちに急いで撮りに行かなきゃと出発する。花見客も多く訪れる大きな公園が近所にあって、そこが手っ取り早かった。
 
公園に隣接する野球場では草野球のトーナメントがあるらしく、その日はやたらユニフォーム姿のおっちゃんたちがいた。
(今日に限って、なんでこんなにいるの……)
何となく嫌な予感がしていた。彼らの野球には1ミリも興味はないけど、群れていろいろと園内にいる他の訪問者を肴にして笑いものにしがちなのが好きではなかったからだ。
 
あの人たちは関係ないない! と思いながら、私は自分が精一杯両手を伸ばしてカメラを差し出して写真が撮れる高さの桜の木を探した。いたずらされて枝が折られてしまうため、桜の木はどこも低い枝は切ってしまうのが常だから、背が高くない私が写真が撮れる木を探すだけでも結構大変なのだ。そしてどうせなら自然光が当たっていた方が写真が華やかになるからそのほうがいい。
 
さあどの桜の木にしようかと園内をあちこち歩き回って、ここなら撮れるんじゃないかと何本かの桜に目星をつけた。噴水の隣の大きな木は枝も低めだから、これだったらどうにかなる。私はカメラを取り出してアングルを探し出した。その時、何となく人の声が耳に入ってきた。
(誰……?)
撮影をしようとした木は、ちょうど喫煙所から見渡せる場所にあった。そこで休憩時間か打ち合わせかわからないけど、いろんなユニフォームの人たちが固まって談笑していた。
(なんかうっとおしい…)
スマートフォンでもコンデジでもなく、大きめの一眼レフを持ってふらふらと歩くおばさんが面白いのだろうか。何だかこちらを見てごそごそいう声が聞こえてきた。
(構うこと、ないし)
気にしないでおこう、どうせ通りすがりの人だしと割り切って私はカメラを構えた。今日のレンズはちょっと長めだから、いっぱいいっぱいに腕を伸ばしてモニターから見ればかなり桜に寄れるはず。
 
撮れる範囲でさまざまな角度から私は桜を撮影した。順光と逆光とでは色の出方も違うし、満開の日と休日が重なるのは今日しかないし。ここで撮らなきゃ損! おっちゃんたちは、気にしない! タバコ休憩をするついでに、園内にいる他の訪問者を肴にして笑いものにしているのかもしれないけど、そんなことは撃沈するかのように私は撮り続けた。
 
1本の桜の木で、多分100枚くらいは撮ったかもしれない。流石にそこまで撮り続けるとおっちゃんたちも呆れたのか、そのうち声は止んでいた。やったね、私の勝ち。自分のするべきことを成し遂げた方が絶対上だと思っているから。今日のミッション、コンプリートできたと思った。

 

 

 

なにかを書くとき、作るとき、誰かの邪魔が入ることがある。
作り始めてしばらく経って、せっかく軌道に乗ってきたところで家族に声をかけられる、チャイムが鳴る、電話が、メールが来る……。いろんなパターンがあるけど、そこでいちいち中断されてたらダメ。
 
もちろん邪魔されない環境づくりも大事だけど、そうも言っていられないこともある。その時その場所でしかできないことがあった場合、「いつもの環境じゃないとできない」ようでは困るのだ。だから余計なものは見なかったことにする。誰かの話し声は聞かなかったことにする。余分なものを意識から消すことにも、だいぶ慣れてきた。
 
そうまでして何かを書きたい、作りたいのは、ひたすらいいものを作りたいから。そのためには自分が集中していないといけない。最後の最後まで妥協しないで集中して完成した時の何とも言えない達成感が好きだ。
 
ところがそうやって精一杯作り上げたはずの成果物を出した後に、決まって感じることがある。宙ぶらりんな気持ちになるのだ。それはなぜか。
自分の成果物が、人にどう評価されるのかが全く予想もつかないからだ。
 
なんかいい感じかも!
割とよく書けたかもしれない!
……などと思っても、それらを見せられた人の感想は様々である。自分じゃいいと思っていても大して目にも止まらなかった、あるいは「え、こんなのが?」みたいな作品が褒められる。全く人の心はわからない。
 
ある時「写真を10枚提出してください」と、受講している写真の講座で言われたことがあった。
特にテーマは決めずに何でもいいので10枚出してといきなり言われても、結構選ぶのに困ることがある。「何でもいいから」と言いつつも出来の悪い写真は出したくない。例え1000枚くらい撮ったとしても、その中から使える写真はほんの数枚のこともよくある。どうしよう。
 
私は街のスナップ写真から出そうと思った。確か小物を丁寧に撮ろうと頑張ったのがあったっけ。あれならカラフルだから良さそうかもなどと考えたけど、10枚は選べなかった。
(10枚に満たないから、もう何でもいいから適当に出しとこ!)
そう思って苦し紛れに、交差点で何となく撮った、モノクロームの横断歩道の写真を最後の1枚に選んでようやく提出した。
(何でもいいよね、10枚あればいいんだから)
やれやれ終わった、講師からの講評をもらえるまではちょっとホッとできるかなと、荷物を1つ下ろしたような感覚があった。

 

 

 

そして講師からの講評をもらう日がやってきた。
10枚のうち、自分として割と自信があって、よく撮れたような気がしたものがあった。それはセレクトショップに置いてあった、ミニチュアの公衆電話を撮ったものだった。公衆電話自体見かけなくなった今はそれだけでも珍しいし、「おや?」って思ってもらえたらちょっと嬉しいかも。そんなことを思っていると自分の番が回ってきた。
 
「そうだね……。まあ、よくある写真って感じだよね」
 
えっ? と思った。そうなんだ、自分じゃ割と気に入ってたんだけどなあ。残念でした。先生のお眼鏡には叶わなかったようだ。
 
「単にものだけを写していると『どこかで見たような写真』にしか見えないんだよね。Instagramで見たような写真かな、とかね」
 
そうかあ。色々考えて撮ったんだけどなあ。プロの人からするとそんな感じなのか。
 
「逆に、これなんか僕はいいと思うんだけど」
 
そう言って講師が指したのは、最後に苦し紛れで滑り込ませた交差点の写真だった。え、先生はこれがいいの?
 
「これなんて迫力あっていいじゃない。どんな迫力かはちょっとうまく言えないけどね。モノクロームで撮ってるからかもしれないけど、この写真の方がストーリーを感じるよ」
 
そうなんだ。とりあえず選ぶものがないから滑り込ませたこの写真がそんなに褒められるなんて想定外だけど、でもまあ嬉しいことは嬉しい。確かに言われて見れば、モノクロームだからこそ出現する「光と影の関係」がくっきりしているし、道を走っている車などもそのせいか迫力が増す気がした。これなのかな。何だかわからないけど、人の心が動いたってことなのかな。

 

 

 

自分では「面白いんじゃないか」「いいかも?」と思っていても、それはあくまで自分だけの感覚であって、他人がどう評価するかはまた別の話である。
 
私が「これがいいんじゃないか」と思って出した幾枚かの写真のうち、評価を受けたのは自分でも思いもよらないものだった。むしろ何の変哲もなく、たいして面白くもなく普通じゃないの? としか思っていなかった写真だった。それどころか、自分が密かに自信があった写真は全くカスリもしていない。不思議なものだと思う。
 
誰に喜んでもらいたいのか?
誰に面白いと思ってもらいたいのか?
 
何かを作っているときは「具体的に誰かにいいって言ってもらいたくて」やっているわけではない。
その時その時の、自分の心の赴くままに書き、撮影しているだけだ。それが誰かには面白いかもしれないが、他の誰かには面白くないのだろう。そこにどういう差があるのかと問われても多分うまくは答えられないだろう。だから書く前から、撮る前から細かく考えすぎても意味がないような気がする。
 
書くだの撮るだの、自分の成果物の講評をいただくときに最初はドキドキしながら提出していたが、評価が検討もつかないことが多い故に、次第に誰かに作品を見せるときは割とニュートラルな感覚になってきた。平たく言えば「どっちでもいい」。「私が評価するんじゃないから、しょうがない」という心持ちである。
 
評価はどっちでもいいかもしれないけど、せっかく作るのであればその時の自分を出し切ろう。何かを作るときはそう思うようになった。うまくできることもあればそうではないことももちろんたくさんある。それでも書き続け、撮り続け、作り続けなければ成果は上がらないから、今日も私は何かを作ることに懸命になる。
 
公園で首を上にあげたまま、桜をいつまで見てるんだとおっちゃんたちに笑われたとしても、ベンチに座っているおじいちゃんたちから「あんなおばちゃんが、でかいカメラ持って」とやっかまれても、そんなことは本当に余計なお世話だし、どうでもいい。私は私の世界でできる限りのことをするだけだから。面白かろうがつまらなかろうが、悔いのないようにやり切るだけだから。そう自分に言い聞かせながら、また明日の自分にできる精一杯を繰り返す。
 
この世に100%のものはないと思っていて、それは自分に対しての評価にも当てはまる。私が書いた、撮ったものを世の中の人全員が面白いと思ってくれなくても仕方がない。つまらなかった人にはごめんねっていうし、今度面白いって言ってくれたら儲けもんだから気にしてない。色がなくても面白いものは面白いだろうし、カラフルでも単純すぎてつまらないのかもしれない。それをいいと言ってくれる人だけを信じて、次行ってみよう! としか言えないけど、これからも私はガタガタとポンコツな音をさせながら、前に進んでいくのだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2022-03-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.164

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