週刊READING LIFE vol.168

人類最大の発明に気づかせてくれたのは、やっぱり偉大な妻だった。《週刊READING LIFE Vol.168 座右の銘》


2022/05/09/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
薄暗い部屋、ひとり、目を覚ます。窓に目をやると、カーテン越しに差し込む陽の光。時計は5時45分、目覚ましのアラームが鳴る前の時間だ。今日は土曜日、でも、いつもと変わらない時間に起きられるなんて、いいスタートが切れそうだ。アラームを解除しよう手を伸ばした瞬間のことだった。
 
えええっ、なんでぇ、
 
リビングから聞こえてきた悲痛な叫び。ベッドを飛び降り、声の元に向かうと、薄暗い部屋の中、スマホに照らされた妻の青白い顔。ぼくに気が付いたのか、こちらに視線を向けるが、
その表情は、まるで死人のようだ。あまりの悲壮感に、一瞬たじろいでしまったが、気を取りなおし、声をかけると、妻がつぶやいた。
 
おはギャー
 
えっ、訳が分からず、フリーズする。
 
米国株、大暴落。もう、最悪、妻はそう続けるが、それでも、意味が分からない。なにはともあれ、おはよう、で、どうしたの、と声をかけると、だから、おはギャー、知らないの、と妻は、あきれた様子。
 
彼女によると、おはギャーとは、主に個人投資家が、ネットに書き込むスラング。米国株やFXなどは、日本の夜中が主戦場。当然ながら、こちらが寝ていても相場は動く。だから、朝起きてみたら、自分の予想と逆の方向に相場が振れて大損失なんてことは珍しくない。そんなとき、「おはよう」と悲痛な心の叫び「ギャー」、この二つを合わせて叫ぶのが「おはギャー」ということらしい。
 
なるほど、それじゃ彼女も損を抱えたというわけだ。まあ、相場なんて、当たるも八卦当たらぬも八卦、そうときもあるだろう、と思いつつ、一つ気になることがある。というのは、たしか、以前、彼女はこんな風に言っていた。
 
株も為替も、投資は入り口が大切。買い時をきちんと見極めて、相場が下がった時に買えたなら、利益は自然とついてくる。
 
今回の米国株の投資だって、いいときに買えた、だから、きっと、だいじょうぶ、たしか、そんな風に言っていた。あれは、いったい、どういうことだったのか、入り口は、ばっちりだったんじゃなかったのか、不思議に思い、彼女にそう尋ねると、帰ってきたのは、こんな返事。
 
なに言っているの。投資で一番大切なのは、「で、ぐ、ち」 入口だって大切だけど、どうやって投資を終わらせるか、儲けどきを見極める、損切りのタイミングを決めておく、そんな「出口戦略」が、一番大切なんだよ。漫画インベスターZの月浜漣だって、アメリカの有名なトレーダー、ブルース・コフナーだって、言っているよ。「入る前に、どこで出るかを決めておくこと」って。
 
投資の世界では常識だ、そう言わんばかりの妻に、なるほど、それじゃ、お前はどうだったんだ、出口を決めていなかったから、こんなことになったんじゃないのか、そう言いたくなる気持ちをグッと呑み込む。損失を抱えた人間と言い争っても、ろくなことにはならない。金持ち喧嘩せずとは、よく言ったものだ。
 
とは言え、彼女の言うことは、いや、投資家たちの言葉は、いちいちごもっとも。なにごとも、どこで出るかを決めておくこと。それも、入る前に、きちんと自分で考えて、決めておくのが大切なのだ。思い出したのは、今から、四十年近く前。ぼくが小学五年生の頃の話。あの当時、ぼくが、出口戦略の大切さを知っていたら、いや、そもそも、自分の頭で考えて、「入る」ことの判断をしていたら、あんな煮え湯を飲むような、思いをせずに済んだのだ。噂に振り回されることなど、なかったのだ。
 
 
「アルミ缶を買い取ってもらえるらしい」
 
近所の子供達の間で、こんな噂が流れた。アルミ缶を売ってお小遣いにしようと、みんなが色めき立きたった。もちろん、ぼくもその一人。
 
早速、ぼくは、友人と協力して、アルミ缶の収集に取り掛かった。自分の家で飲んだ飲み物はもちろん、近所の家に声をかけ、アルミ缶を譲ってもらった。ただ、ぼくたちの住んでいたのはかなりの田舎、集められる量には限りがあった。こんな少しの量じゃ全然足りない、ぼくたちは隣の町まで出かけることにした。
 
知り合いなど誰もいない見知らぬ町。ここでアルミを譲ってくれと頼むのは、小学生にとっては、かなりハードルが高い。とはいえ、わざわざここまできたのに、手ぶらで帰るのも、自分で自分が許せない。アルミ缶を譲ってください、ぼくたちは勇気を振り絞って、全くの他人の家に飛び込んだ。
 
当然、ほとんどの家に断られた。見ず知らずの子供たちのいうことなど、相手にしてもらえなくて当然だ。けれども、中には興味を持ってくれる人がいた。ぼくたちの話を聞き、おもしろいことやっているねぇ、と、快くアルミ缶を譲ってくれる人がいた。そんな言葉に、ぼくたちは、勇気をもらった。なにごとも、やってみなくちゃわからないと、積極的に、声をかけ、その行動範囲は、ますます広くなっていった。ときには、捨てられた空き缶を求め、どこまでも河原をさまよい歩き、ときには、ごみ箱の中を漁ることもあった。
 
いま思い出してみると、とんでもなく恥ずかしい話なのだが、当時は、アルミ缶を集めるという行為、そのものに集中していた。決してお金が欲しかっただけじゃない。アルミ缶をどれだけ集められるのか、自分たちはどこまで行けるのか、それを知りたかった。その思いが、それがぼくたちを突き動かしていた。そんなぼくたちの姿を、他の子供たちは笑うばかりで、次々とアルミ缶集めから脱落していった。だから、ぼくたちが、集めるのは、どんどんと簡単になっていった。
 
そして、そんな風に少しずつ集めたアルミ缶は、ついに、ぼくの家の納屋を埋め尽くすほどになった。縦横高さ3メートルほどの納屋いっぱいのアルミ缶を見て、やったぁ、これだけあればかなりのお金になるはずと、ぼくたちは歓声を上げた。その瞬間のことだった。友人の一人が、こういった。
 
これって、いったい、どうやって売るの?
 
ぼくたちは、顔を見合せ、そして、愕然とした。そう、ぼくたちはここに至るまで、アルミ缶をどうやって現金化するのかを、一度も考えていなかったのだ。アルミ缶を集めることに必死で、一番大切な売り先のことを、全く考えていなかったのだ。
 
いや、正直に言えば違う。これって本当に売れるのかな、っていうか、売り先ってどこにあるんだろう、そんな疑問は何度も頭に浮かんでいた。でも、目を背けていた。ぼくは、こんなにも必死にアルミ缶を集めているみんなの姿を目の前にして、集めたアルミ缶をどうするのか、今更、そんな質問はできなかったのだ。
 
だから、ぼくは、精一杯自分に言い聞かせていた。アルミ缶は、絶対に売れるんだ、噂が間違っているはずはないんだと。ただ、それでも頻繁に頭に浮かぶ疑問。それをかき消すために、ぼくは、もっと、もっとと、アルミ缶集めに、のめりこんでいったのだ。
 
いま思うと、そんな不安を感じていたのは、ぼくだけではなかったはずだ。でも、きっと、みんな、言えなかったんだろう。周りを見れば、誰もが信じ切った様子で、アルミ缶集めに邁進している。きっと、自分の勘違いにちがいない、誰もがそうやって、自分をごまかし続けていたんだろう。だから、誰にも、止めることは、できなかったのだ。
 
そして迎えた結末は、悲劇と喜劇は紙一重というにふさわしかった。アルミ缶の売り先はどこにもなかったのだ。いや、正確にいうなら、アルミの買い取り業者は見つかった。父親が、いろいろと聞きまわってくれた結果、アルミの買い取り業者は見つかったのだ。ただ、「ぼくたちのアルミ缶」は、買い取ってはもらえなかった。というのは、彼ら、買い取り業者が相手にするのは、工場などの「業者」から出るアルミのスクラップ、そんな彼らにとって、ぼくたちが集めたアルミ缶は「少なすぎた」のだ。
 
結局、行き先のなくなったぼくたちのアルミ缶は、小学校の廃品回収に出された。それまでの廃品回収で一番の量だったそうだ。ありがとう、すごいね、周りの大人たちは、そう言ってくれた。でも、なにも嬉しくなかった。誰も知らない町に出かけ、全くの他人に声をかけ集めたアルミ缶。恥ずかしさを押し殺して、ゴミ箱まで漁って集めてアルミ缶。ぼくたちの時間、労力、そして勇気、全てを出し切って集めたアルミ缶は、悔しさ以外、なにも残してくれなかった。
 
全てが終わった後、ぼくは激しく嘆いた。どうして噂の真偽を確かめなかったのか。どうして売り先を確かめようとしなかったのか、どうして仲間達に、自分の疑問をぶつけなかったのか。それさえしていれば、何の対価もなしに、アルミ缶を失うなんてことはなかったかもしれない。いや、そもそも、アルミ缶収集という壮大な無駄に、足を突っ込むこともなかったかもしれない。すべては、現実に向き合うことを恐れ、自分の頭で考えることをやめてしまった対価だったのだ。
 
 
ふと、我に返ると、さっきまで、落ち込んでいた妻が、真剣な様子で、スマホで検索をしている。どうやら、今回の暴落の原因を見つけようとしているようだ。画面をのぞき込もうとしたぼくに、気づいた彼女が言う。
 
私の勉強不足だったみたい。結局、誰かが言っていたこと、鵜吞みにしてたんだろうなぁ。やっぱり、投資の基本は、自己責任、「他人を頼るべからず、自力を頼むべし」だね。おはギャーなんて、嘆いてないで、どうして、こんなことになったのか、自分に何が足りないのか、現実をきちんと受けて止めて、もう一度、勉強、勉強。「市場は常に正しい」って、ウォーレン・バフェットも言っているしね。
 
それを聞いたぼくは、改めて考えさせられる。そう、投資だけじゃない、アルミ缶集めだけじゃない、人生とは、自分の責任で、きちんと考えて、決める必要があるのだ。なにを得るために、なにをすべきなのか、入る前に、どこで出るかを決めておく必要があるのだ。そして、起きたことはすべて正しいと、謙虚な気持ちで現実を受け止めて、常に学び続ける必要があるのだと。
 
それを思えば、失敗だって、何かを学ぶ機会、怖れずにチャレンジし続けることで、前が開けるのだ。実際、アルミ缶集めの失敗があったからこそ、ぼくは、身をもって、出口戦略の大切さを、自分の頭で考える大切さを学べたのだ。そう、だから、人生は、失敗したってやりなおせる。間違ったっていいのだ。あのアインシュタインだって言っている。「間違えたことのない人間は、何もしなかった人間だ」と。
 
おっと、そういえば、アインシュタインは、こんなことも言っていた。「利息が利息を生む『複利』は人生最大の発明だ」やっぱり、投資には、人生を学ぶ格言があふれている。それに気づかせてくれた妻は、うーむ、やはり、彼女は偉大だった、そういうことになるのだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた

プロフィール 静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2022-05-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.168

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