fbpx
週刊READING LIFE vol.168

たぶんおそらく生きてこそ《週刊READING LIFE Vol.168 座右の銘》


2022/05/09/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
古今東西老若男女問わず大人気の「スタジオジブリ」作品。
どれ一つとっても素晴らしい映像群であるが、この中から一つを選ぶとしたら、皆さんは何を選ぶであろうか?
 
私は、ここであの大作、『もののけ姫』を挙げたい。
なぜなら、ここで出てきた一言が、私の「座右の銘」になったからである。
 
もはや説明するまでもないかもしれないが、一応作品について説明しておこう。
主人公のアシタカは村人を守ろうとして、タタリ神の呪いを受ける。その呪いを解くヒントは遙か西方にあるという。旅の山中で、彼は美しい姫、サンに出会う。彼女は山犬に育てられた「もののけ姫」だった。そしてその地にはタタラ場という製鉄所があり、そこの筆頭格、エボシ御前は、日々、山の獣や地侍たちからこの地を守っていた。しかし、製鉄所自体が山の自然を破壊するもの。サン達もののけとの争いは必至であった。そんなあるとき、朝廷の詔と称して、森の神を殺すことを許可されたジコ坊達、怪しげな集団が現れる。不老不死になるという、森に住む神「シシ神」の首を、帝に進呈するためだという。エボシもこれ以上森を切り開くのを、もののけに邪魔されないよう、「神殺し」に協力する。
果たして、人と自然との戦いの行方は……と、まあ、大方そんな話である。
 
1997年の公開というから、私はまだ10代の少年だった。
その少年が、衝撃を受けたのが、この映画である。
まず、その映像美。
太古の深い森が、怪しくも美しく描かれている。
そして何より驚いたのは、神という「形」である。
神といえば、それまで、人間の形だったり、神社仏閣に祭られている人型の姿だったり、あるいは神の使いとされる狐だったり、と、そんなイメージだったのが、ここでは大いに覆される。
 
ここに現れる神は、山犬だったり、イノシシだったり、はたまた得たいの知れない“何か”だったりする。
後々、大学でも勉強していくことになるが、確かに、神の形は地域によってまちまちである。
そのことが、なぜか少年の心に深く衝撃を与えたのだった。
 
そしてそれ以上に、映画のテーマというか、全編を通して存在する思想、「命」とか「生きる」ということについて、私は幼いながらも大変考えさせられたのだった。
 
製鉄所であるタタラ場は、人が営む場所である。そこでは仕事は大変ながらも、比較的穏やかな時間が流れていた。しかし、それを脅かすのが自然のもののけたちである。彼らは時にタタラ場を襲い、被害をだしている。
一方で、山に住むものたちにとっては、自らの住処を脅かす人間は、天敵と言ってもいい存在である。
一方が生きるための行為が、一方を痛めることになる。
今でこそ声高々に唱えられるようになった、自然を守る、とか、自然と人間との共存とか、そういうことを少年に考えさせる作品でもあった。
 
作品のクライマックス近くでは、多くの命が死に絶える。人も、自然も、もののけも。
タタラ場も死が飲み込み、象徴であった製鉄の火が消える。
それを見て、住人の一人がつぶやくのだ。
 
「もうおしまいだ」
 
と。
 
だが、それにすぐさま反論する声があった。
 
「生きてりゃ何とかなる」
 
そう言って一人の女性が避難を急がせる。
女性達のまとめ役、おトキさんだ。
 
最初、何と無しに聞き流したこの言葉が、後でじわじわと、私の心に刻みこまれていった。
そして、今ではこの、「生きてりゃ何とかなる」という言葉こそが、私の座右の銘になっているのだ。
 
このサイトの文章でも何回か言っているが、私は幼少期より、腎臓に持病がある。
まさか、死に至るとは全く思っていなかったが、しかし、その治療の過程で大きな苦しみを味わったことも確かだ。
 
季節の変わり目に度々症状が重くなり、薬を多めに飲むようになったが、その薬の副作用もすごかった。
特に「おなかがへる」という間抜けなような副作用はかなりキツい。
満腹になるまで食べても、まだ食べたいと思うのである。頭の中は一日中食事のことでいっぱいだ。
 
普段は一定期間を過ぎれば、元にもどるのだが、高校時代、それがなかなか元に戻らないことがあった。
短期的な入院を何回も繰り返し、そのたび、強烈な薬を点滴で直接摂取することになるのである。
これがまたキツい。体内に直接入る分、副作用である倦怠感や不快感が倍増しているのである。
 
また、この薬は血液の流れを悪くするらしく、細かい血管がつまりやすくなるという。
結果、右足が「大腿骨頭壊死」という症状になり、手術をして人工の骨を入れることになった。
 
毎日がキツかった。母をはじめ家族の協力、そして医療側の尽力もあり、何とか窮地を脱したが、まあ、自然と「死」というものについて考えてしまうわけである。
 
もちろん、本気で死ぬとは思っていなかった。だが、漠然と「命」とか「死」とか「生きる」ということについて、自分なりに考えてしまうことはあった。
 
そこで、彼女の、『もののけ姫』のおトキさんの言葉が浮かんできた。
 
「生きてりゃ何とかなる」
 
だが、苦しみにあえぐ少年に、その言葉はまっすぐに届かなかった。
本当にそうか?
生きていれば、何とかなるのか?
この病は生きているからこその苦しみで、ということは、死んでしまえば苦しみから解放されるのではないか?
だからと言って、実践しようとは到底思わないが、この矛盾……おそらく古今東西考えられてきたであろう「死という解放」と、おトキさんの言葉の矛盾が、私に疑問を抱かせたのである。
 
しかし……と私は逆に考えた。
では、「死」は本当に救いか? 苦しみからの解放か? なるほど、そうかもしれない。しかし、当然ながら、それだけである。何もできないのである。
 
すなわち、「生きてりゃ何とかなる」というのは「死んだら何もできない」の言い換えであり、多分それ以外の意味を持っていないのであろう。
だから、最初に聞いたときは軽く聞き流してしまったし、苦しみの中にあっても今ひとつ響かなかったのではないだろうか。
 
そう。「それだけ」のことである。
「生きてりゃ何とかなる」とは、「死んだら何にもできない」程度の意味である。
 
だが、今になって、私はその「それだけ」が大事であると切に思うのだ。
 
「何とかなる」は、あくまで「何とかなる」でしかない。
それは、「良いようになる」とか「好転する」とか「願いが叶う」とか、そういう虫のいい話ではないのだ。私も、心の中ではそんな虫のいい言葉として受け取っていたのであろう。だからこそ、現実とのギャップを見て、その言葉に幻滅しかけたのだ。
 
別に生きているからといって、それだけでは事態は好転しない。そればかりか進まない。
 
当然だ。何もしなければ何も起こらない。
病気にしてもそうだ。ただ、我慢して待っているだけでは、何も好転しない。
待つことは大事だが、それはやれることをやってからである。
 
高校時代の第一の危機を乗り越え、今、私は新たな危機を迎えた。
腎機能はいよいよ限界を迎え、その役割を機械に取って代わらせる、透析という手段をとったのである。
 
断腸の思いでの決心であった。
しかし、数値は計るごとに悪化の一途をたどり、それに伴って体調も悪くなっていった。
このままでは、待っているのは汚れた血液の作用による、多臓器不全だ。
 
だが、透析するということは、今まで大事にしていた腎臓に見切りをつけるということ。
感情が先行して、なかなか踏み切ることができなかった。
 
そこで、あの言葉が、映画の中で、多くの人々が失望する中、それでも出てきた言葉が、私を動かした。
 
「生きてりゃ何とかなる」
 
そうだ。生きていれば、「何とか」はなるのだ。
それは死して何もできなくなるより、はるかにマシというものだ。
そして今の私にとって、「生きる」ということの重要性は何よりも最優先される。
そう、生きているだけで、大いにありがたいのだ。
 
「生きてりゃ何とかなる」
 
その通りじゃないか。
生きていれば、いいのだよ。いや、生きなければならないのだよ。
 
あの言葉が、これほどしっくりきた時は、今までになかった。
あの言葉が、これほど身にしみたことは、今までになかった。
 
おそらく、あの言葉は、「死」という極限の状態を前にして、それでも諦めずに前へ進むための、人間の根っこの部分に訴える言葉なのだろう。
 
だからこそ、私は生きようと思ったし、これからも困難に立ち向かおうと思えた。
生きてりゃ何とかなる。だから生きろ、その後のことはその後だ。
私は、そう、必死に言い聞かせるのである。
 
今日も今日とて、透析の時間を迎える、
真っ赤な血液が、チューブの中を巡る。
何もできないこの4時間は、かなり苦痛だ。
しかし、そんなとき、彼女の声が聞こえる。
 
「生きてりゃ何とかなる」
 
生きねば。生きて何かを成さなければ。
いや、成さなくとも、生き続けなければ。
それが、私を今まで形作った全ての人々への恩返しにもなる。
 
私は目を閉じ、この体を巡る血が、いつまでも絶えることのないことを、願った。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2022-05-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.168

関連記事