週刊READING LIFE vol.176

お前は間違ったことをしたのか?《週刊READING LIFE Vol.176 人間万事塞翁が馬》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/07/04/公開
記事:川端彩香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
最近、芸能人が幼い頃のいじめ体験を告白した、というのをネットニュースで見かけることがある。そのニュースを見るたびに、私の黒い記憶も呼び起こされる。
 
小学校を卒業するまでは、明るい性格だった。外に出て活発に遊ぶというタイプではなかったが、かと言って暗いというわけでもなく、割と普通だったと思う。
 
中学に入学して、私の性格は変わってしまった。私の中学は隣の小学校と合流するようになっているのだが、その小学校出身者の方が人数が圧倒的に多い。もともと人見知りな性格の私は上手く溶け込むことができなかった。また、容姿にいじられやすい特徴があったのも一因だったのだと思う。強めのクセ毛、毛深さ、眉毛の太さと濃さ、デブではないがぽっちゃりしている体型、ニキビでぶつぶつしている上になんだかオイリーな肌。今みたいに化粧もできないし、中学生に脱毛するお金なんてない。眉毛も整えたかったけれど、先生に怒られて内申点が下がる方が嫌だったから整えなかった。大人になった今なら、容姿だけで人を判断するな、と思う。でも所詮中学生だ。少なくとも私の中学時代のクラスメイトは、容姿だけで私を「気持ち悪い」とコソコソ言ってみたり、全校集会の時だって普通に並べばいいのに大袈裟に距離を取ってきたり。笑う時に盛り上がる頬骨も馬鹿にされた。「笑ってみてよ」といかにも私を下に見ている言い方で言われたこともあった。思い返してみても、それを言ってきたその子の方がブスだったと思う。顔も中身も。
田舎というある意味閉鎖的な場所にある学校だったからか、「見た目が悪いとダメなんだ」という価値観が私の中にしっかりと植え付けられた。
 
とは言っても、気持ち悪いとか、それは私にとってはまだいじめのうちに入っていなかった。そういうことを言ってくる人は一部だったし、ちゃんと友達もいたし、部活にも仲の良い子はいた。
 
中学2年の2学期に、すべてが変わった。
1学期にクラスでいじめられていた子と夏休み中の学校行事で仲良くなり、2学期もその子と仲良くし続けていたらいじめの標的が私へと変わってしまったのだ。
 
よくあることと言えば、よくあることなのかもしれない。漫画やドラマなどのフィクションでもよくあるシチュエーションなのかもしれない。でも当事者にとっては、少なくとも学年が終わるまで耐え続けなければいけない一大事件なのだ。
 
まず手始めに、それまで仲良くしていた子たちから徹底的に無視をされる。それを見ていた他の子も空気を読んで私を無視し始める。それが広がり、クラスのほとんどが私と口を聞いてくれなくなる。学校は、授業を受けて部活をして帰ればいい。頭では理解しているのだが、実際は休み時間もあるし、給食も田舎だったからか机を席が近い人たちで向かい合わせにくっつけて食べなければいけなかったし、掃除もあらかじめ分けられているグループでしないといけないし、授業と部活が大半を占めている学校生活でも、実際はその隙間をクラスメイトと接しなければいけない時間で埋められているのだ。
 
苦痛でしかなかった。部活が一緒のクラスメイトも数名いたり、幼馴染みも同じクラスだったりで、まったく喋る人がいないわけではなかった。それでも、クラスにいる大半は、私の敵だ。1年生の頃はコソコソと言われていた悪口のボリュームが大きくなった。聞こえるか聞こえないかくらいのコソコソ具合であれば「私の考えすぎかも」と思い過ごすこともできたが、聞こえるくらいのボリュームで言われてしまっては、さすがにそう考えることもできない。知らず知らずのうちに、無意識的に、私のストレスは溜まっていった。どうすれば、このいじめがひどくならずに済むか。どうすれば悪口を言われないくらいまで存在感を消せるか。そんなことばかり考えていた私は、中学2年生にして初めて「ストレスで胃が痛くなる」を経験することになったのだ。
 
何回も死にたいと思った。死のうと思って包丁を握ったこともあった。だけどその時に浮かぶのは、両親や妹たち、祖父母の顔だった。家族は私を裏切らないし、たくさん愛してくれている。私を愛してくれている人たちの悲しむ顔を見たくない。14歳ながらにそう思った私は、握った包丁をまたキッチンに戻すのだった。
 
最後の留めは、中学2年の終業式だった。その数日前から、私の机にゴミが入っていることがあった。私の席は一番後ろだったので、教室の前の方にあるゴミ箱までは距離がある。私がゴミの存在に気付くと、犯人たちはクスクスと満足そうに笑っている。彼らの前を通りたくなかったので、私は近かった掃除道具箱の中にゴミを押し込んだ。そのあとのことはもう覚えていない。覚えていないし、思い出したいとも思わない。
そして終業式の日。部活の朝練を終えた私は教室に向かった。入ろうと自分の席を見ると、椅子がない。机は確かにあるのに、椅子がないのだ。
 
ギャハハハハと頭の悪い笑い方をするいじめっ子たち。私の何かがプツンと切れた。切れたのと同時にチャイムが鳴る。笑い声は止まらない。近くにいたはずの友達や幼馴染みも、チャイムが鳴ったと同時に、私に哀れな目を向けて、とりあえずの「大丈夫?」と声をかけて教室に入り自分の席に着席する。大丈夫なわけないし、本当に「大丈夫?」と思っているのであればなぜ私を置いて自分の席に座りに行くの? 先生に怒られるから?
 
私は教室に入ることなく、そのまま職員室前にある公衆電話で家に電話をかけた。母に「帰る」とだけ告げ、電話を切った。母は「迎えに行くから待っときなさい」と言ってくれたけど、これ以上学校にいると吐きそうだった。何より、惨めな気持ちになってしまう。
友達も、幼馴染みも、担任の先生も、担任じゃない先生も、誰も助けてくれない。私のことを助けてくれる人は、手を差し伸べてくれる人は、ここには誰もいない。私にとって中学校は、そんな場所だった。早くここから脱出したかった。
 
登校拒否をしてしまうと負けたような気になってしまう。その意地だけで、私は翌年の受験生の年、休まずに学校に通い続けた。幸いにもクラス替えで部活で仲の良い子たちと同じクラスになり、胃が痛くなることもなくなったしそれなりに楽しくは過ごせた。それなりに。前年までのいじめは、当たり前だが私の心に悪い意味で根付いてしまった。中学時代の友達とは、大人になるまで長く付き合わないだろう。14歳ながらに、そう思いながら過ごしていた。中学3年生の私が今、この大嫌いな中学校を卒業するまで、少しでもストレスを軽減するための友達だと思っていた。書いてして寂しい気もするが、これが現実だ。実際に中学時代の友人とは大学2回生くらいまでは連絡を取り合っていた子もいるが、幼馴染みでさえ、もう5年ほど連絡を取っていないし、会っていない。連絡を取りたいとは思わないし、会いたいとも思わないから別に良いのだけれど。
 
いじめられた理由に関しては、私は間違っているとは今でも思わない。いじめられていた子と仲良くして何が悪いのか、そしてだからと言って新たに私へと標的を変えていじめ始めるのも、今考えても意味がわからない。
私のことを「気持ち悪い」やら「ブス」やら言っていた子たちも、今思い返せば「お前がよく言えたな」と思う。お前もブスやないか、と。なんなら私よりブスだし、頭も悪かったじゃないか。なんで当時の私は、そんな奴らにいじめられなければならなかったんだろうか。
 
15年以上経った今でも、中学時代は最も思い出したくない時間だ。最近は少なくなったが、人を信用することができない、ということが数年前まで続いていたし、人と仲良くなるまでこれまで以上に時間がかかったし、初対面は全員が敵と思ってしまうくらいに警戒心が強くなってしまった。「嫌われるくらいなら、最初にこちらから嫌ってしまえばあまり傷つくこともない」と思うことは、正直今でもある。それゆえに嫌な態度を取ってしまうことが少なくないと自分では思っている。
 
嫌な思い出ばかりの中学時代だが、最近になって少し落ち着いて考えてみた。戻りたくないし、やり直したいとも思わないし、なんなら丸ごと消したいと思えるくらい本当に何ひとつ良い思い出のなかった中学時代だが、私は今でも「いじめられていた子に声をかけた」ということを後悔していない。結果的に、その子に声をかけたことによって私のひどいいじめライフが始まるわけだけれども、もう一度そんな生活を送りたいわけではまったくないのだけれど、それでも私は、あの時の自分の行動を間違っているとは思わない。いじめられている、いじめられていないに関わらず、私がその時に喋りたい子に喋りかけて、何が悪いんだ? 何が間違っているんだ? 何も悪くないし、何も間違っていないはずだ。「はず」じゃなくて、絶対そうだ。14歳の私は、何も間違った行動を取っていない。間違っていたのは、間違っていない行動を取った私をいじめ続けた、あいつらだ。
 
両親にいじめられてることを伝えたのは、中学2年生の3学期に入る前だった。親には知られたくないと思っていたが、心が潰れてしまいそうだった私は、一番信頼できる両親に打ち明けた。母は「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と悲しそうな顔をしていたが、父は私に向かって真剣な顔でこう言った。「お前は自分で、間違ったことをしたと思っているのか」と。
いや、思ってない、と私が答えると、「やったら、堂々としとけ」と続けた。お前は何も間違ったことをしてないんだから、と。両親の子でよかったと、心から思った瞬間だった。
 
この時の父の言葉を頻繁に思い出しているわけではない。しかし、私は無意識的に、これ以降の自分の言動を「親に言えるか、言えないか」や「親が見てたらどう思うか」ということを考えて取るようになった。自分の信念や考えに基づいて、迷った時は人として正しいと思う方を選んで発言したり、行動したりするようになった。父の言葉がなければ、私は人の気持ちを考えたり、どう見られているかということをあまり考えない大人になっていたのかなと思う。その代償にしては、いじめというのは酷すぎたが。
 
大人になった今は、クスクス笑われていた容姿も努力とお金で人並みになったし、脱毛や肌も社会人になって自分のお金でサロンに通って改善させた。おかげ様で、容姿についてクスクス笑って悪口を言ってくる人もいない。頬骨もコンプレックスだったが「面白い時や笑いたい時に笑って何が悪い!」と思い、気にせず笑うようになった。もう暗黒の中学時代ではない。いじめっ子もいないし、私もあの時の私じゃない。
 
大丈夫、私は間違っていない。これからも自分で自分を立て直して、周りの大切な人たちにも頼りながら、黒い時代があったのが嘘のように楽しく生きていくのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
川端彩香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

兵庫県生まれ。大阪府在住。
自己肯定感を上げたいと思っている、自己肯定感低めのアラサー女。大阪府内のメーカーで営業職として働く。2021年10月、天狼院書店のライティング・ゼミに参加。2022年1月からライターズ倶楽部に参加。文章を書く楽しさを知り、懐事情と相談しながらあらゆる講座に申し込む。

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2022-06-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.176

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