〈孤獨〉は新しいことへのチャレンジにある《週刊READING LIFE Vol.178 偉人に学ぶ人生論》
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2022/07/25/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
僕は、帰宅しない帰宅部だった。
帰宅部という言葉は、学校でどの部活動にも所属しない生徒を指した。
僕は中学生になると、自宅から電車で1時間弱にある学校に通い始めた。
野球部に入部した。
3か月ほど部活に参加していたが、練習中に外野フライを顔面に受け、顔でなくて心が凹んだ。
夏前には野球部を辞め、帰宅部になった。
でも、家には帰りたくなかった。
希望の中学に合格することを目指して勉強する。その経験は良かったと思う。
だが、その勉強を過度に親から押し付けられた体験は、受験が終わると親への不信感にしかならなかった。
僕はすっかり、親と顔を合わせたくなくなっていた。
僕は帰らない帰宅部になった。
放課後は、下校時刻ギリギリまで中学校で時間を潰していた。
あたりが薄暗くなるまで友人何人かと中庭でバレーボールをしたり、グラウンドでキャッチボールをしたりした。その友人らも塾があるからと帰ってしまうと、ひとりで生徒会室に置かれたパソコンで遊んだり、図書館で本を読んだりした。
下校時間になると、先生に追われて校門を出た。
校門を出てからは部活を終えた友人と話をするが、しばらくすると「帰れ」と先生に叱られた。
友人としゃべりながら、ゆっくりと地下鉄の駅に向かって歩いた。
最寄り駅で地下鉄に乗り、御茶ノ水駅で降りる。
家に帰るならばここで総武線に乗り換える。
だが僕はまだ、家に帰りたくなかった。
地下鉄の階段を上り地上に出て、神田川にかかるお茶の水橋を渡り、JRの駅前に来ると、辺りはにぎやかになる。
楽器屋や飲食店が並ぶ明大通りを下っていくと、通りの名になっている明大が見えてくる。今はすっかりおしゃれな空間になっているが、僕が学生の頃は薄汚れて落書きだらけで、たくさんの立て看板が並んでいた。
その前を抜け、靖国通りが近づくと古本屋が増えてくる。日本一の書店街といわれる神保町界隈だ。
その古本屋の前に置かれたワゴンの中をのぞき込み、本を物色した。
ワゴンの中は、ほこりを被り茶色く変色した本ばかりだが 、50円とか100円と安いので、金のない中学生にはありがたかった。
古本屋は閉店時間が早いところも多い。
開いている古本屋を見つけては、閉店時間まで立ち読みして時間を過ごし、安売りワゴンから1、2冊買って店を出た。
古本屋で、僕はたくさんの本に出会った。その中でも記憶に強く残っているのは、三木清の『人生論ノート』だ。
三木清は昭和初期の哲学者だ。
太平洋戦争中に治安維持法違反に問われて逮捕され、そのまま釈放されず終戦直後に監獄死している。
彼の死後、戦争が終わってから出版されたのが『人生論』で、終戦直後のベストセラーになった。
自分が生まれるよりずっと昔に刊行された古い本だ。
だいぶ劣化した本のページを破かないように慎重にめくると、〈死〉についてからエッセイが始まる。
その後、〈幸福〉〈懐疑〉〈習慣〉と続く。
どの言葉も、誰もが知っていながら、それらが一体どのようなものなのか、誰もがはっきりと答えを持たない言葉だ。
そんな言葉について、次々と言葉を尽くして語られていく。
たとえエッセイだとはいえ哲学者の書く難解な文章を、中学生の僕が容易に理解できたわけがない。
だから正直、本の内容はほとんど頭に記憶してはない。
その本を見つけ、読んだときに受けた〈衝撃〉を体が記憶しているのだ。
人生って、そんなにいろいろと考えをめぐらせ、深く深く考えられるものなのか!
この衝撃から、自分の人生、自分の将来について考えるようになった。
だが中学生の僕には、知識も思考力も不足していた。
当然、三木清のような深さでは人生について考えることはなかなかできなかった。
それでもひとつだけ、難解な『人生論ノート』の中で頭に残っている言葉がある。
それは「孤独について」と題したエッセイの一節だ。
“孤獨は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤獨は「間」にあるものとして空間の如きものである”
家に帰りたくなく、中学校の下校時間を過ぎても、古本屋街をふらついていた僕には、孤独が街にあるという表現がなんとなくわかる気がした。
なぜ孤独は山にはなく、街にあるのか?
その理由が、孤独が人と人の間にあるものだからという三木清の語りが、すっと僕の心に落ちていった。
孤独が人と人との間にあることは、新型コロナ感染予防での行動自粛で人とのつながりが絶たれことで、実感できた人も多いのではないだろうか。
これまでの当たり前のように人とつながりをもって生きてきた人ほど、新型コロナ感染拡大によって予期せず人とのつながりを絶たれたことで、人は孤独を感じたのではないだろうか。
その孤独はきっと、これまでの人生でたくさんの〈人と人とのつながり〉があったからこそ感じられたことではないだろうか。
同じような孤独を、神保町の古本屋街をぶらつきながら感じていることに、僕は気がついたのだった。
その孤独は、僕に親がいて、通う学校があって、友達がいて先生がいて、好きな街があって、本があったから感じるものなのだと思った。
一日の中で自分のいる場所が変わると、一時的にある人とのつながりが切れる。
その時、孤独を感じる。
その孤独を埋めるように、他のつながりをもとめて行動する。
そうして僕は、自分の活動範囲は広がっていった。
孤独を感じながら行動範囲を広げていけば、自分の世界はどんどん広がっていくように思った。
孤独は山になく、街にある。
そう三木清は書いていた。
しかし、それはちがうのではなかろうかと生意気にも僕は思った。
山にも海にも空にも、世界のあらゆるところに孤独はあるような気がしたのだ。
世界中のあらゆるものに接し、孤独を感じながら、日々を送る。
そうすることで自分の人生が広がり、豊かになっていくに違いないと思った。
以来僕は、ひとり街を歩くことが好きになった。
生きていることが楽しくなった。
僕はこれまで自然科学を学び、今では科学者として自然現象と向き合い、人と物質との関わり合いを追求している。
研究の最中にはふと、中学生の時に古本屋街をぶらついていたときと同じような孤独を感じられることがある。
それは、これまで追求してきた現象から離れ、新たな現象に取り組もうとしている前兆だ。
同じような孤独を感じるのは、きっと科学の探究だけでないだろう。
日常のあらゆる物事において、新しいことにチャレンジするとき、ふと孤独感に襲われるのではないだろうか。
孤独は、人生が変わるところのあるのかもしれない。
□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
千葉県生まれ東京育ち。現役理工系大学教員。博士(工学)。生物物理化学と生物工学が専門で、酸化還元反応を分析・応用する研究者。省エネルギー・高収率な天然ガス利用バイオ技術や、人工光合成や健康長寿、安全性の高い化学物質の分子デザインなどを研究。人間と地球環境との間に生じる”ストレス“を低減する物質環境をつくりだすことをめざしている。
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