週刊READING LIFE vol.181

77年前のあの日、広島の音《週刊READING LIFE Vol.181 オノマトペ》


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/08/15/公開
記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 
「シャーシャーシャーシャーシャー」
「ワシャワシャワシャワシャワシャワシャ」
 
クマゼミの鳴き声が空に響いている。セミの鳴き声は時折ペースがゆるやかになり、また賑やかになる。77年前の今日もクマゼミは鳴いていたのだろうか。
 
ラジオから中継されているのは広島平和記念式典。8月6日朝の8時。毎年この日、この時間、ラジオに耳を傾けている。3000人近い人が集まっているのに、それ以外の音はしない。いや、音はしている。集まっている人達の衣擦れの音、咳払い、そして司会のアナウンス。
 
セミの鳴き声以外にももろもろの音はもちろん聞こえている。
 
それでも、音がない。
 
音がまるでどこかの虚空に吸い込まれているように感じるのはなぜだろう。空のどこかにつづくポッカリとした大きな穴が空いているように。その穴はどこに続いているのだろう。
 
広島、そして原爆に心を寄せるようになったのは一冊の絵本からだった。幼い頃読んだ『ひろしまのピカ』という絵本。丸木俊さんが描かれた絵本だ。
 
1945年8月6日の朝、広島の街なかの風景から話は始まる。戦時下とはいえ、チンチン電車が行きかう市街地。防空頭巾をかぶった人たちが町を歩いている。
 
主人公のみいちゃんは7歳の女の子だ。家族3人で囲む朝食の風景。ちゃぶ台の上にはささやかな漬物と、親戚からもらってきたサツマイモを炊き込んだ桃色のご飯によろこぶ、みいちゃん。家族の歓声。
 
とつぜんそこに差し込む閃光。原爆が落ちた。みいちゃんの家は炎を上げて燃える。おかあさんに背負われている逃げるお父さんは身体に穴があいている。幸いにも逃げ果せたみいちゃん一家だったが、みいちゃんはいつまで経っても7さいの時のまま身体が大きくならない。おとうさんは体にあいた穴がふさがって元気になったが、ある秋の日、かみの毛がごっそりと抜け、血をたくさんはいて亡くなる。
 
丸木俊さんの絵本は、逃げ惑う人々、渦巻く炎、皮がむけて途方にくれる人の表情が描かれている。子ども心に怖かった。それでも目が離せなかった。絵本から音が聴こえてくるようだった。いつもは本棚の隅においてあるその絵本。手にとるときは、深呼吸して決心しないと手に取れなかった。
 
それでも繰り返しその絵本をみたのは、それが神話でもなく、おとぎ話でもなく、実際に起こった事実だということがどこかでわかっていたからなのかもしれない。
 
この絵本の中ではみいちゃんや人々は原爆のことを「ピカ」と呼んでいる。
爆撃機B29のエノラ・ゲイ号から広島におとされた、人類初めての原子爆弾。原子爆弾のことを、人は「ピカ」「ピカドン」と呼んだ。広島の原爆で生き残った人たちは「ピカドンの毒が移る」と差別された人も多いという。
 
なぜ、原子爆弾は「ピカ」「ピカドン」と呼ばれたのだろう。
 
表現できないものに出会ったときに、人は名をつけようとする。名をつけることはそのものを認識するためだ。名がつかない限り、人はそのことについて語る事ができない。
 
なにかを模した名前、〇〇爆弾、いくつもの名前がつけられただろうに原子爆弾は「ピカ」「ピカドン」と呼ばれた。今までの世界からあまりにはみ出ているもの、自分たちの想像の及ばないものに、私たちはみたままの「音」を描写して名をつけるしかないからなのだろうか。
 
下の子が小学校5年生の時だった。夕食後、部屋をのぞくと、涙をぬぐいながら本を読んでいた。何ごとだろう。どうしたのだろう。そっと伺うと手には漫画。小学校の図書室からかりてきた漫画『はだしのゲン』であった。
 
かつて子どもと一緒に観たテレビの番組。アフリカの大地。小さい頃に、他の群れのゴリラに襲われて片手を失った子ゴリラとゴリラの家族のドキュメンタリー。障害を負った子ゴリラを家族全体が守りながら暮らしていく姿に下の子は涙していた。彼の中でその時と似た部分に『はだしのゲン』が響いているのかもしれないと思った。
 
『はだしのゲン』は、作者の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画だ。作者は中沢啓治さん。作者が実際に体験したことで描かれている。私も小学校の頃に手に取ったことがあるが、その絵のあまりのむごさに途中何度も読むのをやめた。
 
中沢啓治さんの『はだしのゲン』の作成を手伝った奥様は、あまりにもむごい絵、悲惨なエピソードをみて連載打ち切りを心配したという。その妻に中沢さんは「これでもセーブして描いているんだ」と言ったという。
 
下の子が、『はだしのゲン』を手に取った経緯はしらない。しばらくの間、彼は学校から『はだしのゲン』を順番に借りてきては読んでいた。
 
ある日上の子が頼んできた。
 
「買ってほしい本があるのだけれど」
 
珍しい。本をあまり読まない下の子が、どんな本を買ってほしいというのだろう。
 
『はだしのゲン』を買ってほしいという。
 
「学校には『はだしのゲン』が全巻揃ってないんだよ。途中何巻かない巻があって」
 
わかった、とだけ言った。本はできる限り買う約束をしていた。全巻で1万円弱だったろうか。届いた『はだしのゲン』を下の子は1巻目から丁寧に繰り返し読んでいた。
 
その年の年末、子どもを連れて広島に行った。『はだしのゲン』の広島をそのまま見せたかった。岐阜から夜通し車を走らせて、早朝広島についた。年末の空気は澄んでいて、原爆資料館があくまでの間、公園を散歩するのも身震いするほど寒かった。
 
年末の広島平和記念資料館は空いていた。ほとんど人が居ない中を一つ一つの展示を見て回った。展示の前で言葉がでない。ひとつひとつの展示を観ていると自分の周りの音が消えた。まるで虚空に音が吸い込まれていくように。音が消えた中で人は自分と向き合わざるを得ない。
 
ラジオでは式典が続いている。
 
8時15分になった。
広島に原爆が投下された時間だ。司会者の黙祷の合図と共に鐘の音がゆっくりとくりかえし鳴らされる。
 
「カ――――ン、カ-―――ン」、
 
鐘の音の狭間に、黙祷の沈黙が水面のように広がっていく。ラジオのこちらで黙祷をする。エアコンのないリビングでは扇風機が首をふり風を送っている。
 
広島平和記念資料館の展示を前にしたときのように、表現できないもので大気が埋め尽くされている。目を閉じているとどこかに音が吸い込まれていく。音が吸い込まれていく虚空の穴の向こうは、原子爆弾の轟音が、人々の叫び声が響いているのだろうか。
 
「黙祷おわり」の言葉とともにセミの鳴き声が戻ってくる。
 
「シャーシャーシャーシャーシャー」
「ワシャワシャワシャワシャワシャワシャ」
 
音が聞こえないのは、聞こえない何かを捉えようと耳を澄ましているからだ。今ここにない何か、誰か。虚空の穴の向こうにある、77年前のあの日、広島の音。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青木文子(あおきあやこ)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2022-08-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.181

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