週刊READING LIFE vol.181

しゅわしゅわと時はゆるやかに流れ《週刊READING LIFE Vol.181 オノマトペ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/08/15/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
しゅわしゅわしゅわ……。
 
ぽんっ!
 
保存用の密封びんの蓋を開けると、桃の香りと共に、弾けたような勢いのよい音がした。そして次々に泡が現れる。
今年はうまく起きたみたいだ。
 
ここ数年忙しさにかまけて面倒を見てあげられなくて、ダメにしてしまっていたけど、今年はやったね!
 
さあおいで、私の子どもたち。

 

 

 

最初に自分でパンを作ってから、もう20年近くになる。
そんなに料理に凝らない私がパンを作ってみようかと思ったきっかけは、子どもの小学校のクラスメイトのお母さんに誘われてパン教室に行ったことだった。
 
パン作りって実はそんなにハードルが高くはない。
最低限用意するものは小麦粉、イーストまたは酵母、塩、水。あとは作るものに合わせて考えればいい。
小麦粉にイーストを乗せて水を入れこねる。ある程度混ざってきたら塩を加える。
そのままこね続けて、グルテンができるまでこねたらこね上がり。一次発酵、ベンチタイム&成形、二次発酵、焼成でできあがる。全部で早ければ約2時間でできてしまう。
 
トライアルレッスン用に、こねるのが簡単な配合のパンだったこともあると思うけど、さっきまで粉だったものが生地になり、どういう訳かふっくらとして焼くとパンになるという過程がとても面白かった。作ってみるまでは「パンって面倒くさそう」と思っていたけど、実際やってみたら思いのほか簡単だったし、何よりも自分で作って焼きたてを食べるという行為がなんとも素敵だった。体験だけでいいかなと思っていたはずなのに、その場でパン教室に入り初級のコースまで契約してしまった。
 
そこからあっという間に初級コースが終わり、中級コース、上級コースと進み、気がついたら師範のマスターコースまで取っていた。
新しいパンのレシピを教わって、作るのももちろん楽しかったけど、それよりも先生に直接教わること自体が楽しかった。私が通ったパン教室は先生を選べるシステムだったので、1度教わっていいと思った先生をリピートして指名して受講することができた。
 
先生の指示はいつも的確だった。テキストやレシピに書いていないことまで細かく詳しく教えてくれた。「引き出しの多い人」が好きな私にとって、ワンポイントをいつも余計に教えてくれる先生がお気に入りだった。先生のいうことを一言一句、びっしりと書き留めたノートは今でも宝物になっている。
 
私はパンを教室で焼き、家に帰っては焼いていた。当時は仕事をしていなかったので時間もあった。「毎日毎日そんなに焼いて、よく飽きないね」と言われていた。家族にもだけど、パンを焼いてUPしていたブログのお友達にも言われていた。今思うとどうしてそんなに焼いていたのか不思議なくらいだ。子どもたちも食べ盛りというのもあったけど、私も今よりは若かったから体力もあったし、毎日焼いても負担にならなかったからなのだろう。

 

 

 

パン教室のマスターコースまで修了した段階で、ぼんやりと考えていたことがあった。
(自宅でパン教室をやってみたらどうだろうか)
その当時、転居してキッチンが変わった。新居のキッチンには幸いにしてガスオーブンもあるし、カウンターもあったし、パンをこねるような台もあった。誰か生徒さんが1人でもいいし、2人でもこねられるくらいのスペースがあったから、これだったらいけるんじゃないか? そう考えた。
 
今から15年くらい前はまだネットでの集客システムが整っているとは言えなかった。
先行して個人で教室を開いている人はホームページを持ってメールで申し込みやキャンセルのやりとりをしているようだったが、そのホームページを構築することがとても大変だった。
 
それでもぽつりぽつりとクチコミで生徒さんがいらしていただくこともあったが、集客ツールが相変わらず整ってはいなかった。今みたいにSNSやLINEもなかったので、簡単な集客ツールでさえ自分で用意しなければいけなかった。そこがなかなか自分の思い描くものができなくて半ば挫折していた。
 
加えて生徒さんが来たときに差し上げるための自分のレシピを作ることがとても難しい作業だった。勤めていなかったからPCも詳しくないし、WordやExcelもちゃんとできない。パンの写真を撮ったはいいがそれを体裁よく整えてレシピに起こす作業がうんと時間がかかる。思うように行かないレシピ作成の作業が、メインであるパン作りへのモチベーションを奪っているような気がしていた。だんだん熱量が急降下していく中で疑問が浮かんだ。
 
(もしかしたら、自分はそんなにパンを作ることに情熱がないのかも知れない)
 
普通、好きで好きでたまらなくて何かに取り組むものだけど、パン作りに関しては周辺のことがうまく行かないことで、本来の情熱がしぼんでいくのを感じていた。好きだったら寝食を忘れてパンを焼くはずなのに、レシピ開発もするはずなのに、そういう気概がなくなっていた。
自分は単純にレシピ通りに、好きなように焼くことが好きなだけだったのではないか。人様にパン作りを教えるために並大抵ではない気を遣わないといけなかったのも負担になっていた。お金をいただいて「失敗しました」は絶対にあってはいけないことで、何かミスをしたらどうしよう、うまく発酵しなかったら、焼きあがらなかったらどうしようと悩む日々が続いた。
 
ブログで知り合ったパンを作るお友達は皆、楽しそうにいろいろと工夫して作っている。いざ自分でやろうとしてぶち当たる壁が厚くて、新しく試すこと自体に疲れてしまっているのなら、もう人に教える資格なんてないような気がしていた。あるいは壁を超えようとする熱量が足りなかったのだろう。ちょっぴり心残りはあったけど、きちんと人に提供できるものを出せないのならやめた方がいい。なんとなく考えついた自宅パン教室は、少しだけやってはみたものの、こうしてひっそりと幕を閉じていった。

 

 

 

自分の好きなように、焼きたい時にパンを焼く、それでもいいじゃないかと自分で自分を納得させていた。それって単なる自己満足なだけかも知れないけど「こういうものを作りたいな」と思った時に焼くことはしていた。
 
パン作りについては改めてスタート地点に戻った気がしていた。自分は一体どんなパンが作りたいのだろう? 思いつくままにいろいろと試行錯誤していた気がする。ドライイーストのレシピを、天然酵母に置き換えて作ることをよくしていた。自分はそのほうが食感がもっちりとしてパサつかない気がしていた。一周回ってまた新たに天然酵母のことや、パンについて勉強してみようかなと思ったのだった。天然酵母で焼くパンも、何回も作っているうちにコツが掴めるようになってきた。もっちりとした食感や、花のような香りもとても気に入っていた。
 
その次に気になったのが「自分で酵母を作ること」だった。
「自家製酵母のパン」というワードを耳にしたことがある人も多いと思う。要するに自分で酵母を起こして、そこからパンを焼いてみることに興味を持った。
 
実は酵母はいろんなものから起こすことができる。
自分がやってみたのはりんご、梨、そして桃。これらの果物から酵母を起こしてみた。
密閉できる瓶に果物の皮と種を入れ、水を入れて常温に1日〜2日くらい置いておくと、もうプツプツと気泡が上がってくる。この段階で冷蔵庫に入れ、追加で果物の皮が出たら瓶に入れる。こうすることで酵母がパワフルになる。
5日くらいして瓶を取り出して蓋を開けてみると、勢いよくぽんっ! と音がして、次にしゅわしゅわと泡が上がってくる。この瞬間がたまらない。
 
しゅわしゅわしてきたら果物の皮を取り出すと、液種(えきだね)になる。ここに小麦粉を入れてさらに数日経つと発酵して元種(もとだね)になる。これを小麦粉に混ぜてパンを作るのだ。1つのパンを作るのに2週間くらいかかるのが自家製酵母だ。ドライイーストだったら2時間で終わるパン作りの作業は、自家製酵母だと気が遠くなるような日数を必要とするけど、自然のものが生き物のようにぽこぽこ、しゅわしゅわとできてくるのは神秘そのものに見えて全然飽きなかった。
 
とりわけ私が好きなのは、夏に起こす桃酵母だ。
実家の父は甲府の出身で、毎年親戚筋からの知り合いの桃農家さんから、私のところにも桃が一箱送られてくる。それを見ると桃が美味しそうなのはいうまでもないけど、それ以上に「今年も桃酵母やらなきゃ!」と思うのだ。じっくり時間と手間をかけて焼いたパンを食べてみると生地の弾力を感じる。手がかかっている分、余計に美味しく感じるのかもしれないけど。
 
そして時々そういうパンを、自家消費だけじゃなく友人知人に差し上げることもあった。
中でも忘れられないのは、上の子が中学を受験する時に一緒だったママ友さんにパンを差し上げた時のことだ。
「中学受験は親の受験」と言われるように、親たちの負担は並大抵のものではない。受験が近づくにつれて不安だとかプレッシャーがどんどんやってくる。そんな時によく私はパンを焼いていたように記憶している。不安を打ち消したいかのように、何かをしていることで中学受験を忘れたくて焼いていた。そんな時に、同じく子どもが受験で、仲のいいママ友さんに焼いたパンをあげたことがあった。確かベーコンエピか何かだと記憶している。後年、彼女はこう語ってくれた。
 
「あのパン、めちゃくちゃおいしかったのよ。あれをいただいて、ものすごく元気が出たのよ。子どもも『おいしいね』ってたくさん食べてた。本当に、ありがとう。あれがなかったら不安で参っちゃってたかもしれない。とにかくすごく勇気というか、元気をくれたのよ」
 
もしかしたらお世辞も入っているのかも知れないけど、自分がしたことが誰かの元気になったということが嬉しかった。単に自己満足かと思って焼いていたけど、誰かの役に立っていたのなら、やった意味もあるというものだ。それからは、「〜〜のためにパンを作る」という目的のためではなくて、「パンを焼いたことが何かの役に立つこともあるから焼く」というふうに見方が変わった。ガツガツしないで、何かを追わないで、ゆったり作ってみよう。そこから何かが生まれるのかも知れないから。
 
自家製酵母はよく様子を眺めていないとタイミングを失ってだめになる。ここ数年は起こしてはみるものの仕事が忙しいとかなんとか理由をつけて世話をしないことが多く、だめにすることも多かった。でも今年はやっと酵母が起きた。ちゃんと生まれてくれたのだ。
 
数年越しに起きてくれた酵母たち、今年はきちんと最後まで、パンになるまで面倒をみようと思う。そしてまた焼いたら、あの時のママ友さんに持っていってみようかと思う。しゅわしゅわ、ぽんっ! という音を聞くと「目的のために!」と、こせこせ生きていることがすごく小さく思えてくる。ゆっくり、ゆったり、自然に身を任せることが正解のことも、世の中にはたくさんあるのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)

2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月天狼院書店ライターズ倶楽部「READING LIFE編集部」公認ライター。「Web READING LIFE」にて、湘南地域を中心に神奈川県内の生産者を取材した「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/manufacturer_soul 、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」 https://tenro-in.com/category/yokohana-chuka/  連載中。

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2022-08-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.181

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