フードトラックは伝わらない音を乗せて《週刊READING LIFE Vol.181 オノマトペ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2022/08/15/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
何かを文章で表現したい時、これでいいのかなと常に考えながら言葉を選んでいる。
僕が選んだ言葉で、このニュアンスが伝わるかどうか。文章を読んだ人の想像力を刺激して、情景は浮かんでくれるだろうか。
そういう意味で、オノマトペは便利な言葉だ。しかしそれに頼っていては、なかなか“リアル”は見えてこない。
動物の鳴き声なんかもそうだ。
「ワンワン」というのが犬の鳴き声の表現だと、日本人ならほとんどの人間が理解するだろう。しかし、その言葉通り「ワンワン」と鳴く犬には出会ったことがない。
本当の鳴き声を仮にここで表現するなら、「バウバウ」とか「ギャンギャン」みたいな音になるだろうか、これでも実際の犬の鳴き声は到底表現しきれていない。
トントン、ザッザッ、ガサっ、コトコト。
厨房に溢れる音で、この映画は始まる。
それをオノマトペで表現すると、こういうような音にはなるが、実際の音は、そんなに単純ではない。
もっと言語には落とし込めない、雑音のようなノイズに溢れている。もしかしたら、音だけを録音したら、それは非常に雑然とした、ただうるさい空間に思えるかもしれない。
しかし、シェフ一人一人がひたすらにその場の仕事に真っ直ぐで、仕込みを進めていく厨房は、側から見ていると、音からは想像もつかないほど美しい。
『シェフ 三つ星フードトラックはじめました』は、料理に打ち込むシェフのカールとその家族との関係を描いた映画だ。
脚本、監督、製作、主演の全てをこなすのは、ジョン・ファヴロー。
世界的なヒットを飛ばしているマーベルシリーズの映画では、最初期の『アイアンマン』や『アベンジャーズ』シリーズを監督、出演もする人物であり、そのほかにも実写版『ライオンキング』や『ジャングル・ブック』など、話題作を監督している人物だ。
彼が演じる凄腕だが、短期でプライドの高いシェフ/カール・キャスパーが主人公だ。
カールはロスで働くレストランの雇われシェフである。ブロガーに書かれた酷評をきっかけに騒ぎを起こし、仕事を失ってしまう。元妻と息子と共に、気分転換で訪れたマイアミでキューバサンドを食べ、フードトラックを始める。彼が作り出す絶品のサンドは、息子のS N Sも手伝ってたちまち有名になり、次第にギクシャクしていた息子との関係も変化していく。
まず目を引くのは、劇中で生み出される料理たちだ。
大袈裟な言い方かもしれないが、カールが作り出す独創的な料理は、見ていると思わず瞬きも忘れてしまうほど鮮やかに出来上がっていく。色とりどりのソースやこんがりと焼かれた肉が皿の上に汲み上げられていく。体格の大きなジョン・ファヴロー演じるカールの無骨な手からは想像もできないほど、手つきは丁寧で鮮やかだ。
「トットットット」と淀みないスピードで刻まれる野菜たち。ジュワッと鉄板の上で色づいていく食材たちに、画面に吸い寄せられるように見入ってしまう。
料理人の実力は、包丁の音でわかる
そういう言葉があるらしいと知ったのは、料理漫画の元祖と言われる『包丁人 味平』だったか。近年YouTube動画でも話題のA S M Rなどもそうだが、一流の手つきから生み出される音は、軽快でリズミカルだ。この映画でもそれは同様である。一流の料理人であるカールが生み出す音は、彼の短気でだらしない性格からは想像もできないほど綺麗に整った音がする。
カールは、息子との関係に悩んでいる。というより、息子パーシーが父親との関係に悩んでいる、と言ってもいいかもしれない。明らかに料理や父親の職場である厨房に興味がある様子のパーシーだが、厨房は汚い言葉が飛び交っていて、教育上良くないと考えるカールはパーシーを職場には連れて行かない。パーシーにはそれが不満である。お互いの思いは相手にうまく伝わらず、すれ違いが続いてしまう。
しかし、カールの失職から事態は急変し、パーシーは父カールと、同じくシェフのマーティンと共に、一緒にフードトラックに乗り込みアメリカを横断していくことになる。
この映画には、いろんな音が溢れている。
ラテンのリズムが特徴的なテーマ音楽はもとより、包丁で食材を刻む音、プレス鉄板(両面焼きが出来る鉄板)でバターを塗られたキューバサンドが仕上がっていく音、燦々と降り注ぐ太陽の下、颯爽と道路を走る車のエンジン音。そのどれもが、見ている僕らの感覚に訴える音だ。
とりわけ、キューバサンドがプレスされてバターが生地に染みながら焦げていく音。これは周辺にバターの香りが漂っているような気さえする。それを口に含んだ時のカリッとした食感。食堂を通って胃に到達した時の多幸感。
それは、聴覚だけではない違う感覚をも呼び起こす。見ているととにかくお腹が減ってくる。映画を楽しんでいるだけなのに、あまりに拷問的だ。
しかし、この魅力的な音たちを伝えるには、音を言葉に変換したオノマトペでは不十分だ。
“オノマトペ”という表現がとても便利なものであることはわかっている。
だがそれはどこまで行っても、あくまで音を言葉として伝えているだけだ。その過程でいろんなノイズは削ぎ落とされ、音は単純化され、矮小化されていると感じてしまう。
それは何かを伝わりやすくする行為としてはとても有用かもしれないが、本来その音が伝えている“ドラマ”を伝えていると言えるのだろうか。
映画の終盤、こんなシーンがある。
父親とフードトラックで料理を作りながらアメリカを横断してきたカールとキャスパー。お祭りなのか、トラックの上で二人はライブを遠巻きに眺めている。
「話がある」と切り出す父カール。
「夏が終われば、旅が終わる。ロスに帰れば、現実が待っている」と親子の旅が終わることを告げる。不満そうなパーシーにカールはこう続ける。
「でもこの思い出は一生残る、ようやく触れ合えた」
二人は旅の終わりを悟りながら、音楽ライブをただ聴く。バックで歌が流れるなか、二人の間には沈黙が流れる。
二人はそれぞれ、この夏親子で過ごしたフードトラックでの日々を懐かしんでいるように見える。
そこには、確かにライブの音楽が流れている。しかし、二人の背中はとても静かだ。
確かに、この映画にはとても魅力的な音が数多く存在している。そしてそれらを楽しみながら、同じく僕らもこの親子と共に旅をしてきた。
しかし、このシーンにまで辿り着いた時、観客はこう考えるのではないだろうか。
音で表現できない、この沈黙こそが、この映画の最大の見せ場ではないか。
そしてこの、いろんな想いの溢れた沈黙を表現する言葉を、僕は持っているだろうかと自問してしまうのだ。
この『シェフ 三つ星フードトラックはじめました』という映画に出会い、ぜひこの映画をレビューしてみたい、そう思った。しかし、こうして文章にしてきて気付くことがある。
その魅力的な音や、状態を表現するときにオノマトペを使ってしまうと、表現しきれないものがある、ということだ。
何かをオノマトペ化するときに、多くの部分は削ぎ落とされて単純化されるということだろうか。
確かに一般的に子供は、自然とオノマトぺで車のことをブーブーと呼ぶが、実際のエンジン音は「バウうぅうぅぅん」とか「ぐるぅうんぅうん」とかそういう音になるだろう。これも実際の音を表現出来ているとは到底言えない。
つまりオノマトペは、物事のリアルは伝えられないが、ある状態を抽象的に表現し、そのざっくりした概要を伝えるということに長けている、とも言えるだろう。
とても便利な言葉であると同時に、多くのものを削った表現なのである。
主人公カールと息子のパーシーの関係性の変化と、それによって生まれる無言のやりとりがこの映画の最も魅力的なところだと言ってもいいだろう。
それを引き立てるように、劇中にはラテン音楽の曲が流れ、シェフたちの軽快な手つきから生み出される音は忙しなくも、美しい。
しかし、もちろんこの映画に限った話ではないが、何かを文章に変換して表現するとき残念ながら削ぎ落ちてしまうものがある。
きっとそれは、いくら言葉で書き込んでも本質的には伝わらないものだ。しかし同時に、どこまで行っても正確には伝えきれないと分かっていても、僕ら書き手は必死に伝えようと言葉を重ねる。
劇中の沈黙がいかに魅力的でも、それを伝えるために文章上で言葉を用いないということは、ほとんど不可能に近いからだ。
あの映画に魅了されている僕と、それを伝えるのに苦心している僕。そのニュアンスが伝わっているだろうか。
キューバサンドに一緒にかぶりついたカールとパーシー親子のように、この文章を読んだ人と同じ空間/同じ味を共有することができたなら、表現は正確に伝わるだろうか。
いや、伝わらないからこそ、彼らがフードトラックを走らせたように、僕らは言葉を尽くそうと試みるのかもしれない。
□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。
劇団 綿座代表。天狼院書店「名作演劇ゼミ」講師。
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