週刊READING LIFE vol.188

日記は未来の自分へ贈る心のアルバム《週刊READING LIFE Vol.188 「継続」のススメ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/10/03/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は19歳から日記をつけている。
三日坊主のつもりでつれづれに書き始めたが、かれこれ13,500日続いている。
 
日記を始めたきっかけは、10代の頃にさかのぼる。
自分の実体験を友人に話している時、「その話、面白いね!」 そんなことをよく言われた。
けれど話し終えた途端、その内容をたちまち忘れてしまうことが私には度々あった。
久しぶりに会う友人たちと話すうちに、私が過去に話した内容が話題にあがり、盛り上がる。
「あの話、面白かったねぇ」 そう言われても、当の本人はすっかり忘れて記憶にない。
これは嘘を言っているわけでもなく、本当に話した途端、もう要らない情報として自分の記憶から抹消していたのだ。
そこで日記に記せば忘れないのではないかと思いついて、記録として日記を書き始めた。
逆にいつでも辞められるとう気軽さも良かったのかもしれない。
 
最初は、時間の経過とともにパラパラとはがれ落ちる記憶をピンで留める作業として書き始めた。
 
使う日記の形式もこれまで様々に変えてみた。一年単位の手帳からシステム手帳、普通のノートやビジネス手帳も使ってみた。一番、不向きと感じたのはパソコンのワードに書き記す日記だった。
ワードは文字数制限がないので、どこまでも書けてしまう。どこまで詳細に書くかは自分次第だが、何か面白いことが起こると詳細まで記録したくなってしまうのが人情で、とにかく時間がかかりのがストレスになり一年でやめてしまった。
誰に見せるでもない自分の記録を時間をかけて書くのはなかなかつらい作業になるので、書くスペースに限りのある手帳を使うのが今は程よいと考えている。
そうやって毎年、形式や手法をかえながら継続することで自分の身の丈にあったフォームが決まり、今では一行でも日記を書かないと気持ちが落ち着かない。
 
日記をつけるにあたり一つ決めていたことがあった。それは一度書いた日記を基本的には読み返さないこと。そのルールは長年守られてきた。
けれど、あるライティング・ゼミの受講をきっかけに、日記のことを記事にしたら、講師からこんな講評を受けた。
「ネタの宝庫ですね。羨ましい」
自分ではそんな考えを思いついたこともなかったが、この日記の内容を記事にするのが課題になり、はじめて過去の日記を読み返すに至った。
古い記録のページをめくると、忘れていた懐かしい感情の匂いがボワっと立ちのぼってそれが面白くてむさぼるように日記を読んだ。
そしてつづってきた日記が過去の自分から、現在の自分への記憶の贈り物であることに、私は初めて気づいたのだ。

 

 

 

日記を読み返すことで他にも気づいたことがいくつかある。
例えば現在は、不満に思っている事象や自分をとりまく環境、疎遠になってしまった人間関係も、過去の日記では、当時の環境にとても満足している自分を見つけることができた。
日記を読みかえすメリットは、過去のどこかの時点で必ずそれが好きで始めたことや、自分で選びとったことであることを自覚することができる。
今の因果はすべて過去からつながっていることを日記は教えてくれる。
 
かけられた優しい言葉や、一緒に過ごした楽しい時、助けたり、助けられたり、忘れていた愛情を思い起こすと自分の人生が豊かであることに少なからず気づく。
人は案外、与えられたことはすぐに忘れてしまいがちだが、不快な感情ばかりを育てようとしてしまう。メタ認知が働いて公平にみれる日記という素材は、その時々の心の健康状態のカルテとして自分の分析に役立ってくれるのではないだろうか。
 
また日記があることで、自分の人生は確かに自分のものであるという実感をはっきりと覚えることができる。
例をあげると苦手な人のことは書かないなど自分のルールを設けてもいい。予測なくおこる嫌な出来事や苦手な人間関係は現実では避けようがないが、日記の世界では、書かないことで存在しないことになる。これは「なぜあの人は、あんな風なんだろう……」 という疑問の負のループにおちていくフラストレーションから自分を解放してくれる。
 
私は以前まで起こったことを全てを日記に記そうとしすぎるあまり、日記を書くことがつらい時期があった。でも日記という記録は、その時、その時に起こる感情の外づけ記録媒体だと割りきった時、自分の人生の管理者は自分であり、記録係であるとすれば、自分の幸福度を高めるためにはある程度、編集すればいいのだと考えなおすにいたった。
起こったこと全てではなく、書く内容を取捨選択することで記録も楽しくなった。
 
不思議なもので、日記を書くことを前提に、日常を過ごしていると、何か面白いことがしたいとか、面白いことを見つけたいという思考に切りかわる。
毎日の通勤ですら、道を変えたり、ランチの場所を変えたり、何か気になることがあれば、とにかくやってみようと行動が変わる
何歳になっても見たい、知りたいという好奇心が続くのも、もしかすると日記の存在があったからこそかもしれない。今はそう思える。
 
また日記をつけることでストレスの大方は片付いたような気がする。人は書くときにあまり嘘は書けないものである。無心につづられた言葉はそのままの心情を映しだしてくれる。
自分が日頃、口にはだせない思いや正直に感じたことを書くことで、心によどんだ毒が流れて、心のデトックスにもつながり心を落ち着かせてくれる。

 

 

 

とはいえ日記のなかでも私の場合、一番、骨がおれるのが私の場合、旅行日記である。
旅はそもそも非日常の世界に身をおくことで、未知の出来事に遭遇することを楽しむことにある。
だから起こるすべてが感動の対象となる。これを時系列にすべて正確に詳細をつづると、1日の日記が3000字を超すことも少なくなかった。
長い旅行ともなるとワードで100ページ近い記録に数か月費やすこともある。
当然、時間が経過するほど感動の記憶も薄れてくるので、日記を早くかかなければならないというストレスが深くのしかかかる。
 
そこで旅行日記を書くために、チャプターとなるシーンを予め写真に撮って時系列でまとめておくことで、後々遡っても、10日分くらいまでまとめて書くことができるようになった。
また昔の話でも、「そんなに詳細に覚えているね」と人から感心されることもあるが、おそらくそれは視覚として覚えてえていることを書き記しているうちに、また覚え直して、より深く記憶に刻みこんだせいかもしれない。
 
ともあれこれまで書き続けた自分史は、私の膨大な行動記録である。
それをふり返ることで、その時の心のありようを新鮮な気持ちで読み解くことはワクワクする行為だ。自分におこった事象の全てを受け入れることで感謝の気持ちも持てるようになったし、現在の自分がなぜそのような考え方をして、その行動にいたるのか、因果関係もみえてくる。
 
結果論でしかないが、それもこれまでの歳月をかけて日記を継続してきたからだろう。
もちろん書かれなかったことは忘れさられ、自分の人生において起こらなかったことになるので、日記をつけることは人生という長い個人的な映画を編集する行為にも似ていると言えるし、消し去っても良い記憶があることも納得できるようになった。
 
日記を書くことは本来、誰の目にも触れず、褒められもしない、手ごたえのない地味で孤独な作業である。だからいくら習慣化されていても、途中、何度も数えきれないくらい、やめそうにもなった。
 
何の為に? という疑問がつきまとうと書くことができなくなってしまう。
そしてただ書きしるされた個人的な記録だけにとどまるのでは、日記そのものに命が宿ることはない。
いつか読み返されることで畳み込まれた記憶が開花して、書き手を、あるべき本来の姿に立ち返らせたり、時に行動することを決意させてくれる。
長いあいだ、時間の闇で眠っていた記憶は読み返されることで、地上にあらわれる湧き水のように懐かしさや愛おしさ、そして寂しさを伴ってあふれ出す。
何度も記すが、日記はとても個人的なものである。
それゆえ自分自身の記録はそのまま唯一無二の宝物になっていく。
 
日記には本のような流行もなく、食物のような賞味期限もない。読みたいと思った瞬間に好きな日付のページをめくることで、過去の等身大の自分と出逢える一人称の物語だ。
そして改めて過去の自分は今の自分より若く未熟かというとそうでもないことに気づく。時に今の自分よりよほど魅力的な考えをもち、寛大で、大人びて見える時さえあり、忘れ去った夢や志を思い出させてくれることさえある。
 
私たちは心のなかに無数の感情をあらわす色鉛筆をもっている。その色鉛筆で書かれた本心は決して自分の本質をうらぎらない。
なぜなら日々の生活がそっと語りかけてくるものを私たちは日記に残すからだ。
忘れることのできない「想い」はすでに身の回りにおこっていることを日記は教えてくれる。現実の自分と「ひとり」になって向き合う時間。そして人の目を意識せずに、無意識に書くからこそ、心の深い部分に入ることができ、誰にも強要されることなく、自由な時間を日記はもたらしてくれる。
 
競うこともなく、誰かに誇るわけもなく、ただ自分のなかにある、あふれる切ない感情を書き記していく。
それが終わりのない道であり、でも終わろうと思えばいつでも終わることのできる道でることを知りながら、自分の心を解体していく。
そして眠りにつき、翌朝に再生された自分は、また新しい行動を選択しながら生きていく。
 
もし私に日記を書く習慣がなければ、今のような好奇心は醸成されることなく、世界を旅してまわることもなかっただろう。
年齢を問わず、目の前にあらわれるチャンスにあらゆる可能性も見出すことすらできなかったかもしれない。
 
何か新しいことを受け入れることは時に思わぬ結果を招いたり、つらい結果になることもあるが、でも修復してくれる手段の一つに、私には日記がある。
過去に書いた言葉が、今の自分を新しい経験に向かわせてくれる。
 
生きていくなかで、見つけだそうと探していた大切なものはすでに自分のなかにあったことを、それは教えてくれる。
すべての経験を通じて、その日、その時の等身大の自分を照らす言葉を探しながら、今も私は日記を書き続けている。
これが私の唯一、誇れる継続で得た宝物かもしれない。
 
何であれ、何かを継続していくことは、たえず変化していく世界で流されそうになった時、船の錨のように自分自身を踏みとどまらせてくれる力をもつ。
そう信じて今日のできごとをまた日記に記そう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(つきの まゆみ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。2021年 2月ライティング・ゼミに参加。6月からライターズ倶楽部にて書き、伝える楽しさを学ぶ。ライターズ倶楽部は3期目。
世界旅行をライフワークにしている。旅行好きがこうじて趣味で「総合旅行業務取扱管理者」の国家資格を取得。20代でラテン社交ダンスを学び、ダンスでめぐる南米訪問の旅や訪れた世界文化遺産や自然遺産は145箇所。1980年代~現在まで69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。

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2022-09-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.188

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