週刊READING LIFE vol.200

たった一人の出会いによって、先生としての私が変わった瞬間《週刊READING LIFE Vol.200 書きたくても書けないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/1/9/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は、塾講師をしている。
どんな職業であれ、業界の裏はきれい事だけではすまないものだ。塾講師という仕事は、皆が休んでいる時に働かねばならない仕事と言える。体力的にもハードで、授業だけをしているわけでもない。生徒たちが塾に来るまでは、事務的な業務もある。指導力の他に、営業力も必要だ。
 
20代の頃、塾講師としての私は意外に人気があった。面白いほど、生徒がついてくる。生徒たちは、少し年上のお姉さんだった私に興味を示してくれただけにすぎないが、決して悪い気分ではなかった。それでも、その現実に有頂天にはなれなかった。人気がある理由は、素晴らしい先生だからなのではない。ただ若いだけの理由だ。教育実習の先生を生徒たちが慕うことに似ている。
生徒たちが若い私に慕ってくれるうちに、技術を身につけねばならない。そう思い、必死に勉強をした。先生として、生徒に教えるための技術を磨く勉強会にも足を運んだ。
だが、20代でどんなに努力をしても、補えないものが一つあった。それは、進路指導だ。入試の合否というのは、テスト結果以上に感覚的に判断できるものでもある。長年の経験から得た人のカンは、データより確かだったりするのだ。だから経験を重ねながら、たくさんの生徒たちを指導し学ばねばならない。生徒の数だけ進路指導の仕方もあるからだ。
 
20代の私は、データを使いながら、合否を正確に予測できることが進路指導だと思っていた。合格者をたくさん出すのが塾の使命。どの段階で何点を取る生徒が、志望校に合格できるのか、細かくテストの点数を把握して、進路指導をしていた。生徒に失敗させない、合格をたくさん勝ち取る先生でありたい。それが「できる先生」であると疑うことはなかった。そう思っていたある日、ある男子生徒の担当をすることになった。
 
おっとりとしているが、ユーモアのあるA君は、クラスのムードメーカーだった。彼は私とコントをしているかのようだ。クラスの生徒たちが笑い出し、私の厳しさを和らげてくれる。勉強だけができるガリ勉タイプではないA君のことが、私は好きだった。当時は、弟のように特別に目をかけてかわいがっていたような気がする。
そんなA君が中学3年生になると、進路についての話を深めていくようになった。話をすると公立のA高校に行きたいと言う。
「A高校は、合格率が50パーセントといったところだよ。厳しいなぁ。ちょっと考え直したほうがいいかもしれないよ……」
心配する私に向かって、彼は勢いよく言った。
「A高校を受けたいので、これでいいです」
中学生は理想を追い求め、現実を冷静に考えられないものだ。そこを諭すのが先生の役目でもある。
「少し下げて、B高校に入ってみるのはどう? そこでトップレベルになればいい。そうすれば、指定校推薦などがもらえて大学にも入りやすくなるのではないかな? 大学入試までを考えて、もう一度志望校を考えてみると見え方が変わるかもしれないよ?」
同じような話を何度も続けたが、彼を説得することができなかった。
かわいがっているからこそ、失敗させたくはなかった。
秋が深まり入試が近づいても、A君は考えを変えようとしなかった。そして、いよいよ願書を提出しなければならなくなった時、もう一度A君を呼んで、進路について話をした。
「絶対、今の点数ではまずいよ。B高校ならトップで合格できる。大学のことまで考えようよ。A高校は絶対受からない。だから、B高校にしたらどう?」
進路指導に、「絶対」という言葉をつけるなんて、相当幼い考えだ。だが、もはや先生というより家族のような気持ちで、弟のようなA君が涙を流す姿を見たくなかったのだろう。現実を冷静に把握してもらいたかった。
「先生、志望校は変えません。これでいいんです」
彼は頑なに考えを変えようとしなかった。
 
いよいよ入試となる。
思っていたより、A君は頑張り抜いたようだ。塾の同じクラスの3人の生徒が同じくらいの点数を取っていた。これはもしかしたら、全員合格できるかもしれない。私は祈る思いで発表を待った。
だが、現実はそう甘くはなかった。A君は不合格だった。
生徒たちの合格発表日は、人生の天と地を両方味わう日でもある。かわいがってきた生徒達が笑顔になる日だが、その裏で不合格に涙を流す日でもある。何度経験しても決して慣れることはない。たくさんの生徒を担当していた私は、全員が合格だったことは一度もない。何年もかわいがってきた生徒が涙を流し、その姿を最後に見て別れなければならないのは、とても辛い。A君も不合格だった生徒の一人となってしまった。
 
複雑な気持ちのまま、姉のような気持ちで、次の日にA君のお母さんに電話をかけた。
「残念でした……A君は、どうしていますか?」
私が問いかけると、お母さんは穏やかに語り始めた。
「結果は本当に残念でした。でも、息子は昨日、私にこう話してくれたんです」
黙ってお母さんの話に耳を傾ける。A君は、発表を見て、お母さんにそっと語ったようだ。
「私立高校に行くことになってしまって、申し訳ない。僕には弟が二人もいるのに、一番上の僕が学費が高くなってしまって悪いなって思う。でも、僕はA高校をチャレンジできて本当によかった。ダメだったけど、受けさせてもらって本当に感謝しているよ。ありがとう」
電話口で話を聞いていると心が痛んだが、なぜかその言葉は清々しくも聞こえる。
「先生、私は不合格で残念な気持ちになりましたけれど、息子に挑戦させてあげられて、本当によかったと思っています。」
お母さんの言葉を聞き、胸が熱くなった。
 
当時の私は、生徒たちに失敗をさせず、合格者をいかに多く出すかが進路指導だと思っていた。常に生徒や保護者が塾に望むことは、「合格」という結果だ。人生に失敗はつきものだとわかってはいても、塾に通う生徒に失敗をさせず、合格をプレゼントするのが塾講師の役目だと思っていたのだ。
チャレンジした先の結果に、勝手な価値を大人が与えるべきではない。
A君からそう言われたような気がした。
結果の先に何を見出していくかをしっかり見届けてあげることが、真の進路指導だということを、私は中学生のA君から学んだ。
大人が道の先にある石を取り除き、転ばないようにしてあげる。そんな指導を私はしようとしていたことを、恥じた瞬間でもあった。
 
その後A君は、結果を受け止め、C高校に進学した。ある日、街中で偶然A君とすれ違う日があった。
「久しぶりだね。勉強は頑張っている?」
A君と再会し、話をする。
「高校の英語が分からなくなってきてしまって……あまり点数が伸びないんですよ」
少し悩んでいるようだった。
「私は今予備校で働いているの。もしよかったら、一度そこに来てみない? 力になれるかもしれないから」
A君の指導を最後に、私はA君がいた塾を辞めていた。たまたまだが、大学受験の仕事を始めていたから、A君をまたサポートできるかもしれない。
しばらくして、A君は私の働く予備校に体験授業を申し込みにきた。私が担当するクラスよりA君の英語力は上回っていたから、短期間にどんどんクラスのレベルを上げていき、力をつけて行った。
「先生、今度こそ頑張りますからね」
A君は、3年前のことを忘れてはいなかった。それを人生の糧にして、一歩一歩前に進んでいる。
 
残念ながら、A君の大学入試の結果は第一志望合格というわけにはいかなかった。悔しそうな表情を今でも思い出すことができる。だがその結果さえも、彼の人生の糧になっていくことだろう。
 
今、彼がどうしているかは分からない。30代半ばの彼は、もしかしたら父親になっているのかもしれない。きっと彼は、何があっても強く前を向いて生きているような気がしてならない。彼の今の人生を私が書くことはできないが、私はあの日から一度も彼を忘れたことはない。もし、彼に今会って話ができるならば、私は彼に感謝の気持ちを伝えたいと思っている。何も分からず、良い結果を与えることだけが善だと疑わなかった私を、彼は育ててくれたからだ。不合格で辛かった日に、親に感謝が述べられる、そんな素晴らしい受験をすることを止めようとした未熟な私に、彼は大切なことを教えてくれた。
「不合格は失敗ではない。チャレンジすることが大事」
彼の生き方からそう学んだ気がするのだ。
 
目の前にいる生徒達に向かって、私が進路指導をする時、私は今でも彼の話をする。
「昔、私の教え子でね……」
彼の話を始める。A高校を狙う生徒たちは、興味を示し話を聞き出す。
「結果だけが全てではないよ。だから、A君のように、精一杯チャレンジしてほしい。みんなはどんな入試をしたいのかよく考えてみてね。もし、おうちの人と考えが合わないならば、私が間に入ってもいい。だから、A君のように自分の気持ちで決めてほしい」
彼は私の存在なんて、もう記憶にないだろう。先生なんていう仕事は、それでいいのだと思う。生徒が必要な時にサポートをし、生徒の成長を裏で支える。その成長に関われただけで私は十分だ。
 
25年教えてきた中で、私が心に残る生徒は何人かいる。
真の進路指導とは何か? を教えてくれたA君に、もし会うことができるのならば、今でも彼から学んだことが私の中で生きていることを伝えたい。今の彼を書くことはできないが、きっと彼は今でも強くまっすぐに生きていることだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、25年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEOを受講。

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2023-01-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.200

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