週刊READING LIFE vol.204

心があたたかく溶けていく、モネの絵の前《週刊READING LIFE Vol.204 癒される空間》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/2/14/公開
記事:杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私には、癒される空間が世界中に2000カ所近くある。
 
「スターバックス?」
と多くの人は思うかもしれない。
 
それは特定のカフェや店ではない。
 
ある絵の前なのだ。
 
そこに立つと、昔から自分を指導してくれた懐かしい恩師と再会したような感覚で胸がいっぱいになる。
 
その画家の名前は、モネ。
 
1840年にフランスに生まれた、印象派を代表する画家だ。『印象・日の出』という作品が有名で、印象派の名前の由来になった。美術の教科書に必ずといってよいほど取り上げられているので記憶に残っている方もいるだろう。
 
「ああ、海から太陽が昇っているあの絵ですね」
とモネを一言で終わらせてしまうのはもったいない。
 
というのは、『日の出』以外にもすばらしい作品が存在しているからだ。彼が生涯描き続けた題材である『睡蓮』のシリーズをはじめ、大聖堂や港、川遊びや草原など風景を好んで取り上げ、2000点以上の絵画を描いた。個人が所有する作品もあるが、大半は国内外の美術館でも見ることができる。
 
そう。世界中の美術館に所蔵されている一枚一枚のモネの絵の前が、私が癒される空間なのだ。
 
彼のフィルターを通すと「現実ってこんなに優しかったんだ」と気づかされる。険しい断崖に打ちつける荒々しい海の厳しささえも、モネにかかると不思議と安らぎに満ちた景色に変わる。不思議な画家だ。
 
モネと出会ったのは子供の時だった。
 
私は、もともと中国地方の山間の町出身だ。そんな田舎にかかわらず父と母は絵画が好きだった。二人は見合い結婚だったが、絵画鑑賞という趣味で意気投合して一緒になることを決めたらしい。
 
いちばん近い美術館は県庁所在地にあり、車で往復4時間くらいかかった。両親は共働きだったが、休日になると小さな車に幼い私を乗せて美術館をまめに訪ねたものだ。
 
父は、ゴーギャン。母はルノワールが好きだった。お互いが好きな画家が雑誌や新聞に載っていると記事を切り抜いて見せあっていたものだ。絵を通して言葉を超えたコミュニケーションをとっていたのだろうと思う。
 
ある日の夕食で、母が「モネ展」の切り抜きをテーブルに出して父に話しかけた。
 
「すごいよね、これ」
 
「ええっ、『ポプラ並木』って有名な作品だよな」
 
県庁所在地の美術館にモネの代表作の『ポプラ並木』が来るらしい。
 
「もね?」
 
私はなんのことかさっぱりわからなかったが、二人の様子から今度すごいものを見せてもらえるらしいということだけはわかった。
 
その日がやってきた。両親は二人ともウキウキして、車の中は画家の話題でもちきりだった。「ごーぎゃん、るのわーる、ごっほ……」、私は両親の会話からこうして画家の名前を覚えたのだ。
 
美術館は、いつもに比べて混雑していたのを覚えている。とはいっても、ゆっくり立ち止まって見ることはできた。
 
二人は絵の前から動かず、じっと見て何か会話を交わしていたと思う。
 
ポプラ並木の絵は、とても穏やかで、自分の家のまわりの田園地帯を思わせた。
なるほどこれが有名な絵なんだ。
 
しかし、私はすぐに飽きてしまい、椅子に座って二人を待っていた。
 
後年、この絵が「どのポプラ並木だったのか」気になり、美術館へ問い合わせたことがあった。
 
というのは、モネは気に入った題材を何度も描く画家なのだ。つまり、同じ角度から朝、昼、夕方あるいは晴天や曇りなど光の変化を観察しながら描くので『ポプラ並木』というタイトルの作品がいくつも存在しているのだ。
 
「ニューヨークの美術館が所蔵している『ポプラ並木』です」というメールが学芸員からもどってきた。いつかその美術館へ行って絵の前に立ってみたいと思っている。
 
20年後のこと、モネとの二度目の出会いが衝撃的なかたちで訪れた。
 
私は上京して小さな編集プロダクションで働いていた。慣れるのが精一杯で日々くたくたであった。
 
社員数人の会社だったため直属の上司は社長だった。
 
30代の社長は野心家で、イギリスのブランドを取り扱うショップを東京に出店し、フランチャイズするのが夢であった。つまり、編集という仕事を通じて、そのための情報を集め、人脈を広げていたのだ。
 
ついにそのプロジェクトが形になりそうだとのことで、このビジネスに興味がある日本の経営者を募ってロンドンへ視察旅行に行くことになった。そのアシスタントが必要になった。
 
短気な社長と一緒に海外出張など絶対にお断りだと、他の社員は「仕事が忙しいから無理です」と断った。
 
最後にその話は最年少の私のところへまわってきた。20代の私は海外旅行へ行ったことがなく英語も話せなかった。不安で胸がいっぱいになり、失敗するに違いないと思ったが断れる立場になかった。
 
かくして、私は社長のアシスタントとして先にロンドンへ移動し、社長が連れてくるオーナーさんたちが心地よく滞在できるように受け入れ態勢を整えて待つことになった。
 
社長たちのツアーは無事到着した。しかし、私は予想通り、初歩的なものから致命的なものまで数々のミスをやらかした。
 
レストランの予約の時間を間違えたり、違うルートの電車のチケットを買ったり、そのたびに社長は全身全霊で怒りを爆発させた。
 
私は頭上で弾頭が破裂したかのように縮み上がった。
それがまた次のミスを誘引してしまうという悪循環を生み出した。
 
今なら彼の気持ちが痛いほどわかる。「つかみかけているビジネスチャンスをダメにする気か?」という気持ちもあっただろうし、何より社長自身が未知のステップを踏み、海外におもむくというリスクをとっていることに不安と焦りを感じていたということもあると思う。
 
だから、私のミスに対する本来の分量の怒りに加え、不安と焦りの分も加算されたため、怒声が大きくなり、言葉もきつくなったのは仕方がない。
 
しかし、20代の私にはそんなことはわからない。オーナーさんたちの前で怒られるたびに頭が白くなり、目に涙がいっぱいたまった。
 
「泣いたらダメだ。一粒でもこぼれたら涙を止める自信がない」
 
泣くまいと震えるくらい力んでいる私を気の毒そうにオーナーさんたちは見ていた。頼まれたことが何一つとしてできない、自分の能力のなさを責めるしかなかった。
 
さらに頭が痛いことに私の滞在中の仕事はもう一つあった。それは、ある靴メーカーの社長を訪ねて視察に協力してくれるよう話をしてくるというものであった。
 
経営者の年齢は、60代くらいだろうか。地元では有名な老舗ショップらしい。
 
彼とは出発前に一度電話で話した。私の英語はつたないながらも少しずつ相手の話が聞き取れるようになってきた状態であったが、彼が話す英語は全く聞き取れなかったのだ。
 
受話器のむこうで相手のイライラが募るのがわかったので、会うのはもちろん、まして仕事の話をするのは億劫でたまらなかった。
 
その日もホテルで社長にこっぴどく怒られた。預かっていた大事な書類を紛失したと私が大騒ぎをしておきながら、自分の書類ケースから出てきたのだ。
 
社長からお詫びの品を買って、巻き込んでしまったオーナーさんにプレゼントとして渡すように言われて、私は真っ赤な目でホテルを出て指定された文房具店へ向かった。
 
街は暗くなり始めていた。
 
地図を頼りにトボトボと歩き、店を見つけ革のコインケースを買って包んでもらった。
 
ロンドンの都心には堂々とした石造りの建物が並んでいる。
デパート、劇場、ホテル、レストラン……。
ホテルのまわりは夜はこんな風になるのか。
そういえば滞在中にどこかへ息抜きに出かけたことはなかった。
 
一つ一つの窓からオレンジ色のあたたかい光がもれている。
誰もが楽しそうに笑っていて、私のように絶望している人はいない。
 
どうして私だけこんな目に遭うの?
 
怒られてばかりで何もかも嫌だ。
こんな役立たずの自分が心底嫌だ。
会社ももう辞める……。
 
何より何より、今すぐ日本へ帰りたい……!
 
ロンドンにいる間中、ずっと我慢していた涙が一気にほとばしり出た。
私は不審に思われるのも構わず、しゃっくりをあげて泣きながら歩いた。
オレンジ色の光がにじんで見えた。
 
その時、とても親しみがあるものが目の中に入った。
 
「モネだ……!」
 
モネの絵画『睡蓮』の横断幕であった。
そこは美術館で、モネ展が開かれているようだった。
人気らしく、平日の夕食時というのに人でにぎわっていた。
 
「ワンアダルト、プリーズ」
私は無意識にチケットを買ってなかへ入っていた。
 
飾ってあるのは、全部モネだった。
なつかしい気持ちが全身の毛細血管まで満ちていくのがわかった。
 
子供時代に見たポプラ並木の絵もあった。
あのときはあんなに幸せだったのに、今の私ときたらなんて情けないんだろう……。
 
そう考えるとまた涙があふれてきた。
 
しかし、一枚の絵の前で涙はすぐに止まった。
 
『ウォータールー橋』というタイトルであった。
 
濃い霧のなかに、ぼんやりと浮かび上がった橋の景色だった。
光の表現を試みた連作のようで、朝、夕景と時間を変えて描かれた作品が隣同士に展示されていた。
 
なんて素敵な絵なんだろう。
できることならこの絵のなかに入ってしまいたい。
 
モネは橋が見える場所に腰かけて描いたのかな。
寒かったり暑かったりするだろうけど
ずっと座って自由に絵を描けるって幸せだな。
だって誰からも怒られることもないだろうし。
 
私は、ロンドンに来て初めて自分らしい感覚を取り戻せた気がした。
 
緊張がゆるみ、体の中がフォンダンショコラのようにあたたかく溶けていくようだった。
口角が自然に少し上がった気がした。
 
あれ? 私ってこんなに顔の筋肉が動いたんだ。
そのくらいずっと唇を噛み続け、眉間にしわを寄せていたのだ。
 
「ああ、ロンドンに来てよかった。幸せだなあ」
 
美術館で何時間過ごしただろうか。
一枚一枚を心に焼き付けるように会場を何週も何週も回った。
 
作品が心に鮮やかにプリントされた感覚があり、30年後の今もそのときのことを思い出すことができるほどだ。
 
あとで知ったのだが、ここはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツという国立美術学校に併設された有名な美術館だった。
 
私は、お土産品売り場でモネの『睡蓮』が表紙になったノートを買った。
本物ではないけれど、彼の絵を見るだけで心がおだやかになった。
ホテルに帰ってから、心ゆくまで再び眺めてノートをお守りのように枕の横に置いて寝た。
ロンドンで初めて熟睡できた夜であった。
 
翌日は例の靴店の経営者と会って話す日だった。
私は買ったばかりのノートを持って彼のショップをたずねた。
 
「ナイストゥミートユー、ミスター・ディクソン」
 
ディクソンさんは、第一印象からして「ザ・職人」という感じのがんこそうな人物であった。
 
「ツイードのジャケットがおしゃれですね」
 
「ずっとこのお店に来たかったんですよ」
 
私は準備しておいた英語で話したが、苦虫をかみつぶしたようなディクソンさんの表情は和らがない。
年齢も育った環境も違う、二人に共通の話題などあろうはずはないのだ。
 
さらに不幸なことに会って話してみると電話より彼の英語を聞き取れなかった。
むこうもなんだか一生懸命な様子で単語を並べ、主張が強い(ボキャブラリーがないのでそうならざるを得ない)私に対して良い印象はなさそうだった。
 
「そうだ、ノートに英語を書いたらわかってもらえるかも……」
 
私は、睡蓮のノートをテーブルに出した。するとディクソンさんが言った。
 
「君は、モネが好きなのか?」
 
「はい。昨日、美術館で展覧会を見ました」
 
「どうだった?」
 
「感動的でした。特にウォータールー橋がよかったです」
 
「あの絵! 僕も好きなんだよ。もう橋は見た? この近所だよ」
 
その時、初めて「ウォータールー橋」はロンドンの橋であることがわかった。フランス人だったモネは、この橋が気に入って何度もイギリスを訪れたのだとディクソンさん。
 
会話が全くできなかった二人の距離がぐんと近づいたのがわかった。
 
彼は、橋の歴史、どこから見た景色が描かれたのか、行き方などを教えてくれた。
 
不思議なことに私は彼が何を話しているのか、全部わかった。そのまま仕事の話になり、視察に協力してもらえることになった。
 
モネのおかげで、仕事が初めてうまくいった。
私がホテルでこのことを社長に報告すると、社長は静かに聞いていた。私は何か一つのステップを超えたのかもしれない。これ以降、怒られることは減っていった。
 
日本へ帰ると、ディクソンさんから次回ロンドンへ来たら夕食に招待したいと書かれたファックスが届いていた。
 
実際に次の出張では自宅の夕食に招いてくれ、奥様とともにもてなしてくれた。私の英語の能力は相変わらず低かったが、ご夫婦が美術館に行くたびに集めた画集を見せてもらったり、絵画の話を聞くときだけは、彼らが何を伝えたいのか以心伝心の状態であった。
 
絵を介すだけで、言葉を超えて相手を理解できる。両親の姿を通してそのことはなんとなくわかっていたが、自分が実際に経験すると不思議な感覚であった。
 
さらに20年後、奇跡的に同じ絵と再会することになった。
 
東京・丸の内の三菱一号館美術館でフランスの画家をテーマにした美術展へ行ったときのことだ。閉館が近づいている時間帯だったので人はまばらだった。一枚一枚をゆっくり見ていると、よく知っている作品が景色のように目の前にあらわれた。モネの『ウォータールー橋』であった。
 
子供時代の美術館の思い出、ロンドンへの出張、ディクソンさんとの会話……一気にいろいろな思い出がよみがえってきた。
 
そのときの私は、会社員をやめて個人事業主となっていた。
失敗ばかりで泣き続けていた私が、事業主とはモネのほうこそ驚いたことだろう。
 
モネの絵は私に語りかけた。
 
「また会えてうれしいよ」
 
「はい。ごぶさたしてます。あれからいろいろ学んで成長したんですよ」
 
「次は、”あの目標”かな。応援しているよ」
 
「そう、モネさんのおかげで持てた”あの目標”です」
 
「叶えたらまた会いに来いよ。10年後かな、君なら大丈夫だ」
 
数えてみるとモネとは、40年以上のつきあいになる。恥ずかしい泣き顔も見せたし、お互い知った仲。だから、会話もフランクなのだ。
 
そして「あの目標」とは、絵画の前で過ごすことの居心地の良さを自分なりに多くの人に伝えていくことだ。
 
人は生きている限り、日々、傷つくことが多い。
傷つかないように生きることは残念ながら無理なのだ。
 
しかし、その分、自分を癒せる安全な場所を持つことができれば、何かに萎縮や依存することなく自分軸で生きていきやすくなると思う。
 
口下手で孤独を愛したといわれるモネだが、その絵からは自然への敬意と、この絵を見る人へのあふれるような愛情しか感じられない。
 
彼は絵を描くことを通じて、人を癒す場所をつくろうとしたのではないだろうか。
実際に私は彼の絵によって心を救われ、ここまで来た。
 
これからもモネの絵の前は、私にとって居心地が良い場所であり続けるだろう。
そして、多くの人にとってもそうあってほしいと願っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

VOICE OF ART代表。30年近く一般企業の社員として勤務。アートディーラー加藤昌孝氏との出会いをきっかけに40代でアートビジネスの道へ進む。加藤氏の富裕層を顧客としたレンブラントやモネの絵画取引、真贋問題についての講演会をシリーズで主催し、Kindleを出版。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなどアート作品の価値とシビアに向き合うプロたちによる講演の主催、自身も幼少期より芸術に親しむなかで身に着けた知識を生かし、「対話型芸術鑑賞」という新しいかたちで絵画とクラシック音楽の講師を務める。アートがもたらす知的好奇心と創造性の喚起、人生とビジネスへ与える好影響について日々探究している。

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2023-02-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.204

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