30年越しの「ごめんなさい」は、そこで終わりにする《週刊READING LIFE Vol,93 ドラマチック!》
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「あのね、お母さん、用事があって今日保護者会に行けないから、先生に連絡帳出しておいてくれる?」
「うん、いいよ」
あれは中学生の頃だった。
保護者会に親が参加できないときは、担任に連絡帳で知らせるという決まりがあった。
お母さん、今日保護者会行けないのか。珍しいな。
私は連絡帳を見た。
「本日は私の母の体調不良のため、娘の保護者会には参加できませんので、よろしくお願いします」
ん?
何かおかしくない?
母が書いた連絡帳の文面を読んだあと、私はその文の意味がわからなかった。
「私の母」ってことは、お母さんのお母さんだよね?
おばあちゃんのことだよね?
でもさ、うちのおばあちゃん元気じゃない?
「ねえ、あのさ、なんでここに『私の母が体調不良』とか書いてるの? これっておばあちゃんのことだよね。うちのおばあちゃん、元気じゃん?」
「ああ、それね。あなたにもいつか話さなきゃいけないとは思ってたんだけど」
一呼吸おいて、母は言った。
「あのね、そこに書いてある人が、本当のおばあちゃんなの」
「え?」
本当のおばあちゃん?
じゃあ、うちに今一緒に住んでいるいるおばあちゃんは、なんなの?
ますます、意味が分からなくなった。
私が育った家は、両親と私と弟、そして母方の祖母が同居していて5人家族だった。
私が生まれた時から、祖母は当たり前のように家にいた。そして私のことをとんでもなくかわいがってくれた。
小さい時のアルバムを見ると、両親と一緒に写っている写真もあるけど、祖母と写っている写真が本当に多いのだ。私が第一子長女ということもあって両親は写真を撮りまくったので、膨大な枚数の写真があるのだけど、例えば近所の公園で遊んだとか、家の中で一緒に座ってるとか、何気ない場面でも私は祖母と一緒に写っていることが多かった。
記憶の中の祖母はいつも裁縫をしていて、自分の服、母の服、そして孫の私の服を作ってくれていた。たぶんだけど、小学生くらいまでは私の服は殆どが祖母のお手製だった。
ブラウス、スカート、ワンピース……。振り返ると、よくこんなにいろいろと作ってくれていたものだなあと思う。ブラウスの一番上のボタンの脇には、当時よく見ていて好きだったアニメの主人公を刺繍してくれていたのを覚えている。
「おばあちゃん、今度は、私がこういうのを作ってって言ったら作ってくれる?」
「いいよ、どういう服がいいの?」
「あのね、私が生地を選んでもいい? かわいいやつがいいの」
実家の近くには、布地や裁縫用品の専門店があった。
あの広い広い店内を、あの生地がいいかな、これがいいかなと、私は見て回った。
そして選んだのは、ピンクのさくらんぼが一面にある薄い生地だった。それを祖母はノースリーブのシャーリングのワンピースに仕立ててくれた。それは私の大のお気に入りになり、その夏中着倒したことを覚えている。小学生の時だったので、すぐに丈が短くなって着られなくなってしまったのが本当に残念だった。
もう1つ、強烈に覚えている祖母との思い出がある。
これも幼稚園か小学生の頃だけど、巣鴨の「四の市」に、私と祖母はいつも一緒に行っていた。
毎月4のつく日には、巣鴨の地蔵通り商店街に市ができる。とげぬき地蔵尊高岩寺四の日(お縁日)の市だ。まだ巣鴨に「おばあちゃんの原宿」などというあだ名がつく前の話だ。
この市にいくのが、祖母はとても好きだった。そして私もそこにくっついていけば何か買ってもらえるし、お昼もご馳走してくれるので、積極的に同行した。
縁日でよく見かけるハッカパイプや、飴や、人形焼きを買ってもらって、その最後に不二家でお昼ご飯を食べた。祖母はいつもホットケーキを頼み、私は絶対にスパゲッティナポリタンを食べるのだった。
「美味しい?」
「うん、美味しい!」
祖母はいつもそう私に訊き、私も必ずそう答えた。それが本当に幸せな記憶だった。
だから、私が生まれた時からいつもいて、ちゃんと元気にしていた祖母が「本当の祖母じゃない」と聞かされて、私は少なからずショックを受けていた。
だって、おばあちゃんは私のことをあんなにかわいがってくれているし、それに私が生まれた時からずっと一緒に住んでるじゃない。なんで? どうして?
「お母さん、おばあちゃんは本当のおばあちゃんじゃないって、どういうこと?」
私は母に訊いた。
「仏間に、写真が2枚飾ってあるでしょう? あれは、誰か正確にわかる?」
「左にいるのは、おじいちゃん。右の写真は、おじいちゃんの弟だよね」
「そう。それで正解なんだけど、おじいちゃんの弟は、私の父なのよ」
「そうなの? おじいちゃんが、お母さんのお父さんじゃないの?」
「違うのよ」
そうなんだ。
私は今まで、既に亡くなっている祖父が、母の父親だと思っていたけど、そうじゃないんだ。
「私の本当の父親は、おじいちゃんの弟で、本当の母親、つまりあなたにとっての本当のおばあちゃんは、埼玉にいるおばちゃんなのよ」
え?
あの人が、私の本当のおばあちゃん?
埼玉にいるおばちゃんは、今一緒に住んでいるおばあちゃんの妹だった。
おばちゃんには、ちゃんと旦那さんがいて、子どもだって2人もいる。どう考えてもあの人が私の本当のおばあちゃんだなんて思えないよ。
「私の父親、つまりおじいちゃんの弟は、フィリピンで戦死したのは知っているよね? あとには埼玉のおばちゃんと私が遺された。そして、亡くなったおじいちゃんと、今住んでるおばあちゃんの夫婦には子どもがいなかった。なので、私は亡くなったおじいちゃんと、今住んでるおばあちゃんの夫婦の子として養女になったの。そして埼玉のおばちゃんは、今の旦那さんと再婚した。これが本当のことよ。もうあなたも中学生になったし、話してもいい頃でしょうと思ってね」
そうだったんだ。
そんなことが、あったんだ。
流石に中学生になっていた私は、母のその話を聞いて取り乱すこともなかったけど、そんな重大なことを今までずっと言わないで、ひとつ屋根の下で家族をしてきたのもすごいと思った。
「だから、今住んでいるおばあちゃんはおばあちゃんだけど、本当のおばあちゃんもいるってことは忘れないでね」
「うん、わかった」
太平洋戦争のことなどわかる訳もないが、兵士が戦死した後に遺された家族の間では、そんな話はいくらでもあったのだろうと思う。
生きていくために、祖母の妹、つまり埼玉のおばちゃんは母を養女に出し、再婚した。何もとがめられることもない。生きていくためにみんなが必死だったし、それがたぶん正解だったのだろう。
祖母が本当の祖母ではないと知らされても、私の祖母への見方が特に変わることはなかった。
ただ、私もいつまでも幼児ではなく、思春期に差し掛かっていた。
祖母がかけてくれる「手を洗いなさい」「制服を着替えなさい」などという一言一言が、煩わしく感じる年頃になっていた。
「そんなこと、言われなくてもわかってるし」
「そのくらいのこと、できるから」
そのくらいの頃から、祖母から何かを言われるたびに、「わかってるから!」という気持ちが噴き出していたような気がする。
あんなに可愛いがってもらったのに、そのことなんてすっかり忘れてしまったかのように、私の目の前の景色からは、祖母が占める割合は減っていった。学校のこと、受験のこと、部活のこと、好きな男の子のこと、流行っているアイドルのこと、そんなことで私の頭の中はいっぱいだったからだ。
そんなある日、食事中に祖母がこんなことを言った。
「魚の骨は、最初に大きな骨を取ってから小骨を取るのよ」
私は祖母のアドバイスは全く耳に入らず、聞き流していたが、次に父が言ったことは今でも覚えている。
「おばあちゃん、それはもう言わなくてもいいんじゃないですか? この子ももうそんなことは言われなくても1人でできるだろうし」
祖母は、私が小さい時の感覚から抜け切れていないんだなと思った。いつでも自分を頼ってきてくれた孫は、あの頃のままじゃなくなっていた。そのことに、ついていけていないんだ。子離れならぬ孫離れができない祖母を、哀れに思い始めたのも、その頃からだったように思う。
そしてさらに時は進み、私は大学生になった。
その頃、母が入院していて、家事は残った家族のうちの誰かがしないといけなかった。
私と父と弟と祖母が、掃除や洗濯、料理、買い物など、その日にできる人ができることをしていた。
私は買い物や料理をして、祖母は家にいる時間が長いので洗濯をしてくれることが多かった。
「この服は、ここに置いておくからね」
真夏のある日、洗い終わった衣服をそれぞれの箪笥に持っていくことがしんどそうな祖母は、その日1日の洗濯物をまとめて1か所に置いておくことが多くなった。それはわかっていたけれど、学校から帰宅してとても疲れていた私は、その発言を聞き流していた。
「わかってるの?」
突然、祖母の口調がきつくなった。
「え? 洗濯物のことでしょ。そこに置いておいてくれれば後で持っていくから」
「あんたは、冷たくなったね」
そんなことをいきなり言われて、私も面食らった。
「なんでそんなことを言うの?」
「私がこうして言っても、あんたはまともに聞いてくれない。ちゃんと返事してくれなくなったじゃないの」
「そんなことないでしょう。ちゃんと返事してるし、やることはやってるよ?」
「いや、冷たくなった」
そう言って、祖母は自分の部屋に入ってしまった。
全く、一体おばあちゃんどうしちゃったんだろうと思いながら、私は家事をしていた。
その頃からだろうか。
何かをするのに、しんどい、しんどいと祖母が言うようになった。
医者に診てもらいなさいと父が言い、祖母は検査を受けた。その結果が、胃潰瘍ということだった。
「胃潰瘍」とは表向き本人に知らせるための病名で、実は違う病気だった、というのはよくある話で、祖母の場合もそうだった。
祖母の本当の病名は、胃癌だった。
「あんたは冷たいね」と言われたのが夏だった。そこからいくらもせぬうちに、祖母は入院した。入院先を決めるにあたって、父は言った。
「おばあちゃんだけど、もうそんなに長くないということだ。病院をどこにしようかと思っていたけど、みんながすぐに行ける場所の方がいいと思って、近所の病院にしたよ」
そこは私の幼稚園時代の同級生の父親が経営する病院だった。家から自転車で10分とかからぬ所にあり、必要ならばいつでも駆けつけることができる距離だった。
祖母はそこへ入院した。
私は、朝、自転車に乗って祖母の病室に顔を出してから、学校に行くことが日課になった。
何の特別な話をしに行く訳でもなかったけど、私が行くと祖母は喜んでくれた。必要なものを届けることもあったけど、何にもない日でも1日1回は顔を出すようにしていた。
次第に祖母は、痰が絡むようになっていった。そして物が食べられなくなっていった。
そしてその頃から、夜討ち朝駆けのように、病院から電話が入ることが多くなった。祖母が息が苦しいと訴えた時だ。そんな時は、どんな早朝でも駆けつけた。
しかしやはり寿命でもあったのだろう。その年の暮れ、祖母は亡くなった。早朝に痰が絡んでいると知らせを受けて、私が駆け付けた時には祖母はこと切れていた。
祖母の死に顔は苦しそうだった。余程息が苦しかったのだろう。苦しんでいるときに誰もそばにいてあげられなくて、おばあちゃん、ごめん。思わずそう言っていた。
振り返ると、あの時どうしてもっと優しくしてあげなかったのだろうという悔いは、未だに残っているかもしれない。
ふとした時に、人からかけてもらう言葉がもし矢のように鋭かったら。
その人に余裕がない、他のことを考えているかもしれないと知っていても、それは寂しかったに違いない。
ことこの祖母に関しては、本当の祖母ではなかったにも関わらず可愛がってくれた恩を忘れた私が至らなかったと思うことばかりだ。
祖母が亡くなったのは平成元年だった。あれから30年以上の時が流れても、悔いというものはそう簡単には消えはしない。
自分が投げつけてしまった「冷たさ」を、再び誰かに投げるようなことはしないでおこう。それがせめてもの祖母に対しての供養なのかもしれない。
今更許してほしい訳ではないけど、こんなことの連鎖はここでおしまいにしないといけないと、暑い夏が来るたびに思い出すのだ。
□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
天狼院ライターズ倶楽部所属。
東京生まれ東京育ち。3度の飯より映画が好き。
フルタイム勤務、団体職員兼主婦業のかたわら、劇場鑑賞した映画は15年間で2500本。
パン作り歴17年、講師資格を持つ。2020年3月より天狼院ライターズ倶楽部に参加。
好きなことは、街歩き、お花見、お昼寝、80年代洋楽鑑賞、大都市、自由、寛容。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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