天狼院通信

日本最大トヨタという名の「小商い」《天狼院通信》


天狼院書店店主の三浦でございます。

先日は『小商いのすすめ』、『「消費」をやめる』の著者平川克美さんをお迎えしての天狼院LIVEでございました。

天狼院は小商いではございますが、もちろんお客様に「消費」をやめてもらっては商売が成り立ちません。毎日、フルスロットルで頑張ってるのも「消費」を否定されてしまったら、何のために頑張っているかのわからなくなります。

その辺のところはどうなんだろうと思い、今回、天狼院LIVEに挑んだのでございましたが、2つの本を読んだだけではちょっと理解できなかったことが、結果的に透徹として頭に染み入って来たのでございます。

天狼院が進むべき方向性が見えたのでございます。

まず、平川克美さんは自著『小商いのすすめ』の本質をこう説明されました。

「責任のないことに責任を持つこと」

一見すると、分かるようで、わからない。
ただ、「自己責任」という言葉と合わせて考えるとこの本質が見えてまいります。

自己責任論とは、自分がやったこと、自分に関係のあることには自分で責任を持つということです。けれども、翻って考えてみれば、こうも読めます。

「自分に関係のない、責任のないことには責任をもたない」

そうであってはダメだと平川さんは言います。

つまり、自分と関係のないこと、自分には責任のないことに、責任を持つことこそが重要だと。

平川さんがそれに気づいたのは、ご両親の介護を通してだそうです。
一人っ子で生まれることも、長男で生まれることも、あるいは長女で生まれることも、そもそも、自分には責任のないことです。運命といえば運命であり、偶然といえば偶然です。

自己責任論の観点からいえば、たとえ一人っ子や長男、長女として生まれたとしても、それは自分に責任のないことだから、介護はやる必要はないことになります。

しかし、この本来責任のないことに責任を持つことこそが重要であるのだとすれば、それはいったい、どうしてでしょうか。

ここからは主に僕の持論を交えながら展開して参りましょう。

人は生を受けること自体が、本来、受動的でございます。
生まれたくて、そこに生まれたわけではない。
そこには自分の主観や意図というものが、もちろん、関与するものでございせん。
そう考えると、生きるということ自体が、そもそも、平川さんが言うところの「責任のないことに責任を持つこと」なのかも知れませんね。

リチャード・ドーキンス博士の名著『利己的な遺伝子』が説くように、生きものは「遺伝子」を運ぶための乗り物に過ぎないのだとすれば、今、ここにいる自分も、まるで聖火ランナーのようにその遺伝子を受け継ぐための一区間を任されたランナーに過ぎないということになりましょう。
おもいっきり引きに引いて、そういった大きな俯瞰の立場からみれば、人生とは一瞬に過ぎない。たとえばそれを大きな地図に見立てたとすれば、自分の人生など数ミリにしか過ぎないかもしれない。
それはきっと、実に虚無主義的な考え方で、文学的に言えば、ロシアの文豪トルストイが『戦争と平和』で展開した、「何もナポレオンがいなかったとすればまた別のナポレオンが現れたにすぎない」という考え方に似ていて、司馬遼太郎が展開したヒロイズム、「竜馬がいなかったとすれば、明治維新は成り立たなかったやもしれない」とした考え方とは対極にあるものございます。
人生を楽観主義的なものと捉えて、自分を人生の主人公ととらえるならば、さらに俯瞰からクローズアップに転じて、自分の人生こそが全てと考えるのならば、自然、刹那的な考えになり、必然的に司馬遼太郎的なヒロイズムにいたることでございましょう。

そこで出てくるのが、「自己実現」という考え方です。

夢を叶えたい。
自分が為すべきことを成し遂げたい。
限りある人生で、自分が何者であるかを証したい。

それは、きっと、生きものは「遺伝子」を運ぶための乗り物にすぎない、とした『利己的な遺伝子』の、ある種のニヒリズムを真っ向から否定したものであり、その刹那にこそ意義を見出そうとする考えでございます。

平川さんは、この自己実現が問題なのだと言います。

たとえば、葬式や結婚式とは、社会儀礼的なもので、親から受け継がれて、子に受け継ぐという、遺伝子のリレーの連なりを示す儀礼であって、決して自己実現のシーンではない。ここにあるべきは、利己的な自己実現ではなくて、利他的な儀礼への参加であり、そう考えると大好きな海に散骨してくれだの、出会った海で結婚式を挙げたいというのは、自己実現でしかなく、本来、儀式であるべき葬式や結婚式にそぐわないものだということになります。

もっとも、平川さんは、「利己的」と「利他的」という言葉があまり好まれないようなので、あるいは『利己的な遺伝子』の論調も好ましく思っていないやも知れませんが、ここは平川さんの考えを受けた僕の論としてお聞きいただければと思います。

もちろん、僕は様々なかたちの葬式や結婚式があってもいいのだろうと思いますが、確かに、自分の人生を大きな流れの一部と捉えるならば、守らなければならない境界のようなものが、平川さんの言うところの「責任のないことに責任をもつこと」の重要性が、ある種の法則として連綿と明示されないかたちで受け継がれてきたのではあるまいかと思わないでもないのです。

たとえば、会津士魂で有名な会津藩士は小さなころから「ならぬものはならぬのです」と教えられて育ったそうです。

たしかに、言葉として簡単に言い尽くせないけれども、代々受け継がれてきた、まるでDNAのような文化的継承というものがあるはずで、それはきっと「これこれこうだから、こうしなければならないんだよ」と一言で済む問題ではない。

とにかく、それを守らせなければならないとき、人はきっとそれを規則(レギュレーション)にしたり、あるいは「儀礼」にすることでしょう。そう考えると、もしかして、「儀礼」的なものには、崩してはならないない「かたち」というものがあって、その「かたち」に言葉では簡単に言い尽くせない何かの本質や真理が隠されているのだろうと拝察できるのでございます。

今思えば、たとえば、田舎の祖母などは「毎朝、神棚と仏壇を拝んで行きなさいよ」と言っていて、僕は面倒だからおろそかにしていたのですが、そんな些細な行為にすら、きっと儀礼伝承に基づく、ある種の真理が隠されているのやもしれません。

おそらくそれは先祖に対して敬意をあらわすということだけではないのでしょう。もっと大きな意味で、世の中に対して「謙虚」でなければならない。自分が何者であるかのように勘違いしないように、自分は遺伝子リレーのひとりのランナーに過ぎないことを、この儀礼を通して認識せよということなのかもしれません。

それはきっと、人生を刹那的なものであると認識することによる、ある種の焦り、一度だけの限りある人生を、有意義なものにしなければならないという切迫感がもたらす「自己実現」への傾倒に、一定のブレーキをかけ得るべきことなのでしょう。

「責任のないことに責任を持つ」ということは、リチャード・ドーキンス博士が同じ『利己的な遺伝子』で展開するところの利他的に生きるということに繋がるかと思います。

ここからは、常々、出版業界のスーパーブレイン柳瀬博一さんが仰っていることを踏まえて論を展開致します。

もし、生きものが「遺伝子」を運ぶための乗り物に過ぎないのだとすれば、なぜ、動物は親が子をかばうというような、自己犠牲、つまりは利他的な動きを見せるのでしょうか。
それは、単に時折あらわれる遺伝子のバグなのでしょうか。
それは違うとリチャード・ドーキンスは言います。
自分の遺伝子を構成に残すという大目標を叶えるためには、利他的に動いたほうが、よりその可能性が高くなる場合がある。
たとえば、家族とはほとんど遺伝子が変わらないグループであって、自分が犠牲になってグループの他の成員が助かるのであれば、その遺伝子が残る可能性が高くなる場合、生きものは利他的に動くように遺伝子によってプログラミングされています。

つまり、生きものは利他的に動くようにも設計されているということになる。

だとすれば、「責任のないことに責任をもつこと」は、生きものの宿命であるとも言えるのではないでしょうか。

自己実現か、自己犠牲か。

利己的か、利他的か。

平川さんの話を聞きながら、柳瀬さんの論説を思い出し、僕はその両方が必要なのではないかと思いました。

おそらく、自己実現なき自己犠牲は、現実的に何も生み出せない。理想論でしかない。
たとえば、収入がないひとが自己実現する前に自己犠牲をしたところで、生じる効果は限定的なものになる。逆に、足手まといになる可能性もあります。

もっとも、自己犠牲だけで食べていけるのであれば、ラクでしょうが、理想的でしょうが、自然淘汰の原則を免れないこの「銃声なき戦場」を生き抜くことは、そんな簡単なことではございません。

就活生が、社会にとって意義のあることをしたいです、と言ったり、フリーターが地域活性化をしたいです、という理想はそれはそれは素晴らしいことでしょうけれども、きっと「大人」にこう一笑にふされることでしょう。

「まずは、お前ががんばれよ。おまえが活性化しろよ」

やはり、まずは自己実現ありき、なのだろうと思います。自己実現なき、利他的な犠牲や貢献は、机上の空論になりかねない。
たとえば、ほとんどの自己実現には経済的な成功が付随するだろうと思います。ビジネスはもとより、アートもそうでしょう。結局はお金がなければ何も実現できない。
ただし、お金を得ようとすれば、並大抵ではない苦労をするでしょうし、したくはないこともせざるをえないでしょう。もしかして、売りつけなくてもいいものも売りつけなければならないかもしれません。

けれども、社会には「いらないけれども、騙されたと思って買ってやるか」という余地が、あると思うのです。本当はいらないかも知れない商品やサービスを間にして、売る方と買う方の間にある種の共犯関係が成り立つ場合があるように思えます。
こういった、本当は忘れてしまいたいような、子どもにはあまり胸を張って言えないことも含めて自己実現を成し遂げることこそが、「働く」ということなのだろうと思います。
生きるという絶対的な正義を前にして、この「働く」ということは必要になることです。
もちろん、清いお金だけを集められれば理想です。けれども、きっとそれだけではほとんどの職業は成り立たないだろうと思います。経済活動は成り立たない。

人は、本当はやりたくない仕事もやって自己実現という頂きを見据えつつ、つまりロマンを胸に秘めて自らの命をつなぎながら、かつ、自分の責任のないことに責任をもって利他的に生きなければならないのかもしれません。

おそらく、「利己的」な部分と「利他的」な部分のその両方が必要となる。

これは人だけではなく、企業もそうなのではないでしょうか。

果てしない西部開拓のような、広大なるフロンティアがあったアメリカのような国であれば、きっと利他的に迅速に動き、拡大していった方が「遺伝子」を大量に複製して存続させることができるので、理にかなっていたでしょう。

日本にも、同じように広大なるフロンティアが現出したときが、史上、おそらく一度だけありました。
それこそが、戦後の焼け野原でございました。

そこでは広大なフロンティアを前にするとき、きっと利己的に拡大することが、同時に利他的になるのだろうと思います。ビルをいち早く大量に建て、物事をいち早く大量に作って売ることによって、救われる人が数多くいました。

それを実現するには、「まず、株を買ってください。儲かった分を株に応じて配当しますよ」という資本主義はとても役に立ったことでしょう。いち早く資金を調達でき、ビジネスを実現することができて、それが公共の福祉にもかなっていた。

けれども、広大なフロンティアを失った今、この西部開拓的な方法論は通用しなくなった。
つまり、アメリカ型のフロンティア拡張主義ともいうべき、利己主義的な、もっと言えば、株主の方を向いた経営というものは難しくなってくることでしょう。

前置きが少々長くなってしまいましたが、ここからが本題でございます。

広大なフロンティアを喰らい尽くしてしまった今、日本の企業が目指すべきは、日本にあったビジネスモデルです。

平川さんは、日本は家族構成として長らく家父長制度をとっていて、それが会社となり、国家となっていたと言います。そもそも、世界では家父長制度などの家族形態が8形態あって、それぞれの国に適した家族のかたちがあり、会社のかたちがあると言います。

戦後の焼け野原という広大なフロンティアは、日本にとっては、極めて稀なことであり、これに合わせて会社を創り、国家を形成しては、必ずほころびが生じることでしょう。なぜなら、核家族的な形態は、欧米の一部のかたちでしかなく、それが世界のスタンダードでは決してないからです。

本来、日本にあったかたちというものがございます。

日本は世界で最も長寿の会社が集まっている国であると言います。
その多くが建設業や酒造や織物など家業を基盤とした会社です。

そこには家父長制度でいうところの「おやじ」のような社長がいて、社長であると同時に従業員から本当の父親のように慕われる。きっと、そういう会社が存続するようにできている。

たとえば、名著『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)坂本光司著に出てくる会社のほとんどは、この形態をとっていることに気付きます。

実際にお会いして話させていただいたこともあるのですが、障害者を雇用してしっかりと利益を出している日本理化学工業の大山泰弘さんも家父長制度の「おやじ」的な経営者ですし、伊那食品工業の塚越寛さんもそうでしょう。
従業員を家族のように考える、家父長制度の「おやじ」的な経営者であって、それだからこそ、社員は社長を慕い、会社は強靭になっていく。

また、僕が敬愛する幻の羊羹の吉祥寺小ざさも先代の伊神照男さんは、まさに家父長制度の「おやじ」的な人であり、実の娘の稲垣篤子さんをそれを大事に継承し、なおかつ発展させている。

平川さんのお話を伺い、イベントを進めながら考えている内に、あるひとつの仮定が僕の頭のなかに浮かんでまいりました。

ちょっと、話がまるで違う方向に行くかもしれませんが、と前置きして、僕は言います。

「もしかして、日本最大の企業、トヨタも『小商い』なのではないでしょうか?」

それに対して、平川さんはその通りと嬉しそうに膝を打ちます。

僕の頭にあったのは、6月に放送されたテレビ東京「カンブリア宮殿」でした。そのとき、取り上げられていたのが、トヨタであり、スタジオに登場したのが、現トヨタ社長豊田章男さんでした。
豊田章男さんは、まさに右肩上がりの売上高グラフを前にして、ある部分を指しました。そこは、それまでよりも伸び率が高い、急に伸長した部分でした。奥田さんや張さんがトップの時代で、世界戦略で伸ばして行っていた時期でした。

豊田章男さんはそこを指してこのような主旨のことを言ったのです。

「ここは本来のトヨタらしい伸びではない。本来ならば、こうした成長が望ましかった」

そう言って、従来の成長トレンドを赤い線で示し、企業として喜ぶべきはずの伸び率が高い部分をばっさりと切ってしまったのです。

年輪のように実績をつみあげていくのがトヨタであると。

アメリカでのリコール問題や震災を乗り越えて、トヨタは去年、過去最高益を出しました。だから、今こそトヨタの危機だと豊田章男さんは言いました。

これを観て、僕は、実に日本的な会社だと思いました。

そして、こうも思っていました。調子に乗って、目立てば、足元を救われる。だから、目立った成長をしたくないだけかと思いました。

けれども、平川さんの家父長制度の話を合わせて考えてみると、どうもそれだけはないと思いました。

日本的な企業は、急な伸長、一時的な爆発的利益よりも、「持続可能性」を尊びます。

おもえば、豊田章男さんだけでなく、伊那食品工業の塚越さんもこう言っていました。

伊那食品工業は寒天のシェアナンバーワンの会社なのですが、テレビなどで取り上げられて寒天ブームになったときも、増産のための新しい設備投資をしなかったと言います。着実な経営こそが強みだとわかっていたからでしょう。塚越さんの経営は「年輪経営」と言われていますが、これも偶然ではないのでしょう。

日本の企業が、最高点に達した時に振り返ってみると「年輪」のような経営になっていたという結果論でございましょう。

僕の頭の中で「小商い」の定義はイコール、日本的な企業に置き換えられました。
すなわち、

家業から発展したものであり、
家父長制度的な「おやじ」社長がいて、
「年輪」のように着実に信用を重ねていく企業。

これこそがこれからの日本を生き抜く企業のかたちなのではないでしょうか。

そして、これこそが、天狼院が目指すべき姿なのだろうと思いました。

天狼院は、10店舗までは一気に増やします。
その後、専守防衛的にその拠点を徹底して守ります。
つまりは、その地域に強靭に根付かせていくような戦略をとるだろうと思います。

10店舗にすれば、もはや「小商い」ではないではないか、との声がこれまでも聞こえてきましたが、この記事を読んでいただければそうではないことがわかっていただけただろうと思います。

日本的な企業に合った成長の仕方、企業の組み立て方というものがあって、日本的な企業こそが、これからの新しい時代を生き抜くのだろうと思います。

これまで、天狼院を作る上で、アップルやGoogleやFacebook、Amazonと言った、シリコンバレー的な企業ではなく、吉祥寺小ざさの稲垣さんや、秋保さいちの佐藤さん、日本理化学工業の大山さんこそが師であると思ってきました。

それはきっと、知らないうちに、日本的な企業を模索していて、そこにこそ活路があると直感的にどこかで思っていたからなのでしょう。

 

【「小商い」セットの販売】

今回の記事『日本最大トヨタという名の「小商い」』に登場した本を「小商い」セットとして通信販売致します。「小商い」=「日本的な企業」を理解する上で最適の本を選びました。『利己的な遺伝子』と、その論点の中の「利他」の部分を科学的に理解するために、「ダンバー数」に関する名著も入れました。ぜひ、夏休みにじっくり向き合って読んでみてください。

〔セットの内容〕

『小商いのすすめ』(ミシマ社)平川克美著 本体1600円
『「消費」をやめる』(ミシマ社)平川克美著 本体1600円
『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)リチャード・ドーキンス著 本体2800円
『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』(インターシフト)ロビン・ダンバー著 本体1600円
『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)坂本光司著 本体1400円
『利他のすすめ』(WAVE出版)大山泰弘著 本体1400円
『リストラなしの「年輪経営」』(光文社)塚越寛著 本体1400円
『新訂いい会社をつくりましょう』(文屋)塚越寛著 本体1500円
『売れ続ける理由』(ダイヤモンド社)佐藤啓二著 本体1429円
『1坪の奇跡』(ダイヤモンド社)稲垣篤子著 本体1429円

消費税1293円

書籍合計17,450円(税込)
送料・手数料1,000円(税込)
セット合計18,451円(税込)
*送料をご負担いただく代わりに天狼院にご来店の際にご利用いただけますコーヒーチケット(370円相当)1枚と天狼院のオリジナル商品「天狼院リーディングカード(100円相当)」を冊数分10枚おつけします。




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TEL:03-6914-3618

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2014-08-06 | Posted in 天狼院通信, 記事

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