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チーム天狼院

【世にも恐ろしい女子ヒエラルキー③プライベート編】ウユニ塩湖に行ったからって、世界は何も変わらない《川代ノート》


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大学生はなぜウユニ塩湖に行きたがるのか?《旅行者の悩み①》 

大学二年の時、ウユニ塩湖に旅行に行った。

そう、大学生みんなが憧れ、もはやリア充の象徴ともいえる場所、ウユニ塩湖である。しかも私は彼氏と二人で行ったので、それはそれはもう女子たちみんなに羨ましがられた。
「なにそれー! うらやましいー!」そうキャピッと友人たちに言われた私は鼻高々であった。おそらく私が大学生の時にした行動のなかでは、最も世間一般的に「青春」「リア充」と認識されるものだったと思う。

しかし、そもそもなぜウユニ塩湖に行くことが大学生の憧れになっているのだろうか? 世界にはいろいろな場所がある。ニューヨークやパリやローマで映画や文学に出てきた街を巡るのもいい。東南アジアとかで遺跡をたくさん見るのもいい。アフリカで自然に触れるのもいい。世界は広いし、魅力的な場所がいくつもある。それなのに、多くの大学生が、「卒業するまでにどこに行きたいか」と聞かれると、ウユニ塩湖と答えるのは、なぜなのだろう?

私が思うに、理由は四つある。

第一に、余裕がある大学生のうちに行きたいと考えるから。南米・ボリビアという、時間とお金がかかり、行くのが非常に難しい場所にあるためレア感があるのだ。
第二に「死ぬ前に一度は見たい絶景」だとか「世界絶景ランキング」だとかには必ずと言っていいほどカウントされているくらい、雨季のウユニ塩湖の「鏡張り」がとても綺麗で、まるで空のなかに浮かんでいるような幻想的な光景が見られるから。
第三に、とても写真映えするから。ウユニ塩湖に行ったよということをSNSなどにアップした時に「すげー!」とか「いいなー」とか言ってもらえやすい。それこそいいね! が集まりやすいのだ。
そして最後、第四に、これが一番重要なのだが、説明する前に、私がウユニ塩湖に行った時の話をしよう。

大学二年生だった私と彼にはお金がなかったので、ツアーに申し込む余裕はなく、自分たちで情報を集め、口コミを頼りにホテルや飛行機を取り、どのようなルートで行くかを一つ一つ決めて行った。私たちは十日間でペルーとボリビアを回る旅程にし、前半でマチュピチュ、後半でウユニに行くことにした。
さて彼氏と二人で長期旅行をしたことのある人ならある程度予想がつくだろうが、私たちは喧嘩をした。原因は簡単。頼りにならない私に彼氏の堪忍袋の緒が切れたのだ。私は池袋駅から池袋のユザワヤに行くにも一時間さまよったことがあるくらいの超ド級の方向音痴なので、地図を読むことができず、どこに行くにも彼氏に任せっきりにしていた。そのことに対して彼氏が不機嫌になり、旅行中の会話がほぼなくなってしまったのだ。
でも一応自分の擁護のために言い訳させていただくが、私は別に何もかも任せっきりにしていたわけではない。現地の人との会話は私が担当していた。英語が通じなかったのでスペイン語の旅行会話集を買い、なんとかやりとりをしていた。
しかも、彼は頻繁に「今まで弟キャラであんまり甘えられたことがないから、サキに頼りにされるのがすごく嬉しい」と言っていたのである。それなら当然旅行でも頼りにしてもいいと思うじゃないですか、ねえ?
だからね、私はコミュニケーション班と地図班で分かれていたつもりだったんですよ。なんなら彼は「地図読めな〜い」と言われて喜んでいるもんだとすっかり思い込んでいたのですよ。でも実際は、彼女に甘えられて喜ぶ期間というのはとっくに終わっていて、内心で「いい加減仕事しろよなこのズボラ女」と愚痴っていたわけですね。ああ男女のすれ違いって怖い。切ない。ちょっとお、男は頼られるのが好きって書いてあったあのモテ本当てになんないじゃん! クソ! と自分の過ちを責任転嫁して、私はなんとか怒りを鎮めていた。

というわけでウユニに行く寸前に大げんかした私たちは、気まずいまま、ちゃんと話したりもせず、一言も話さずセックスもせず就寝してしまったわけである。わかってくれる人は少なからずいると思うけど、旅行に行って解放的な気分になってるはずなのに彼に「ヤりたい」と思ってもらえない時の切なさといったらない。あの夜は本当に辛すぎて眠れなかったわ。ヤツはでかいイビキかいて寝てたけど。

で、不穏な雰囲気のままウユニに着いた私たちは、渋々普通に会話はしていた。まあここまで来てようやく念願のウユニにたどり着いたのに口論なんてしていられるかという感じだったのだ。しかも泊まったのは安宿じゃなく塩のホテルというやつで、壁とか床とかテーブルとかいろんなものが本物の塩でできていた。ウユニ塩湖の塩を使っていて、リーズナブルな宿泊料のわりに豪華で部屋も綺麗で食事もおいしかった。

こうしてなんとか気をとりなおした私たちは、ホテルのまわりをお散歩したり野生のシカだかガゼルだかの写真を撮ったりしながらウユニ塩湖ツアーまでの時間をつぶしていた。
さて満を持してやってきたウユニ塩湖。塩が続く道をひたすらインディ・ジョーンズが乗ってそうなでかい車で走り、鏡張りになっている場所を探す。

「日焼け止めは塗ったか? ウユニの日差しは強いぞ。一回じゃダメだ。三回塗るんだ」とツアーガイドのフランクで屈強なボリビア人のフェデリコ(仮名)にスペイン訛りの聞き取りにくい英語で言われる。「ちゃんと塗っておけよ。リップクリームもだ。唇が裂ける。あとで後悔することになるぜ」本当にな。ウユニに来るまでに行っていたマチュピチュでは舐めていたせいでひどい目にあった。南米の太陽というのは日本の比ではないのだ。標高が高いのでそのぶん太陽も近い。私は一日山登りをしただけで耳の裏と手の甲の皮がずるりと剥けてしまった。またそうなってはたまらないので今度は十分すぎるくらい何度も日焼け止めを塗る。真っ白な地面に反射する光が強すぎて目に悪いとフェデリコが言うので、サングラスもかける。

さてわくわくしながら鏡張りしているところを探すこと数十分。

「さあ、着いたよ。ヒアウィーアー!」

フェデリコに促されるまま、車を降りる。
長靴を履いた足で地面を踏むと、うっすらと水たまりができているのがわかる。
おお……おお……! ウユニだ! ずっと夢見たウユニだ! 世界一の絶景ウユニだ!
本当に目が痛くなるほど真っ青な空がそのまま水たまりに反射して、世界一面が青に染まる。ここにいるのは自分と彼と、ついでにフェデリコだけ。な、なんと幻想的な。これが長い間待ち望んでいたあのウユニかー! すげー! ウユニすげー!
キラキラ光るウユニ塩湖にはしゃぎながら私たちはパシャパシャと写真を撮りまくる。定番の鏡張り写真も撮る。自分が空中に浮いているように見える写真を何とか撮ろうとチャレンジ。

「すごーい!」
「きれいだなー」
「ねー」

気まずい雰囲気になっていたのが嘘のよう。さすがウユニである。絶景はやはりすごいのだ。喧嘩していた人たちの空気を緩和するだけの力もあるのだ。
ひたすらパシャパシャと写真を撮り続ける私たち。フェデリコもツーショット写真を撮ろうと気を使ってくれる。私たちが二人ではしゃぎたい時は黙って車の中で待っていてくれる。空気が読める。さすがフェデリコ。だてに世界一の絶景でガイドやってないね。なんて、一人思いながらまた写真を撮る。
さて一通り遊んで写真もたくさん撮ったので、そろそろ行くかということになった。が、何かがひっかかる。気づかない振りをしようと思えばできるくらいの、ほんの少しの違和感が、そこから離れることを躊躇させた。

「いい写真はたくさん撮れたか?」

そう聞いてくるフェデリコにイェア! なんて二人で元気にブイサインしちゃいるが、車に乗り、後ろに過ぎ去るウユニを見ながらも、何かが、納得できていない。
フェデリコが撮ってくれた写真を私たちに見せる。

「ナイスカップル!」そう言って快活に私たちをからかうフェデリコに、二人してニヤニヤ。

「すごかったね」と彼とはしゃぎながらも、何か、なーんか、思ってたのと違う、なんて。あれ? このまま帰っていいんだっけ?

目の前の景色が本当に絶景で、すごくきれいで、感動したということは、紛れもない事実なのに。
何だろう、と思いながらも、まあ気のせいかと往なしてまった。
そして、私たちは帰国した。

結論から言えば、私とその彼は、ウユニ塩湖に旅行に行った三ヶ月後に、お別れすることとなった。
理由はやっぱり簡単で、自分のことをわかってもらおうとする私に、彼はついに、嫌気がさしてしまったのだ。

「俺、彼女には、そういうの求めてない。ニコニコ笑って甘えてくれるだけでいい。別にそんな、真剣な話ができるとか、真面目な話するとか、そういうこと求めてないんだよ」

そう淡々と言う彼に、なんだよ、やっぱり甘えてくれる女がいいんじゃん。あの時言ってたこと、違うじゃん。あのあと、頼れる女になろうと頑張ったのに。
心の中で文句を言いながらも、あー、なんだ、彼はもともと、合わない人だったんだ、とようやく気がついた。結局何をしても私と彼は合わない。私が彼の態度に満足することはないし、彼が私をメンドクセー女だと思わなくなる日も、おそらくもう二度と、来ない。

そういうことだ。単なる相性の問題だ。

結局、私たちが一生懸命撮ってフェイスブックにアップしたウユニ塩湖の、いかにも「青春」といった写真は、単なる失恋の証みたいになってしまったから、友人たちへのマウンティングの材料にもならなくなった。

せっかくウユニ塩湖に行ったのにもったいないと思わないでもなかったが、嫌なことを思い出したくもなかったので、それ以来、南米の写真は仕舞ったまま、パソコンのアルバムのフォルダを開くことはなくなった。そしてウユニ塩湖に行った時に覚えた奇妙な違和感も、失恋のショックで忘れてしまった。

ウユニ塩湖に行ったからって、世界は何も変わらない《旅行者の悩み②》 

そのフォルダを久しぶりに開けたのは、大学を卒業する前のことだった。

感傷に浸りながら、パソコンのデータを整理し、フェイスブックの写真をざっと見ていった。サークルの写真、留学していた時の写真、旅行した時の写真、飲み会の写真……。あっという間のようで、案外さまざまな経験をしたのだと思うと、感慨深いものである。
懐かしい。楽しかったなあ。

大学は「人生の夏休み期間」とはよく言ったもので、本当に、長い長い間、私は遊び呆けていたような気がする。はちゃめちゃなこともやった。気が狂いそうなこともあった。もう誰にも会いたくないと思う時もあったし、誰でもいいからそばにいてほしいと思う時もあった。楽しいことも苦しいことも、退屈なこともたくさんあった。

けれどそうやって、さまざまな感情や、無駄な時間を経て私たちは大人になっていくのだ、きっと。

そんなことを考えながらパソコンの整理をする。ずっと開いてこなかったけれど、でもなんとなく捨てることができない写真が、データから出てきた。

「南米旅行」

そう名付けられたフォルダのなかには、デジカメで撮った写真がたくさん入っているはずだった。失恋して以来、もう二度と見たくないと思っていた彼の写真が残っているはずだ。あの、ウユニ塩湖で撮った写真も。

彼に振られたその日、私はスマホに入っていたすべての写真を捨てた。動画も捨てた。彼にもらったものも捨てたし、ラインの履歴もすべて消去した。彼を連想させるものはすべて消し去った。もう二度と思い出したくないくらい私は傷ついていたから。

でもどうしても南米の写真は捨てる気になれなかった。もしかしたら、いつか彼との写真を見られるようになる日が来るかもしれない。もしかしたら、もう二度と南米には行けないかもしれない。そんな迷いが、私を止まらせた。だから私はその写真を一つのフォルダにこっそりと保存しておいたのだ。いつか見返したくなるかもしれない日のために。

そしてその日は、二年後にやってきた。私は恐る恐るフォルダを開き、写真を見る。懐かしい彼の顔があった。自分の心がほとんどざわついていないことに私はほっとした。彼も私もとても楽しそうだった。二人で笑って、バカみたいなポーズを取っていた。フェデリコが撮ってくれた写真もたくさんあった。

ああ、懐かしい。

楽しかった。ウユニはとても綺麗だった。感動した。こんなに綺麗な場所があるのかと私は思った。

でも……。

私はあの時抱いた違和感を二年ぶりに思い出した。何かが違う。何かが、思ってたのと、違う。期待していたものが手に入らなかったような、気持ち悪さ。

ああ、そうだ。思い出した。

ウユニの絶景に、私はたしかに感動した。
でも、ぶっちゃけてしまえば、それだけだったのだ。

感動したのは事実だ。今までに見たことのないような幻想的な風景。キラキラした湖。異世界に飛び込んだような感覚。
わあ、すごい、綺麗、楽しい、来てよかった。

でも、それだけだった。本当にそれだけ。それ以上でもそれ以下でもなかった。

そうだ。そうだよ。

あの時の違和感は、何か心にひっかかるものがあったのは何だったんだろうと、疑問だった。
何かが思っていたのと違う。何かが期待外れだった。それが何なのか、二年経ってやっと、理解した。同時に、多くの大学生がウユニ塩湖に憧れる理由も。

第四の理由は、「ウユニ塩湖に行けば世界が変わるかもしれないと、期待しているから」だ。

私はウユニ塩湖に、その絶景に、自分の世界をまるっと変えてもらおうと思っていたのだ。その絶景ゆえの、あまりの衝撃によって、自分の価値観か何かが、一気に変化することを期待していた。

だってウユニ塩湖に行ったという本やガイドには、「人生観が変わった」とか「ものの見方が変わった」とか、そんな風にたくさん書かれていたのだ。遠い遠い、絶景と呼ばれる場所に行ってきた友人の多くは、「世界が変わった」と言っていた。その状況が他の大学生みんなに起こるのに、自分にどうして起こらない?

そう思っていた。ウユニ塩湖という、世界の果てみたいな、奇跡みたいな光景を見た衝撃で頭がガツーンと殴られたみたいになって、そのままごっそりと自分の価値観が変わるのだと思っていたのだ。そして自分はウユニに行くことによって、自然か何かわかんないけど、何らかのエネルギーを吸収して、今よりも成長した自分に、今よりも価値のある自分になれるんじゃないかと期待していたのだ。ほら、すぐにスピリチュアルに頼る。悪い癖だ。

でもそんなことは起こらなかった。絶景は、ただ絶景というだけだった。たしかにウユニは驚くほど綺麗だった。でもだからといって自分の世界が変わるわけじゃない。別にウユニに行ったからって、私が突然ものすごく性格のいい人間になるわけでもなかった。世界の美しさに感動して、この綺麗な世界のために何か行動しなくちゃいけないと、モチベーションを高められたわけでもなかった。もちろん行った直後はやる気も出ていたが、それもすぐに収まった。そんなものだ。

世界は簡単には変わらない。価値観がまるっと変化する瞬間なんて、そう都合よく訪れてくれない。人生はそこまで甘くない。よく考えればわかることだ。留学したって根本的な人間性は変わらなかったのだ。ましてやたかが一回旅行に行ったくらいで価値観や人生観が変わるわけがない。

もちろんこれは私のケースで、本当にウユニの絶景に衝撃を受けて世界が変わった人もいるだろう。でも今回の私の場合は、世界一周とかならまだしも、たった十日間の、一回の旅行だ。イレギュラーなことが起きたわけでもない、ただの平和な海外旅行なのだ。それだけで頑固な私の何が変わると言うのだろう? 行ったその時はたしかに「自分の悩みなんて、なんてちっぽけだったんだろう」と実感した。でもその時はその時だ。帰国したらまたすぐに新しい悩みが次から次へと見つかったし、ウユニに行ったからって自分ができる人間になったわけでも、魅力的な人間になったわけでもない。

「大学生でいる」という状況は、はたから見れば楽しいことだらけに見えるが、案外、苦しいこともたくさんある。心の奥底でいつも寂しさや孤独感や焦りがぐつぐつと渦巻いている。とても不安定で、将来のことや人生のことで悩みがつきない。コンプレックスが溢れ出てくる。自分のアイデンティティについてもひたすらに考える。自分は何のために生まれてきたんだろう、何のために頑張ればいいんだろう。自分は何がやりたいんだろう。いつもどこにいるかわからない、とっちらかった「自分」を一生懸命探して、もがいている。なんでもいいからモヤモヤした自分の感情を消化してくれる存在を常に探している。そういう状況下の私にとって、ウユニ塩湖というのは好都合だったのだ。世界一の絶景、見たら人生観が変わる、悩みなんか吹き飛ぶ。多くの人はそう言う。「これで今日から自分は幸せになれる」、そう思い込むための切り替えスイッチみたいなものだったのだ。

本当はただ、きっかけを待っているだけなのだ。自分が変われるきっかけを。それを期待して、ウユニ塩湖に行きたいと思っていた。

そうか、だから私はモヤモヤしていたんだ、とようやく納得が行った。ウユニはたしかに綺麗だったけれど、ガツーンという衝撃もなかった。あまりに綺麗すぎて自分の感情やら信念やらが何から何までひっくりかえるなんてこともなかった。綺麗なだけ。世の中にはたしかに絶景を見て世界観が変わる人もいるのかもしれない。でも私は違った。私は絶景を見て世界が変わるタイプの人間ではなかった。それだけだ。別に何も変わらないし、ウユニの空気を吸い取ったからといって自分が大きく成長できたわけでもない。それが期待外れだったのだ。

でも、と私は大学の思い出の写真を、もう一度見返す。

友達と旅行に行った時の写真、サークルの写真、留学の時の写真……。いろいろなことがあった。時間がたくさんあった。遊んで、勉強して、また遊んだ。バカなことをたくさんやった。歩いて山手線を一周するという本当にバカみたいなことに全力で取り組んだこともあった。別に自分の中で何かを変えたいからやったわけじゃない。成長できたとも思わない。ただひどい筋肉痛になっただけだ。でも楽しかったのだ。とても。

高田馬場駅の前で疲れ切った顔で笑う自分と友人たちの写真を見ながら、四年前に、大学に入る前から自分は変わったか、と改めて振り返ってみる。

根本は変わっていないと思う。基本的な考え方も。でも価値観や人生観は少しずつ変わった。より多くの自分の感情に気がつくことができた。前ならすぐに怒っていたことで怒らなくなった。逆に、前には怒らなかったことで、怒るようになった。

たしかに変わった。でもいつ変わったのかと聞かれると、思い出せない。ただ、気が付いたら変わっていたのだ。なんとなく。前の自分よりも。

そんなものだ。世界は一瞬では変わらない。人生観も変わらないし、一瞬で人は成長しない。でもずっと変わらないかというと、そうでもない。きっと毎日毎日、少しずつ、いろいろな時間を体験して、感情を積み重ねていって、そうしてふと気がついた時に、何かが変わっている、そんなものなのだ。くだらないことや、時間の無駄と思えることでも、振り返れば、無駄だと思っていた瞬間が大きなターニングポイントになっていたということもあるし、いかにも人生の転機になりそうなイベントがまったくもって影響していなかったということもある。事実、大学卒業間際になって「青春って何だろう」と考えると、案外、ウユニなんかよりもずっと強く、山手線を爆笑しながら一周したことを思い出したりもするのだ。予想通りには行かないもんだ。

でも別にそれでいいのだと思う。簡単に変わることができない自分に嫌気がさすかもしれない。時間を無駄にしている自分を追い詰めたくなるかもしれない。けれどそんなものなのだ。人生なんて。人間なんて。私だって、承認欲求をなくしたいと気がついたのは三年前だが、一向に消えるどころか、ますます増えているような気さえする。

世界も自分も、そう簡単には変わってくれない。めんどくさいけどさ。でも面白いから、それでいいや。

そうやって無駄な時間や、コスパの悪い時間も愛せるようになっているのは、少しは自分が、前より好きな自分に近づいているからだと言えるだろうか。言ってもいいよね、きっと。

そう一人でつぶやきながら、私はその南米旅行のフォルダを、もう一度とじる。
さて、次にこれを開くとき、私は何を思うのだろう。

つづき(自分の一番得意なものさしで、人は人をはかるのだ)は、12月11日夜9時公開!

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