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私は、夢に挑戦するために高学歴になったんじゃないのか?《川代ノート》


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「……あれ?」

偶然だった。本当に偶然だった。
アルバイトがいなくてずっとカフェ業務をやっていた日の合間、ようやっと時間ができたので休憩に行こうと中途半端な時間に定食屋に入ったら、やけにこっちを見てくるサラリーマンがいた。

なんだあの人。めっちゃこっち見てくる。キモいんだけど。

そう心の中でつぶやきながらも、気がつかないふりをして、席に座る。

見てる。まだ見てる。めっちゃ見てる。

やばい本当に変な人に捕まっちゃったのかもしれない、と思いつつ、ちらりと隣を見ると、懐かしい顔がそこにあった。

「あれ、何やってんの!?」

「そっちこそ!」

大学時代の、旧友だった。

彼とは授業で会えば話す程度の仲だったし、特別飲みに出かけたりするほど親しいわけではなかったけれど、どういうわけか、私は彼とやけに気があった。
なんか、しっくりくる、みたいな、そんな感じ。
気があうというのだろうか、大学時代の友達に偶然話しかけられたらほとんどの確率で見ないふりをするほどの人見知りの私でも、彼とは全く気まずくならずに話すことができた。

「いやー、まさかこんなところで会うとは」
「びっくりだよね」

お互い、大人になったな、とふと思う。

私が早稲田大学に通っていた頃は、本当に地に足がついていなかったと思う。いや、今だって全然地に足なんてついてはいないのだけれど、なんというか、やっぱり、あの頃とは違う。どう考えても違う。ただ前が何も見えていなかった大学時代とは違って、きちんと周りを見た上で選択をできているような気がする。

彼も、大人になった、と思った。

大学生の頃に着ていたようなシャツにジーンズではなく、黒いスーツに革靴だった。顔は全然変わらないのに、どうしてかやけに老けたように見えるのは、やはりスーツのせいなのだろうか。

「元気してる?」
「仕事はどう?」

いや、そもそも、そういうことではなくて、単純に、こうやって「旧友と仕事について話している」という状況そのものが、なんだか、私に懐かしさを感じさせているのかもしれないとも思った。

短い休憩時間のなかで、いろいろな話をした。

仕事のこと。
結婚のこと。
大学の友達のこと。
自分たちの未来のこと。

そのほとんどはありきたりなことのように思えたけれど、何か、小さな何かが、変わったような気がした。

「あのさ、俺」

私は豚汁を、彼は煮物を食べ終えて、別れ際、彼はぼんやりした顔をして言った。

「俺、わかんないんだよな」

何かを迷っているように見える。

「どうしたらいいのかなあ」

不安そうだ、と思った。
漠然とした不安を抱えているように見えた。
そして、私も同じだ、と思った。
私も不安だった。

彼も、私も、早稲田大学という、いわゆる「高学歴」と呼ばれる大学を出て、きちんと職を得て働いているのに、働いて、給料をもらえているというのに、それでも、「不安だ」と彼は言った。そして、私も同じように思った。「不安だ」と思った。

「わからない」
「どうすればいいんだろう」
「何がしたいのかな、俺」

そんな言葉を、彼は繰り返していたような気がする。

彼は、もしかしたら、今進んだ道が、本当にしっくりきているわけではないのかもしれない、と私は思った。
今、このまま進んでもいい。このまま進んだらきっと、「幸せだね」と言ってもらえる人生を歩める。きっと。それはほぼ99%間違いのないことだ。ここでずっとがんばって、そして、前にすすんでいけば、保証された未来が待っている。「確実」なものが、彼を待ち受けている。

なのに、彼は、不安そうだった。彼の道の目の前に「確実な未来」が陣取って、彼の歩く道をてかてかに照らしてくれているようなものなのに、それでも、不安そうだった。このままでいいのかな、と思っているように見えた。

彼と別れた後、私は思った。

私は、どうだろうか。私は、どう思っているのだろうか。
私は、「このままでいい」って、思えているのだろうか。「このまままっすぐに進んでも大丈夫」だと。きっと幸せがこの先に待っていると、信じ切れているのだろうか。

いや、違うな、と私は思った。

私も不安だ。ひどく、不安だ。いつも不安だ。何をするにも、どんな行動を起こそうとしていても、いつでも、常に不安。気持ちが悪い。ぐらぐらと、前をきちんと歩けているのか、道はあるのか、あっているのか、わからなくなる。

彼と同じだった。
私は不安だった。
そしてそれは、私の周りにいる大学の旧友、みんなそうだろうと思った。
私の大学一年生の頃から仲の良い友達も、不安そうだった。留学時代からの親友も。今、同じ職場で働いている山本も、同じ早稲田大学の出身だけれど、みんな、不安そうにしている。このままでいいのかな、と未来に不安を抱いている。

なんでだろう、と思った。

私は、早稲田に入る前の私は、早稲田に入れば、全部が解決するものだと信じきっていた。きっと、全部がうまくいって、私は早稲田大学という学歴を振りかざして、そして、就活もばんばん成功し、エリート街道まっしぐらで、何も悩むことなんてないんだろうと思っていた。こんな風に、道が決まっていなくて、ただ勉強するしかない状況だからこそ、受験生だからこそ、こんなに不安なんだ、と思っていた。

なのに、早稲田に入学しても、不安な気持ちは変わらないどころか、ますます不安になるばかりだった。何をしていても、サークルに入っていても、不安だった。友達と話していても、勉強しても、不安だった。常に不安だった。留学しても不安だった。留学が終わっても不安だった。ある程度英語が話せるようになっても、不安だった。内定先が決まっても、不安だった。本当にこのままでいいのかなと思った。何をしていても不安だった。とにかく不安だったのだ。

そして、今も。
今も私は、不安だ。

思えば私は、生まれてから今まで、不安じゃない時期がひとつもなかったのだと、彼と出会って、久しぶりに話してみて、思い知った。そうだ。私は不安じゃないときがないのだ。常に不安なのだ。この不安を解消するために、毎日生きているような気さえする。

どうしてだろう。どうして私は不安なんだろう。できることなら、不安から解放されて生きていけるようになりたい。不安じゃない自分を、安定した自分を手にいれたい。それなのに、ちっとも安定できない。常にふらふら、不安定なまま。何をしても、先がみえない。このままでいいのかな、と常に怖がりながら、生きている。

何をこんなに怖がっているんだろう、と思ったし、ふと、不思議だとも思った。
どうして私は、早稲田大学卒といういわゆる「高学歴」と呼ばれる人間であるにもかかわらず、ここまで不安になっているのだろうか? と。
それはたとえば、私が東大卒だったら、不安じゃなかったのだろうか。
たとえば私が、ボストンコンサルティングに内定していたら、不安じゃなかったのだろうか。たとえば、三菱商事に、たとえば、電通に、たとえば、グーグルに内定していたら、それは、不安じゃなかったのだろうか。

いや、不安だっただろうな、と思う。

結局私は、何をしていても不安なのだ。どんな道を選んだとしても、私は不安ではない自分ではいられない。

だって、私は、今、天狼院に就職して、本当にやりたいことを見つけて、大好きな本に囲まれて毎日暮らして居るけれど、それでもやっぱり、死ぬほど、本当に死ぬほど、不安だ。

自分が失敗して迷惑をかける夢や、おこられる夢は、何度見たかわからないし、きりきりと胃が痛む日も、1日ではなかった。

思えば、私は、夢に近づけば近づくほど、不安になっているような気がする。

私は、小説家になりたい。
書いて、食っていけるようになりたい。書くことで生きていけるようになりたい。
それが、今の私の夢だ。

そして、私は今、着々とその夢に近づけているような気がする。前を向いて、まっすぐに、とはいかないまでも、色々ふらふらしながらも、少しずつ、近づけているような気がする。
なのに、今は、死ぬほど、怖い。恐怖という感情ばかりで、埋め尽くされている。

受験生のときは、早稲田に入れるかどうかわからなくて不安だった。とにかく早稲田に入りたいと思った。早稲田に入りさえすれば、やりたいことが見つかる気がした。
大学生の頃は、何もやりたいことがなくて、不安だった。サークルに入った。授業を受けた。就活をした。何も本気で打ち込めるものが見つからなかった。
就職をしたら今度は、本当にこの道のまま一生生きていけるのかどうか、不安だった。でも、きちんと稼げるようになった。自立した。家を出た。

そして、今は、天狼院に入って、色々な仕事をしている。天狼院が好きだ、と思う。心から。私の作家になりたいという夢を応援してくれる人もたくさんいる。確実に夢に近づけている。なのに、不安になる。なんでだ。なんでなんだ。私は、自分の不安を消すために毎日毎日、色々なことをしているのに、不安はあとからあとから、溢れてきて、とまらない。一つの不安を消したら、また次の不安が出てきて、まるでもぐら叩きみたいに、終わりが見えない。そして気がつくと、自分の胸に抱えている不安が、前よりもずっとずっと、巨大になっていることに気づく。

なんでだろう、と思った。どうして夢に近づけば近づくほど、不安になるんだろう。

いや、もしかすると、不安になることは、悪いことではないのかもしれない、とふと思った。

「臆病になれ」

一人でもんもんと考えているとき、三浦さんに言われたことを思い出した。

私たち社員はいつも、よく言われる。

臆病になれ、と。
臆病であることは、何も悪いことじゃない。
本当にこれで大丈夫か、疑ってかかれ。不安になれ。臆病であれ。
臆病でなければ、本当にいいものは生まれない。

もしかすると私は、夢に近づけば近づくほど、臆病になれているんじゃないだろうか。それとも、私のなかの「臆病指数」のようなものがあるとすれば、それが日に日に大きくなっているからこそ、夢に近づけているんじゃないだろうか。

わからない。どちらが先かわからないけれど、とにかく、自分の道をすすむことと、臆病指数が上がることは、比例関係にあるような気がする。

そうか、私たちは、自分の中の不安を消そうとして、次の行動をとるのだ、きっと。

このままでいいのかな、大丈夫かな、と不安になるからこそ、その不安を消そうとして、行動をする。

未来に近づけば近づくほど、前に進めば進むほど、自分には到底叶わないような敵がわんさか見えてきて、なのに、あとからあとから、得体のしれないライバルたちが、やってきて、私を食い尽くそうとしてくる。

前が見えない。何もわからない。本当にこのままで、大丈夫?
そうやって疑問になって、怖いから、その怖い気持ちを消そうとして、あれもやって、これもやってと、行動する。次へ進む。不安があるからこそ、道がわかる。
そうだ、今の私は、「不安」を道しるべに、進んでいるようなものなのかもしれない。

どっちに行けばいいのかわからないけれど、とにかく、一歩前の不安を解消するために行動して、結果的に、それが未来につながっていく。ふと振り向いて、自分が歩いて来た道を見ると、不安をつぶしていったことが確実に、私の夢へと一歩一歩、近づかせてくれたのだと気がつく。

たとえば、二つ道があったとして、不安じゃない道を選ぶこともできる。不安なのが嫌で、安定した方を、確実な方を選ぶことだって、できる。

自分が不安だって思っているということは、つまり、自分が選ぶべき道じゃないんじゃないか、と、言い訳ができる。
これだけ不安ってことは、きっと、向いてないんだよね。落ち着いて、ゆっくり、マイペースに進める道の方がいいよね。そっちの方が、自分にあってるってことだよね。

そうやって自分に言い聞かせて、より不安が少ない方の道を選ぶ。不安はやってこなくて、安定していて、舗装された道を歩いていると、ホッとする。大丈夫、自分はこの道で生きていける、と思う。
でも、その道を歩いていると、ふと、また別の感情が湧いてくる。もやもやとした、「不安」とも似ているけれど、でも少し違う、別の感情がじわりじわりと、湧いてくる。

それは、「罪悪感」だ。

自分の「不安」から逃げたことへの、「罪悪感」。

本当は、あっちを選ぶべきだったんじゃないか。
挑戦しない道を選んでしまったのは、もしかして、ただの逃げだったんじゃないか。
失敗するのが怖くて、努力するのが嫌だから選んでしまっただけの、道なんじゃないか、と、もやもやする。

そのもやもやは「不安」と似ているけれど、全然違うのだ。もっともっと、気持ちが悪くて、むかむかする感情だ。

私は、「不安」はいくらでも抱いてもいいけれど、自分に対して「罪悪感」を抱くような生き方は、したくない、と思った。

もしかしたら、「不安」という感情の反対は、「罪悪感」なのかもしれない。

不安という感情はおそらく、抱いてはだめなものではなく、まして、マイナスな感情などでもない。

「不安」とは、プラスなのだ。
「不安」でいるということはつまり、着実に、前に進んでいるという、私が、私自身が、きちんと自分と向き合って生きて入られているという、証なのだ。

私は思い込んでいた。「不安」という感情はマイナスなのだと。
もちろん他人を不安にさせるのはよくない。自分の周りにいる人に対しては、極力不安にさせないように気をつけるべきだと思う。

でも、自分が、自分自身に対して抱いている不安は、間違いなく、プラスなのだ。誰からも賞賛されるような道を見つけてくれる指針にはならないけれど、その代わり、自分と本当に向き合っているということを表してくれる、指針にはなる。
そして、そこから逃げると、罪悪感を抱く。自分のことを大事にできていないんじゃないか。人生を浪費しているんじゃないか、と。

大人は、「人生、そんなもんだよ」と、よく口にする。

私たちが、「本当にやりたくもない仕事を一生やるのか」とか、「ほかにやりたいことがあるのに、このままつまらない仕事を続けていてもいいのか」とか言うと、「働くっていうのは、そういうことだ」と口にする。

「大人になるってことは、自分が嫌だと思うことも、我慢しなきゃならない。嫌なことを我慢して、家族を守れるのがちゃんとした大人だ」と。

そんなもん、なのだろうか。

そんなもん、なのかもしれない。たしかに。

自分の好きなことを我慢しても、それでも歯を食いしばって、生きていくために、自立するために働く。ストレスがあっても、ときどき飲んだり、友達と話したりして解消して、生きていく。

そうかも、しれないけど。

しれないけど、でも、なら、私は、なんのために高学歴になったんだろう?
私は、歯を食いしばって、嫌な仕事をするために、一生懸命受験勉強をして、わざわざ無理して、早稲田大学なんていう大学に入ったのだろうか? 
私は、本当にやりたいことをやりたいから、だから、めちゃくちゃ成績悪かったのに、成績表に1がつくくらいひどい成績だったのに、がんばって、本当に死ぬ気で受験勉強して、それで、はれて早大生になったんじゃないのか?

なのに、大学を卒業して、気がついたら、「やりたいことをやる」とか言うのが、ちょっと青臭いことのように聞こえる。恥ずかしいことのように聞こえる。大学を卒業したなら、きちんとした企業に就職して、安定した道を選ぶのが当然のことのように思える。

そんなのおかしいじゃないか、と私は思う。
せっかく自分らしからぬ、高学歴の資格を手に入れたのであれば、多少失敗してもなんとかなるくらいの気合いで挑戦した方が、得じゃないか?
早稲田に入ると決めたときだって周りからはバカにされ、無理だと言われていたなかでも進むと決めたのだから、それならやっぱり、泥臭く、行けるところまで行ってみようと、挑戦してみるべきじゃないか?

本当に幸せになれるかどうかわからない「不安」な道と、安定しているけれどどこか「罪悪感」を抱かざるをえない道があるのだとしたら、私は、「不安」な方を選びたい。

不安になってもいい。何も間違っていない。
不安になってもいいけど、ただひとつ、重要なのは、それが本当の未来に対する「不安」なのか、自分の未来から逃げているという「罪悪感」なのか、本当はどちらなのか、きちんと見分けなければならない、ということだ。

……と、こう書いている今だって、こんなことを宣言しても大丈夫なのかとか、また、不安なのだけれど。

でも、不安だということは、私にとっては正しいことだと思うから。

だから、私は今日も、明日も、明後日も、私がより「不安だ」と感じる方の道を選び続けたいと、そう思う。

***

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2016-12-26 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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