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チーム天狼院

東京出身、20代独身女の私は本当に実家をでるべきだったのか問題について、一応の結論が出た。《川代ノート》


本当に実家を出てよかったのかな、と思うことが度々あった。
決して裕福な家庭で育ったわけではないが、大事に育てられた一人娘だった。箱入り娘、と言ってもいいかもしれない。両親は、私のことを大切に育てた。私立の幼稚園に入れ、学費を工面する余裕もたいしてないのに、私が行きたがったら、という理由で、公立の小学校ではなく、私立の小学校に入れた。その頃の私には、そんな価値なんてちっともわからなかったけれど、今、25歳になり、「大人として扱われる」ことに慣れてきて、徐々に、あの頃の両親の苦労が想像できるようになってきた。それもリアルに。

一人っ子だった私は、両親だけでなく、祖父母にも大切に育てられた。両親が働いていて不在のとき、私を育ててくれたのは祖父母だった。小学校から祖母宅に帰り、そこで宿題をしたり、アニメを見たりしながら母親が迎えに来るのを待っていた。祖父母は私を実の子供のように可愛がったし、私も祖父母になついていた。寂しいと思うこともあったけれど、それでも家族が二つあるみたいだと思っていたから、大丈夫だった。

その頃のことを思い出すと、胸がきゅっと突然、痛くなってしまう。本当にこんなことでよかったのだろうか、と。私が今、25歳になった今、私が生まれ育った実家ではなく、豊島区の池袋で、一人で暮らしていることははたして、正しいことなのだろうかと、考えてしまうことがある。

だからだろうか、2月の末、突然、「実家に帰らなくちゃ」と思った。直感的に、そう思った。別に特別な理由なんかない。実家にある荷物でこちらに持ってきたいものなんてたかが知れていたし、絶対に帰らなければならない理由はなかった。しかも、年度末で忙しいこの時期、たとえ1日だとしても、池袋を離れることに不安があった。今の私にとっては、仕事がほぼすべてであり、四六時中、仕事のことを考えていて、そこから一時的に離れるなんてこと、怖くてできないと思ったのだ。

けれども、自分の中の何かが、「今、帰っとけよ、今がタイミングなんだよ」と、そう言っていた。本能的な何かだと思った。おそらく今の自分に必要なものが、実家に帰ることによって見つかるような気がした。

そう思い立って休みをとり、実家に帰ったのは、先週の水曜日だった。仕事は終わっていなかった。まだまだやることがたくさんあった。とりあえず一区切りつくところまで終わらせて、マックブックをバッグに詰め込んで、電車に乗った。職場に徒歩で通っている私にとっては、電車に乗ること自体が久しぶりだった。ああ、そうだ、電車に乗るってこういう感じだったな、とふと思い出した。電車の窓から見える景色を、つり革を掴みながらぼーっと眺めていた。ビルや派手な居酒屋、学生ローン、胡散臭い泌尿器科の病院の看板が続いていた街並みが、徐々に畑やアパートが並ぶ住宅街に変わっていくのをただ眺めていた。そうだ、私はこうして毎日、東京ではわりと田舎の町から、大都会に通っていたのだ。中学生の頃から。

中学も、私立の学校に通った。女子校だった。その女子校も、都会にあった。遠いな、と毎日思っていた。毎日制服を着て満員電車に乗った。痴漢にも何度も合って、それが嫌で途中で乗る電車を変えたこともあった。懐かしい、とその頃を思い出して私は一人、笑いそうになった。あの頃の私は、本当に、なんというか……弱いというか、心細いというか。

自分が何を目指して、何を頼りにして生きていけばいいのか、何もわかっていなかったような気がする。とりあえず毎日学校に通って、友達と遊んで、話して、寄り道をして、買い食いをして。意味もない噂話ばかりしているときもあれば、逆に、意味もない噂話ばかりしている同級生たちを馬鹿にしているときもあった。みんなが大人になってしまったようで、置いていかないで、と思っていた時もあったし、みんなが子供みたいに思えて、話があう人が全然いない、と思っていた時もあった。

ガタン、ガタン、と電車が揺れる。こんな風に電車に揺られて、ただ何もせずにぼーっとするのは、いつぶりだろうと思った。せわしない都会の空気が徐々に、田舎町のゆるりとした雰囲気に変わっていくのを感じていた。気がつけば、周りにいる人たちの間とっている雰囲気も変わってきた。若者が減り、おしゃれな人が減り、高齢者が増えた。ああ、そうだ。私が住んでいた町は、お年寄りに優しい町だったんだ。

「どこだよ、これ」

地元の駅に着くと、あまりに様変わりしていたので、驚いて母親にラインしてしまった。新しい商業施設ができ、駅ナカにスターバックスができていた。子供の頃から通っていたマクドナルドや、銀だこや、靴屋さんがなくなっていた。その代わりに、コンセントを自由に使えるタリーズや、旅行代理店ができていた。なんだここは、と思った。そういえば、最後にこの駅についたのはいつだっただろう。思い出せない。たしか、お正月には一度来たような気はするものの、たしか、着いたのが夜中だったからよく見ていなかったのだ。ちゃんと昼間の時間にこの町を見るのは、あるいは1年ぶりくらいかもしれないと思った。

仕事が残っていたので、スタバに入って作業をしてから家に帰ることにした。田舎の駅のスタバは、空いていた。池袋もこのくらいの空き具合ならいいのに、と一人思った。池袋のスタバなんて、座れる方がラッキーだ。順番待ちしている人もいるくらいだ。席が半分近く空いてるスタバなんて、初めて見たよ、と思った。いや、でも平日の昼間だもんな。当たり前か。

一通りやるべき仕事を終えて、実家へと向かうバスに乗った。23歳で家を出るまで、ほぼ毎日乗っていたバスだ。大学生のときも、毎日これに乗って通学していた。私の家は、最寄駅から、徒歩だと30分くらいはかかる。大学までは、だいたい1時間半くらいかけて通っていた。そこまでして通うのが面倒になって、授業をサボったこともなんどもあった。

とくに意味もなく、バスの中を見渡した。半分くらいが高齢者だった。病院にでも行くのだろうか、優先席に座っているおばあさん二人が、近所の人の健康状態についての噂話をしていた。いくつになっても女は噂話はするんだな、とふと思った。私がもし、おばあさんになったら、それでもやっぱり、噂話なんかしてるやつら、話合わないな、とか思うんだろうか。みんながガキに見えてつまんない、とおばあさんになったとしても、言い続けてるんだろうか。年取っても、精神的に成長してなけりゃ意味ないよ、とか、そういうことを飽きもせずに言い続けているだろうか、はたして。

わからなかった。ただ、なんとなく、異物感のようなものを感じた。この街に対する、異物感だった。自分が生まれ育ったこの街が、自分の心の中に、うまく馴染んでこなかった。なんだろう、と思った。なんとなく、落ち着かないというか、なんというか。

どうして自分がそう思うのかはよくわからなかったけれど、とりあえず、家に向かうことにした。会社に休みの申請を出した母親と、犬が待っているはずだった。父親は仕事だと、前から聞いていた。

「おかえり」と迎えた母の髪は、前回会ったときよりも短くなっていた。そして、以前よりも柔らかい雰囲気になっていた。悪く言えば、より「おばさん」っぽくなった。でも、よく言えば、「優しそう」になった。せかせかしたり、焦ったりしている感じが、薄くなっていた。私が住んでいた頃より。純粋に、そう思った。

母親と、母親が作った料理を食べながら、色々な話をした。仕事のこと、恋愛のこと、今の生活のこと。母は、ようやく大学を卒業できそうだと、嬉しそうに言った。

「卒業がね、決まったの」

見てこれ、と母が見せてきた書類にはたしかに、卒業式の案内が書いてあった。
母は、ちょうど私が就職するくらいの頃から、大学に通い始めた。通信制の大学だった。大学に通ったことがなかった母は、今になって、自分が好きなことを学べるのがとても楽しいのだと話していた。
ついこの間入学したと思ったのに、もう卒業か、なんて、まるで親が子供に対して思うようなことを思った。50も過ぎた自分の母親に。

「卒業式はね、袴着ることにした」
「袴!? マジで!?」
「マジマジ、大マジ」

笑う母を見ていると、派手な袴を着て、若い、私と年齢の変わらない同級生たちに囲まれてピースしている姿が頭に浮かんだ。50過ぎて大学なんて、よくやるもんだ。でも、充実しているように見えた。

私が仕事で悩んでいるように、母もまた、仕事で悩んでいた。私たちはよく似ている。悩むポイントも、とてもよく似ている。私たちはお互いに、どうして自分が思うように仕事ができるようにならないのかという話をした。そして、自分が日々生きていて思いついたこと、気がついたことを報告しあった。それはとても楽しい時間だった。あっという間だった。そういえば、私が高校生の頃は、毎日こんな風に、母親と色々な話をしていたな、とふと思い出した。

この家に生まれてよかったな、とふと、本当に突然思った。私はこの家に生まれてよかったのだ。私はこの家に生まれる以外、手段がないくらい、この家にぴったりとはまっていた。あるいは私が自分でえらんでうまれてきたのかもしれないと思うくらいに、私の家族は、私にぴったりだった。しっくりきていた。私はこの家に生まれたからこそ、今こうして全力で、生きて入られているのだ。

けれども、あらためて感謝の気持ちが生まれる一方で、やはり、異物感が消えることはなかった。それは私の胸の中にい続けた。実家は実家だった。私の生まれ育た場所だった。私が最も落ち着ける場所だった。でも、今はそうじゃない。完璧にしっくりくるということは、ない。

どうしてだろう、と思った。でも、自分の部屋に入ったとき、その理由が少しわかったような気がした。
私が中学に入っ他ばかりの頃引っ越した、3LDKのマンション。家族三人で、一人一部屋ずつ。私の部屋は、玄関に入ってすぐのところにあった。今でも、私の全部が詰まっていた。

本棚には、高校生の頃、大学生の頃に読み漁った小説や漫画が並んでいた。村上春樹、小川洋子、星新一。フルーツバスケット、ワンピース、青い鳥文庫。机の引き出しを開けると、ギャルメイクをして撮ったプリクラが出てきた。ひどいメイクだな、とあらためて思った。でもあの頃は、これが一番かわいいと思ってたんだよな。

当たり前だけれど、私の部屋には、「私」が詰まっていた。私を象徴するものが全部、詰め込まれているみたいで、なんだか暑苦しくて、そして、いきぐるしくなった。あまりにも濃い「自分」を見せられているみたいで、目をそらしたくなった。

自分が22年間過ごした部屋に入ってまず思ったのは、これは、「もう通り過ぎていってしまった自分」なのだということだった。ここにいるのは、今の私ではなかった。もうずっと過去の、通り過ぎてしまった私なのだ。今取り返そうとしても、取り返せない私なのだ。

私は、その部屋にあるもの一つ一つをじっと眺めた。そして思い出そうとした。この文房具を持っていたとき、この本を読んでいたとき、このピアスをつけていたとき、私は何を思い、何を感じ、何について悩んでいただろうか、と。

けれども、何も思い出せなかった。全く頭に浮かんでこなかった。
妙な異物感は、ますます大きく、じわじわと、けれども確実に膨らんでいって、そして、弾けた。

ああ、そうだ。そうなんだ。
今感じてるこの異物感って、あれと一緒だ。すごく一緒だ。

私が昔、書いたものを読んだときの感覚と、一緒なんだ。

最近ふと、自分が以前書いたブログを読み返した。ああ、こんなことを考えていたんだ、とか、こんなことで悩んでいたんだ、とか、そんな風に思った。でもそれだけだった。「今」、こうして25歳で、池袋で働いている私は、「過去」に、22歳で、大学生で、この田舎町で悶々としていた頃の自分に、ちっとも共感することができなかった。自分が書いたものなのに、まるで別人が書いたもののように思えた。なんでそんな風に思うの、とか、そんなことで悩むのかー、とか、まるで他人事のように、過去の文章を眺めていた。

けれども、それが事実だった。今の私と、過去の私は、ずっと遠い場所にいる。もしかしたら、もう相容れないくらいに、遠いところにいるのかもしれない。
私は、どうしたらいいんだろうと思った。この異物感は。違和感は。取り除きたいのに、取り除けない。取り除いていいのかもわからない。
果たして私は、本当にここを離れるべきだったのだろうか。

そもそも、東京出身だ。家だって、東京の中だとわりと田舎だというだけで、都会までは通える距離にある。通おうと思えば、池袋にも通える。わざわざ高い家賃を払って、一人暮らしする必要なんて、ないのかもしれない。
結婚するまで、ちゃんと新しい家族が、拠り所が見つかるまで、別に家を出る必要なんてなかったんじゃないか。
私はここにいたまま、こうして、家族と穏やかに暮らしていた方が幸せだったんじゃないか……。

だって、今の私の生活が幸せだという保障なんか、どこにもないのだ。
毎日毎日、仕事のことばかり考え、心配で、気が休まる暇がない。好きな男の子とデートに行く時間もないどころか、映画に行く時間すらない。まあ、自分の要領が悪いせいだと言ってしまえばそれまでだが、まあとにかく、普通の、「25歳の女子」の幸せな生活を優先するのならば、こんなに働いてばかりいないで、この家で穏やかに暮らした方がいいはずだった。貯金もたまるし。

悶々としたまま、一夜明けた。母は、朝早くに仕事に出かけた。私は昼から仕事があったので、その日休みだった父親に、車で駅まで送ってもらうことにした。

「最近、どうなんだ。元気してるのか」
「してるよ」
「たまには、帰ってこいよ」

そうえば、お父さんのことが嫌いだったこともあったな、とふと思い出した。
今思えばなんてくだらないんだろうと思うけれど、父親のことが、嫌いで嫌いで仕方がない時期があった。反抗期の一種だろうと思う。父親のことを悪者にすることで、自分を正当化していた。ガキだったな、と今では思う。父親は父親で、いつだって私のことを思う、父親だった。

父親とは相変わらず、何を話していいのかわからなくて、無言で車の反射ミラーを眺めていた。道路脇に、桜の蕾が咲き始めていた。

父が、あれ、携帯忘れた、とあたふたしはじめた。

「何、どっかのポッケの中?」
「どこだったかな。たぶん、置いてきた」
「まあ、家帰ったら探せばいいよ」
「うん。だめだな、お父さん、もう依存症だ」
「そうなの?」

機械に疎いようでいて、父は、最近アップル製品にはまっているらしかった。そういえば、マックブックを最初に買ったとき、一番いい反応をしていたのも父だった。

「でも、おとう、SNSとかやらないでしょ。何に使うの?」
「なんか、いろいろ聞いてる」
「聞いてるって? ラジオとか?」
「いや、ラジオじゃない。ポッドキャスト」
「ポッドキャスト!?」

私は思わず吹き出した。坊主頭でお坊さんみたいな見た目と、ポッドキャストという単語があまりにミスマッチだった。そうだ、この人は最新の技術に結構強いんだった、と思い出した。

たまには帰って来なよ、ともう一度言うと、父が乗る車は遠くに走って行って、見えなくなった。私はまた、駅に戻ってきた。
カバンの中には、マックブックと、仕事で使う手帳が入っていた。ブー、とスマホのバイブがしきりになっていた。見なくてもわかる。仕事の連絡だ。

じわりじわりと、田舎町にいた自分の感覚が、池袋に戻っていく。電車に乗り、外を眺める。特急電車には、人がたくさん乗っていた。

わりと人に触れない、いい具合の場所につり革を見つけてつかまった。ふと見ると、目の前に座っているのは、就活生だった。真っ黒な前髪をピンでぴっちりと留めていた。トレンチコートの襟元からはリクルートスーツが少し覗いていた。私が見ているのにも気がつかずに、手帳に細かい字で何かを書いている。次の面接の予定だろうか。企業説明会の確認? OB訪問? いずれにせよ、大変だな、とぼんやり思った。自分が就活していた頃なんて、ずっと遠くの方に思える。

いや、でも大変さで言えば、今の方がずっと大変だよな、と私は思った。
責任も重い。やるべきこともたくさんある。心配事が多くて、眠れない日も増えてきた。就活しているとき、こんなに大変なことなんかないと思っていたけれど、「大変さ」で言えば、今のほうが、何百倍も大変だ。

けれど、でも、今の自分と、過去の自分と、どちらが好きか、といえば。
たずねるまでもなかった。あきらかに、今の自分だった。

そしてそのとき、私ははじめて気がついた。私はきっと、今の自分を、徐々にではあるが、好きになってきている。
自分のことが嫌いだと思っていた。自分なんかに生まれなければよかったと。もっといい人生があると。自分の周りにいる人間を羨み、妬み、こんな自分よりももっと幸せな人がいると思うと、その人の不幸を願った。

いや、そういうネガティブな気持ちが減ったわけではない。今でも強烈に嫉妬することはあるし、人から認められたいという気持ちだって、ますます大きくなっている。なっているけれど、でも、それでも。

それでもなんだか、今の自分を嫌いじゃないと、思えているのは。

ふと気がつくと、新宿駅についていた。目の前の就活生が電車を降りていく。私も慌てて電車を降り、山手線に乗り換える。

サラリーマンが増える。カツカツというヒールの音が増える。自分の歩くスピードも、はやくなる。

池袋に、はやくいきたい。

池袋に、池袋に、池袋に。

私が、私が生きるべき街に。

私は、自分の居場所が、かつての田舎町から、池袋へと移り変わっているのを感じていた。
あの異物感は、自分の居場所がないような異物感だった。自分が受け入れられていないような気がしたのだ。
そう、もう実家は、私を受け入れてはいなかった。
実家は、私が戻ったら、すぐにぴったりと隙間を埋められるような、穴を用意してくれていた。

けれどもその穴は、「かつての私」の形をしていた。「今の私」の形をしてはいなかった。
そして母も、父も、徐々にではあるが、形が変わりつつあった。私を受け入れてくれる体制は保ったまま、それぞれの道に、変化しつつあった。

私が変わっているように、父も母も、変化していた。
私が地元よりも池袋を居心地良いと感じるようになったのと同じように、母は、子育てから頭を離して、自分の学びに時間を使うようになった。父は、せわしなく日々を過ごすのをやめ、新しい趣味をはじめていた。

人は変わる。必ず。
たとえそれが、家族であれ。一生変わらない絆を持っている家族だとしても、私たちは、変わる。変わり続けなければならない。

なぜなら、それが生きるということだからだ。生き続けるということだからだ。

変化するということをせずに、生き続けることなんかできなくて、自分がなりたい自分になんかなれなくて、そして、誰かを幸せにすることなんか、できない。

私は家族の一部から離れ、一人の人間として生きて行くようになり、そして今、天狼院で働き、自分が心から面白いと思い、好きだと思える仲間と一緒にいる。

こうして得られた充実感は、変化をしなければ、絶対に得られなかったものだ。
実家から離れて、一人で生きて行くのが怖いとか、両親から離れるのが寂しいとか、そういう理由でまだあの場所にいたのなら、私は今、これほど面白いと思えるものには、出会えていなかったかもしれない。

人は変わるのだ。そして、変わっていい。

変化し、価値観が変わり、かつての自分が言っていたことに全く共感できなくなったとしても、私たちは、前に進み続けるべきなのだ。進み続けなければならない。

鼻がムズムズとして、大きなくしゃみをした。目が痒くて、鼻が詰まっている。
もう春だ。
山手線のホームに、池袋行きの電車が来る。大量の人が溢れ出てきて、そして、乗り込む。

そうか、もう春なのか、と思った。実家を出てから、丸2年が経つのだ。
私は少しは、成長しているのだろうか。
この変化を、成長と呼んでもいいのだろうか。
わからない。
まだまだこうなりたいとか、こういうところが嫌いとか、コンプレックスもたくさんあるけれど。
わからないけど、今が面白いから、まあ、いいか。

じわじわと、異物感がなくなっていくのを感じる。
自分が自分に戻っていくような、不思議な感覚。

窓の外を見る。看板が増える。雑居ビルが増える。あまり綺麗とは言い難い、街並みが続く。

これが今、私がいるべき場所だから、大丈夫。

一人でそう呟いているうち、あっという間に池袋駅に着く。

大丈夫、なんとかなる。これからどんなに大きな変化があっても、大丈夫。
私は弱い人間だけど、一人じゃ何もできない人間だけど、大丈夫。
だってこの池袋という街には、私の新しい居場所があるからだ。

すう、と思い切り深呼吸をして、ホームに降りたとき、ぴたりとピースがはまったような音が、遠くのどこかで聞こえた。

 

 

 

 

 

*この記事は、人生を変える「ライティング・ゼミ《ライトコース》」講師でもあるライターの川代が書いたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになると、一般の方でも記事を寄稿していただき、編集部のOKが出ればWEB天狼院書店の記事として掲載することができます。

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❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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2018-03-12 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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