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チーム天狼院

誰よりも幸せになりたいけど「幸せそうだよね」とは言われたくないこの矛盾した感情に名前をください《川代ノート》


みなさまこんにちは。スタッフの川代です。
突然ですが、私は幸せになりたいです。誰よりも幸せになりたいです。自分でこんなことはあんまり言いたくないのですが、同世代の中ではかなり貪欲な方だと思っております。

私は「野心がない」だの「欲がない」だの「省エネ」だのと散々言われているゆとり世代ど真ん中、平成4年生まれ。ネットが発達し、テレビを見なくなったり、車をほしがらなかったり、出世意欲がなかったりと結構冷めていると言われがちな世代ですが、私自身は結構欲深い人間であります。まずはめちゃくちゃお金持ちになりたいし、大きくなくてもいいから素敵なデザイナーズマンションとかに住みたい。作家として大成して、なんか大きな賞とかとって親戚にちやほやされたい。有名になって街中で通りすがりの知らない人に「あの、もしかして川代紗生さんですか? 大ファンです! 握手してください!」とか言われたい。あと外国色々なところに住みたい。ニューヨークとかヨーロッパとか中東とかアジアとか、世界各地にちょっとずつ住んでみたい。あとは道を歩いててみんなが振り返るくらい美人になりたいし、イケメンで優しい旦那さんと結婚してあたたかな家庭を持ち、かわいい子供のために一生懸命働くお母さんでありたい。

とまあ、パッと思いつくだけでもこれだけの欲が出てくるわけで、結構人並みに幸せになりたい欲求が強い人なのだと思います。誰よりも幸せになりたい。小学校のときいじめてきたやつらが「キー!」と悔しがるくらいにキラキラした人生を送りたい。と、結構下心が満載な感はありますが、私は日々幸せになるためにがんばっているところです。

が、その揺らぐことは絶対にないだろうと思っていた私の「幸せ」理論が、大きく崩れてしまう出来事が、ついこの間ありました。

天狼院のとあるイベントで、幸せについてちょっとみんなで考えてみよう、という流れになりました。それぞれ、自分にとっての幸せは何なのか、その要素をあげてみようと。人によって幸せの定義って違うはずだから、色々な幸せの形が出てきたら面白いよね、ということでひとりひとり、考えることになりました。

あー幸せね、オッケーオッケーと私も余裕綽々でボールペンをかまえていたのですが。
幸せの要素か。
うーん、幸せの要素ね。どうなったら私は幸せかっていうことだよね。
そりゃあ、作家になることかなあ。
いや、でも作家になってどうする? そのあとは? なったらなっただけで幸せ? 違うよね。
じゃあ家族とか? 結婚できたら幸せ? 子供ができたら? いや、今は別に子供いらないなあ。っていうか離婚したばっかりだし、しばらく結婚とか考えらんないよな。

ぐるぐると、あれこれ仮説を立てるのですが、どうも、思い浮かばない。しっくりこない。
どれもこれも違うような気がして、途方に暮れてしまいました。「成し遂げたいこと」や「夢」はもちろんあって、それに向かって突き進む、というのは人生プランの中に当然のように組み込まれているのですが、それが達成できたからといって必ずしも幸せになれるのかといえば、それは違うような気がするのです。うーん、案外幸せって難しいなと、頭を抱えてしまいました。就活生のとき、こういうこと散々考えなかったっけ? 自分にとっての幸せって何、とかすごい考えた気がするけど、あれ、あのときどういう結論になったっけ?

思い出せそうで、思い出せませんでした。どうも、私にとっての「幸せ」のイメージはぼやけていて、目をこらしても見えてきません。
じゃあなんだろう。みんなに認められたりとか? 承認欲求強いし、周りにいるみんなから、「あなたって幸せだよね」って言われたら、満足なのかな?

と、そこまで考えて、ふと思いました。
あ、私、自分ではめちゃくちゃ幸せになりたいって思ってるけど、周りから「幸せだよね」って言われるの、すっごい嫌だな。
とっさに、そう思いました。
私は今までに「あなたは幸せだよ」とか「幸せそうだね」とか言われたことはあまりありませんが、それを言われることを想像すると、すごく嫌な気持ちになりました。誰に言われたとしても、「幸せだよ」と他人から評価されたら、「そんなことない。あんたに何がわかるんだ!」と怒ってしまいそうな気がします。

でも、よく考えてみたら、おかしな話です。幸せになりたいと思っているのは事実なのに、幸せだよと他人に言われると、別に幸せじゃないよと言ってしまいたくなる。違うよ、私にだって悩みとか苦しみはいっぱいあるよと強く主張したくなる。

なぜでしょうか。「さきって幸せそうだよね。羨ましい」と言われるとイラっとするのに、「さきって忙しいし、大変そうだね。大丈夫?」と心配されると、すごく嬉しい。いやいや〜そんなことないよ、別に普通だよ〜と言いながら、内心では「えっ、そお? そんなに忙しそうに見えるかな〜?」とほくそ笑んでいる感じ。

なんでしょうか、この矛盾した感情。
幸せになりたいのに、幸せになりたくない、みたいな。
たぶん、「幸せそうだよね」と言われたくないと思うのは、自分が誰かを「幸せそうだな、この人」と評価するとき、必ずそのあとに「別になりたくはないけど」という言葉が続くからだと思います。

素敵な彼氏がいて、仕事も順調で、趣味にも時間を使っていて、キラキラしている。私の友達にも、そんな子が結構います。彼らの人生のすべてが輝いているように見える。ああ、この人って本当に幸せなんだな、そんな人生を送る道もあったのかな、とも思う。でも別に、自分がその人になりたいかというと、そんなことはない。むしろ、私がなりたいと思うのは、何かに打ち込みまくって体を壊しそうになったり、必死で仕事をしているせいでプライベートにも時間を避けなかったり、才能があふれすぎて周りから嫉妬されてしまうような、いわゆる「幸せな生活」のイメージとは程遠い人たちばかりです。

私は幸せになってもいいはずです。私が幸せじゃいけない理由なんか何一つありません。「さきって幸せだよね」と言われたら、「うん、そうだよ! めちゃくちゃ幸せ!」と嬉しそうに自慢していいはずなのです。

けれども、私はそうは思えない。ついこの間、知り合いにこう言われたときも、ムッとしてしまいました。

「川代さんには挫折を味わってほしい。死にたくなるくらいの苦労をしてほしいなあ」

そのときには、あはは、嫌ですよーと笑って返していたのですが、あとあとになって、なんだかもやもやとした気持ちが湧いてきました。
何、私が苦労してないっていうの!?
こんなに大変なのに、こんなに日々一生懸命働いてるのに、こんなに悔しい思いたくさんしてるのに、これ以上苦労しろって、そう言いたいわけ!? 私、そんなに幸せそうに見える!?

別に怒るほどのことではないと思います。けれども、間接的に「お前は苦労が足りない」と言われたことに、結構ショックを受けていました。

おそらく私は、「こういうことをしたい」とか、「こういう暮らしがしたい」ということ以前に、「こういう人間になりたい」という気持ちが、とても強いんだと思います。
私にとっての幸せとは、作家になって優雅な暮らしをするとか、親になって子供を育てるとか、そういうことではないのだと思います。いえ、もちろんそういった目標は絶対に達成したいと思っていますが、その行動の前に、まず大前提として、「かっこいい人間になりたい」という欲求があるのだと思います。
いえ、かっこいい人間、というよりも、「味のある人間になりたい」のだと思います。おそらく。

一言一言に、それまでの人生経験が滲んでいるような。その場にいるだけで存在感があって、パッと見ただけで、ああこの人はきっと色々な苦労を乗り越えて生きてきたんだろうな、と思わずにはいられないような雰囲気が漂っている。そんな人になりたいのだと思います。

だから、私の場合は、「幸せそうだよね」と言われてしまった時点でその言葉が「苦労を知らなさそうだよね」とか「綺麗なものだけ見て生きてきてる感じ」とかに変換されてしまっているのだと思います。イコールなりたい自分になれていないということになるわけで、だからこそ、「幸せそう」と言われるよりも、「大変そうだよね」とか「苦労してそうだよね」とか言われる方が、嬉しい。人生の酸いも甘いも知り尽くしたうえで、人間としての「味」みたいなものがほしいのだと思います。

そう、私にとっての幸せとは、幸せになることではないのかもしれません。矛盾しているようですが。
どんなに辛いことがあっても、きついことがあっても乗り越えられるだけのパワーと、乗り越えてきたという経験に基づく自信を持っている。そんな味のある、かっこいい人間に、私はなりたい。
そんな人間になれることが、あるいは、私にとっての一番の幸せなのかもしれません。

いやー、とはいえ、普通に幸せになりたいし、キラキラしたいし、バカンスにも行きたいし、幸せそうな人がいるとその幸せをぶっこわしたくなるほどの衝動にかられることもあるのですが。
あー、本当、幸せになりたいけど、なりたくない。
苦労したくないけど、苦労を乗り越えた経験がほしい。
失恋したくないけど、女子会とかで自分だけ失恋したことないと、なんか焦る。

うーん、なんでしょうか、人間の感情ってあっちにいったりこっちにいったりでふらふらして、面倒くさい!
ああ、もう誰か、この矛盾した感情に名前をください!

 

 

 

 

 

*この記事は、人生を変える「ライティング・ゼミ《ライトコース》」講師でもあるライターの川代が書いたものです。
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❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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2018-03-01 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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